ブレゲ、今を生きる「スースクリプション」の正統性

2025.06.06

創業250周年を迎えたブレゲ。記念すべき第1弾は、多くが予想した複雑時計ではなく、1本針の「スースクリプション」だった。あえてこのモデルでブレゲが示したものとは、過去と未来の壮大な融合、そしてブレゲのさらなる飛躍である。

スースクリプション

矢嶋オサム、奥山栄一:写真
Photographs by Osamu Yajima, Eiichi Okuyama
広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2025年7月号掲載記事]


ブレゲ250年の温故知新

グレゴリー・キスリング

2024年10月1日からブレゲのCEOに抜擢されたのが、オメガ元副社長のグレゴリー・キスリングである。プロダクトの開発責任者としてオメガを劇的に改善した彼は、オメガ×スウォッチのプロジェクトなどを統括。その実績で、現職に任命された。技術からマーケティング、時計好きたちが好むディテールまでを知悉する彼は、ブレゲのCEOとしては最適任だろう。

 2025年、創業250周年を迎えたブレゲ。その第1弾として同社が発表したのが、なんと1本針を持つ「クラシック スースクリプション2025」であった。説明してくれたのは、昨年10月、CEOに大抜擢されたグレゴリー・キスリング本人である。

「創業250周年を迎えるにあたり、私たちは単にひとつのモデルを発表するのではなく、アニバーサリー・コレクション全体を発表すると決めました。その最初の製品がクラシック スースクリプション 2025です。時計業界がブレゲに対して、複雑なモデルの登場を期待している中で、私たちはあえて逆を行くことにしたのです」

 あえてこのモデルを選んだのには、他にも理由がある。

「これは創業者のアブラアン-ルイ・ブレゲの時代を象徴するモデルであり、同時に、この創業250周年を祝う象徴的な存在でもあるからですね」

 フランス革命後、生誕地のスイスに2年間亡命したアブラアン-ルイ・ブレゲは、その地で、シンプルかつ信頼性が高く、精度にも優れた時計を多くの人に提供するというスースクリプションのアイデアを得た。

(左)オリジナルのスースクリプションを手に解説するグレゴリー・キスリング。
(右)ガレ(小石)状の造形が強調されたスースクリプションのケース。分針を省き、文字盤と針のクリアランスをギリギリまで詰めることで、立体感と薄さが強調されている。

 創業以来、1点ものしか製作してこなかったブレゲがメーカーとして成立できたのは、このモデルで導入した「スースクリプション=予約」制度のおかげだった。注文時に価格の4分の1を前払いするという斬新な販売方法で、ブレゲはフランスへ帰国後、工房の再建に成功しただけでなく、700個ものスースクリプションを製作した。250周年という節目に、ブレゲを飛躍させたスースクリプションをリバイバルさせたのには、明快な意図があったわけだ。

 キスリングが手に取ったのは、クラシック スースクリプション 2025の原型となった懐中時計だ。直径61mm、高精度なルビー製のシリンダー脱進機と耐震装置のパラシュートを持つこのモデルを、今回、ブレゲは直径40mmの腕時計に仕立て直してみせた。その際、ブレゲが意図したのは、過去と未来の融合である。

(左)新作「クラシック スースクリプション 2025」には新規設計のCal.VS00が搭載される。既存のトラディションから転用したと思いきや、まったくの新造だ。
(右)クラシック スースクリプション 2025が採用したブレゲゴールドは、パラジウムを混ぜることで、イエローとローズゴールドの間の色味を持つ。

 ちなみに、キスリングがCEOに就任したのは2024年の10月1日のこと。着任前から準備をしていた彼は、ブレゲの歴史をひもとき、「ブレゲらしい」ディテールを盛り込むことに腐心したという。それを象徴するのが、針と文字盤の極めて狭い(しかも文字盤は傷の付きやすいエナメル製!)クリアランスだ。「オリジナルのスースクリプションウォッチでは、文字盤と針の間の距離は比較的狭く設定されていました。それを2025年版でもしっかり再現しました。なぜなら、両者の距離感は読み取り精度に直結するからです。もしその間隔が過剰であれば、視差が生じて、見た角度によって時間の読み取りがずれてしまう」。搭載する手巻きムーブメントの日差は数秒だが、1本針のため、文字盤上での表示誤差は±2分とのこと。理由は「この腕時計は、時間の見方そのものを問い直させる装置でもあるから」。

