現代におけるパイロットウォッチの在り方を再考する。そんな『クロノス日本版』Vol.98「パイロットウォッチ礼賛」特集を、webChronosに転載。今回は、1978年に自家用操縦士の免許を取得してパイロットとなり、約2000時間、パイロットウォッチをパートナーとしてきたY.K.さんへの取材を掲載する。

Photographs by Yu Mitamura
小泉庸子:取材・文
Text by Yoko Koizumi
[クロノス日本版 2022年1月号掲載記事]
パイロットウォッチがまだ“現役”だった時代
Y.K.さんが19歳で自家用操縦士の免許を取得したのは、羽田空港からの地方便数が右肩上がりだった1978年のこと。それから25歳で飛行機を降りるまでの約2000時間、彼の飛行のすべてを支え続けたのはパイロットウォッチというパートナーだ。
「みんなプロとして身体を使って精度を確かめていた」

(右下)アメリカ軍向けに製造された「A-15」の復刻版ブローバ「96A245 ミリタリー」。
(左)「パイロットウォッチとして使い勝手がいい」と選んだジン「142」のGSG9限定モデル。クロノグラフ針と同軸に60分積算計を持つ。
あらゆる時計を所有し、そして精通もしているY.K.さん。彼が時計の本質を体感したのは18歳のとき、飛行訓練中のことだった。
「異常姿勢からリカバリーするというトレーニングで、水平飛行からきりもみ状態に入り、指定高度まで落下して再び水平に戻すという内容でした。この落下高度を計測するのがクロノグラフなんです。でも何度やっても試験官から『落下高度がバラバラ』と言われてしまう。不思議に思っていたら、先輩に『時計が原因じゃないか』と言われて、彼のオメガのスピードマスターを借りて飛んでみたところ距離が合う。つまり時計にG(重力加速度)がかかり、秒針が止まっちゃってたんです」

やっぱりNASAが認めた時計は違う、とYさんは思い知ったそうだ。
「あのころ先輩方はバルジューがいい、レマニアがいいと、ブランドではなく、ムーブメントで時計を評価していました。まだ腕時計ブームどころかクロノグラフは高嶺の花だった時代、それも小型飛行機を操縦するパイロットという本当に小さな世界だったけれど、みんなプロとして身体を使って精度を確かめていた。だから選んだ時計を信用したし、信頼していたと思います」
19歳でめでたくパイロットになると、測量や航空撮影、農作物などの小型荷物の運搬で全国を飛び回った。時には会社からシンガポールなどアジア各地へ派遣されて飛んだこともあったという。そんな日々のなか、ふらりと訪れたアメヤ横丁で発見したのがデッドストックのオメガ「スピードマスター CK2998」。若きYさんにとって、あまり好みのデザインではなかったそうだがそれでもいい時計は欲しい。「背に腹は代えられない」と4万円で入手すると、持病のため25歳で飛行機を降りるまで使い続けることになる。
「あのころもいいパイロットウォッチはありましたが、それでもそれは〝絶対〞ではなかった。先輩にはセイコーのダイバーズウォッチや、ユリス・ナルダンの六分儀搭載モデルを好んだ人もいました。セイコーは機内夜間照明の赤色灯下でも夜光がよく見えたそうで、六分儀は星や太陽といった天体の角度を見て飛行位置を確認していたそうです。僕もセイコーのオレンジ文字盤のデジアナを使っていたこともあります。フライト中に大切なのは経過時間なんですが、あのベゼルは重宝しましたね。いま思えば、そんな杓子定規じゃない時計選びも、腕時計が計器として現役だったあの時代だったからできたのかもしれません」