1797年(カタログへの掲載は1796年から)から製造されたスースクリプションは、ブレゲを大規模なメーカーへと飛躍させた立役者である。シンプルながらも高精度なムーブメントに加えて、予約時に販売価格の4分の1を支払うという買いやすいビジネスモデルのおかげで、主に1798年から1810年頃にかけて、約700個が製造された。左上は1807年に販売された第3世代のNo.1836。高精度なルビーシリンダーと耐震装置のパラシュートを備える完成形だ。この時代のスースクリプションに範を取って生まれたのが、今年の新作「クラシック スースクリプション 2025」である。

 加えてブレゲは、本作のために新しいゴールドを開発した。その名も「ブレゲゴールド」。イエローゴールドとローズゴールドの間の色味を持つこのゴールド(キスリングは「灰色の金」と表現した)は、75%の金に、銅・銀・パラジウムを配合した新しい合金だ。あえて既存の素材を選ばなかったのは、ブレゲ時代の金の色味を表現したかったため、とキスリングは語る。今回、ブレゲはディテールだけでなく、色でも創業者とその時代へのオマージュを捧げたのである。

 ブレゲの昔と未来をつなぐという壮大な意図によって具現化されたクラシック スースクリプション 2025。その魅力的な全容を、キスリングの説明とともにひもといていくことにしよう。

スイスからフランスへ帰国したアブラアン-ルイ・ブレゲは、スースクリプション拡販のため、初めてカタログを製作した。「今回提案する時計は(中略)実用的な経験から生まれたものです。これらは、これまで私が製作してきた最良の時計にも引けを取らず、しかも、より手頃な価格で提供することができます」。

クラシック スースクリプション 2025

 1796年のスースクリプションを腕時計に仕立て直した1本針の「クラシック スースクリプション 2025」。キスリングは「このモデルは、単なる腕時計ではなく、ブレゲの発明や歴史を伝える語り部であり媒体」と説明する。そのためスースクリプションという販売形式や、カタログを用いた販売手法、巻き上げヒゲやブレゲ針といった発明に加えて、今のブレゲらしい新技術を、合計13も込めたという。「すなわちこの時計は、18世紀から21世紀にわたる発明の連なりを体現した存在です」という彼の物言いも、実物を見ると納得だ。

クラシック スースクリプション 2025

ブレゲ「クラシック スースクリプション 2025」
ブレゲの250周年を祝うにふさわしい、静かな超大作。18世紀から19世紀に作られたスースクリプションを腕時計サイズにまとめただけでなく、古典的な技法と最新の技術が存分に盛り込まれている。ディテールにまで貫かれた時計としての統一感は圧巻だ。手巻き(Cal.VS00)。21石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約96時間。18Kブレゲゴールドケース(直径40mm、厚さ10.8mm)。3気圧防水。735万9000円(税込み)。

 まずは直径40mmのケース。このモデルの開発にあたって、キスリングは装着感を見直したと語る。写真を見れば分かるように、ラグはわずかに短く切られ、終端を裏蓋側に曲げることで、手首の細い人にもフィットしやすい。加えてミドルケースからは、ブレゲのアイコンである「カンネル(縦溝模様)」が省かれ、代わりにごく浅い筋目仕上げが施された。オリジナルのスースクリプションを模した仕上げとキスリングは説明するが、湾曲した短いラグと相まって、今の腕時計らしさをも感じさせる要素だ。さらに言うと、21mmという若干幅広いストラップも、この腕時計にモダンな印象を添えている。

(左)2025年の新製品らしいアクセント。裏蓋のサファイアクリスタルにはレーザーで「BREGUET 250 YEARS」と彫られている。いわば現在のシークレットサインだ。
(右)エルゴノミックなデザインを持つケース。今風にラグを短く切ることで装着感はさらに改善された。

 ブレゲ初となるニヴァクロン製のヒゲゼンマイも同様だ。この青焼きされ、外端が巻き上げられたヒゲゼンマイは、実のところアナクロンやニヴァロックスではなく、耐磁性の高いチタン合金製のニヴァクロンだ。シリコン製のヒゲゼンマイほどハイスペックではないにせよ、これも新しいスースクリプションを今の時計とする要素だ。

 その一方で、古典的なディテールも一層強調された。そのハイライトが、なんとドーム状(!)のグラン フー エナメルである。キスリングは前職のオメガ時代にドーム状のエナメル文字盤を完成させたが、本作はまったくの別物。土台がセラミックスのオメガに対して、ブレゲはホワイトゴールドを選び、しかもエナメルを裏打ちする手法を採用したのである。オメガの技術を使えば製造は容易で、文字盤自体も薄くできたはずだが、ブレゲはあえて、昔の手法をそっくり再現したのである。

(左)本作のハイライトが、レーザーではなく、パンタグラフを用いて彫られたシークレットサイン。やはり連続性を示すディテールだ。
(右)小石状の造形を持つクラシック スースクリプション 2025。新設計されたドーム状の風防がデザインの連続性を示す。針と文字盤の極端に狭いクリアランスにも注目だ。

 加えて文字盤に描かれたシークレットサインは、レーザーではなく、なんとパンタグラフによる手彫り。このプロジェクトが始まったときはプリントで施す予定だったが、CEOに就任したキスリングがレストレーション工房の職人を口説き落として、アブラアン-ルイ・ブレゲ当時の手法に置き換えさせた。しかも彫るためのパンタグラフは、ブレゲの研究家としても名高い、故ジョージ・ダニエルズの遺品だ。「ブレゲ本人のものだったかは分かりませんが、少なくとも彼の時代のパンタグラフです。オークションで落札したものです」とキスリングは説明する。仮にこのサインがプリント仕上げだったら、クラシック スースクリプション 2025の完成度は半減したに違いない。ディテールの積み重ねで魅力を増すというキスリングの手腕は、本作で一層際立った感がある。

本作の発表に合わせて、ブレゲはスースクリプションウォッチに関する本を計画している。この書籍には、時計に関する記録はもちろん、今回の現行モデルの開発背景や意図、アブラアン-ルイ・ブレゲによる発明の時系列、さらに今まで非公開だったアーカイブ資料も収録されている。これはその資料の一部だ。

 こういう入念な詰めは、ユニークな1本針にも見て取れる。今回、クラシック スースクリプション 2025が採用したのは、幅の違う1本針だ。ブレゲは通常、グループ会社から針を仕入れているが、針の形状が複雑なため、今回は青焼きの作業をレストレーション部門で行った。理由は、針の形状が、中心は厚く、先端に行くほど極端に細くなるため。炉で焼くと、色むらが出て使い物にならないだろう。「炉を使って青焼きすることもできますが、これでは幅の違う1本針に、濃く深いブルーと、職人の手の痕跡を感じさせる風合いは与えられないのです」。

革製のボックス

本作のパッケージを一層際立たせるのが、革製のボックスだ。往年のブレゲが用いた箱をベースに、今の腕時計用に仕立て直された。赤い革と金の箔押しは極めてクラシカルだが、トラベルケースとして使えるサイズにまとめられた。

 付属品も凝っている。本作が採用したのは、往年のブレゲを思わせる赤いレザーのケース。モデル名などを金箔であしらったのもオリジナルに同じだ。わざわざ18世紀風の箱を作らせたのは、過去と現在との連続性を示したいため。時計のケース自体も同様で、ブレゲはあえて、小石(ガレ)を思わせる形状にまとめ上げた。最大の理由は、もちろんオリジナルモデルと視覚上の共通性を持たせたいため。しかし「小石が長年にわたり水の流れで磨かれて丸くなるように、この時計もまた、時間の経過を超えて継承される存在であることも象徴しているのです」(キスリング)。そのため、ブレゲはわざわざドーム状の風防を新規設計し、立体的な文字盤がもたらす小石状の造形を一層誇張してみせた。

クラシック スースクリプション 2025

クラシック スースクリプション 2025の新しいエンジンが、手巻きのCal.VS00である。ケースギリギリにムーブメントを収めるため、直径は35.8mm、厚さは6mmもある。そのサイズを生かして、香箱も拡大された。その上に彫られたのは、ブレゲ本人による書簡の一部だ。また、ブレゲとしては初となるニヴァクロン製の巻き上げヒゲゼンマイを採用する。手巻き(Cal.VS00)。21石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約96時間(約4日間)。

 このモデルは、裏側の詰めも抜かりがない。オリジナルのデザインを模したCal.VS00は純然たる新規設計。ニヴァクロン製のヒゲゼンマイと大きな香箱がかなえた約96時間という長いパワーリザーブは、このモデルに十分な実用性をもたらした。その一方で、香箱にはレーザーでブレゲの署名を彫り込み、地板にも手作業で刻印を加えている。そして、ムーブメントとケースの色味を完全にマッチさせて時計のまとまりをぐっと高めた。

 裏蓋にもちょっとしたアクセントが加えられた。外周に施されたギヨシェ模様は新しく起こされた「ケ・ド・ロルロージュ」なるもの。ブレゲがアトリエを構えていたシテ島とサン= ルイ島を描いた古地図から、街の線だけを抽出し、新たなパターンにしたという。つまりブレゲの歴史が、あらゆるディテールに込められたわけだ。

 ブレゲの歴史と非凡な力量に満ちた21世紀のスースクリプション。さまざまなディテールをひとつのパッケージにまとめ上げた手腕もまた、250年の歴史を持つ老舗にふさわしいものだろう。その完成度は、ただただ圧巻だ。

クラシック スースクリプション 2025に携わったのが、ブレゲのレストレーション部門。これはスティール製の針を青焼きする工程。初代ブレゲ当時のアルコールランプで加熱する手法が用いられている。あえて1本焼きをする理由は、スースクリプション用の針の幅が違うため。袴の部分は太く、先端が極端に細いと、確かに1本焼きしかない。色の変化を見ながら、丁寧に針を仕上げていく。

これは、シークレットサインを彫るためのパンタグラフ。ジョージ・ダニエルズの“THE ART OF BREGUET”の32ページに掲載されたそのものの機械である。原盤に彫られたサインを、ダイヤモンドツールでエナメル文字盤に転写していく。担当する職人いわく「キスリングに、あなたならできると言われて、この作業をやる羽目になったよ」。もっとも、これがなければ画竜点睛を欠いただろう。

ブレゲのギヨシェ工房では、裏蓋に新しい「ケ・ド・ロルロージュ」パターンのギヨシェが彫られていた。これは、18世紀のパリを描いた「チュルゴーの地図」という古地図を基に、その上空から見たパリの街の線を抽出した模様だ。ブレゲは本作のために、わざわざパターンを起こしたのである。模様が中心部から広がるように、技術的に難しい放射状の配置で彫り込まれた。


創業250周年の歴史と発明を振り返るエキシビション

Les Tiroirs du Temps ~時の引き出し~

シテ・ドゥ・タン ギンザ
開催期間:2025年6月9日(月)~15日(日)
開催場所:シテ・ドゥ・タン ギンザ
東京都中央区銀座7-9-18 ニコラス・G・ハイエック センター 14階
※フランス王妃マリー・アントワネットがブレゲにオーダーした伝説の懐中時計No.160のレプリカを特別展示。

▼シテ・ドゥ・タン ギンザの来場予約はこちら
https://breguet-250years.eventos.tokyo/web/portal/1085/event/13803/module/ticket/351734


銀座三越 本館1階 ザ・ステージ
開催期間:2025年6月11日(水)~24日(火)
開催場所:銀座三越 本館1階 ザ・ステージ
※No.160のレプリカの展示はございません。


Contact info:ブレゲ ブティック銀座 Tel.03-6254-7211


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