【時計修理技師って何をしているの?〜前編〜】アフターサービスの現場が担う“ブランド価値”

FEATUREその他
2025.12.17

お気に入りの時計を末永く愛用していくために、欠かせないのがオーバーホールなどといったメンテナンスだ。また、付き合いが長くなれば、修理の必要も出てくるだろう。こういった時計のアフターサービスについて、実際にどのようなことが行われているのか知らないというユーザーは少なくない。我々メディア側も、この情報発信を十分に行っているとは言えないだろう。そこで今回、LVMHウォッチ・ジュエリージャパン株式会社のカスタマーサービスセンターの協力を得て、時計専門誌『クロノス日本版』およびwebChronos編集部の鶴岡智恵子が現場を体験しながら取材。時計のメンテナンスそのものはもちろん、実際の現場での業務やサービス内容について、前編・後編にわたって紹介する。最初は、アフターサービスの現場において「一番大切なこと」、そしてその大切なことを、いかに現場に適応させていくか、だ。

鶴岡智恵子(クロノス日本版):写真・文
Photographs & Text by Chieko Tsuruoka(Chronos-Japan)
[2025年12月16日公開記事]


時計のアフターサービスで最も大切なことは何か? LVMHウォッチ・ジュエリージャパン株式会社のカスタマーサービスセンターに聞く

 機械式時計にしろクォーツ式時計にしろ、長期にわたって使用するためには、定期メンテナンスが欠かせない。このメンテナンスはオーバーホール(分解洗浄、注油)や電池交換はもちろん、経年劣化したパーツの交換や、不具合の発見、その対処なども含まれる。

 時計の購入時に、このメンテナンスのことをしっかり考えているというユーザーは多いとは言えないだろう。いざメンテナンスの時、その費用に驚いたという声を聞くことがある(かく言う私も……)。

 そこで今回、ブルガリ、ウブロ、タグ・ホイヤーおよびゼニスといった、高級ブランドを擁するLVMHウォッチ・ジュエリージャパン株式会社のカスタマーサービスセンターの協力を得て、この現場を取材した。本記事ではこの取材のうち、同社の取締役COOであり、このサービスセンターにLVMH Watches & Jewelryウォッチメイキング アカデミーを設立のうえ、併設させるなど、アフターサービスの現場“在り方”を大きく変えてきたジュリー・ブルジョワ氏に聞いた「最も大切なこと」を掲載する。

ジュリー・ブルジョワ
LVMHウォッチ・ジュエリー ジャパン株式会社 取締役COO。2025年4月、同社が開校した「LVMH Watches & Jewelry ウォッチメイキング アカデミー」の設立者のひとり。今回のカスタマーサービスの体験型取材という、あまり例を見ない試みが現場から挙がった際、それを快諾してくれた。「良いアフターサービスは、(LVMHグループの)ブランド価値を向上させることにつながります。良いサービスを提供する会社として、お客様に評価いただけるよう、実際にサービス向上に尽力するとともに、メディアからの情報発信も大切にしたいと思っています」。

アフターサービスの重要性

 今回の現場取材を行うにあたり、ブルジョワ氏からLVMHグループにとってのアフターサービスとは何かを聞いた。

「私たちにとって、時計のアフターサービスは極めて重要です。なぜなら私たちが扱う時計はとても量が多いうえに、クォーツ式にしろ、機械式にしろ、複雑な構造をしたムーブメントを有しており、メンテナンスが欠かせません。そのため、会社として(アフターサービスを行う部門に)きちんと投資をしています。それは設備に対してもですが、“人”もです」

Photograph by Masahiro Okamura (CROSSOVER)
本記事の後編でも掲載するが、このサービスセンターは設備の充実さにおいて、数ある修理現場の中でも有数のものとなっている。例えば外装ポリッシュの現場には8台ものバフモーターが設置されていることに加えて、レーザー溶接機も用意されている。

 確かに実際に現場で時計のメンテナンス体験をして、人の手作業による工程の多さを、改めて思い知った。時計の製造面ではコンピューター制御やオートメーション化が進められているが、メンテナンスに関しては人の手が絶対不可欠であることを彼女は何度も強調した。

「LVMHグループはサヴォアフェールとともに歩み、発展してきました。会社として歴史的に人の手を大切に考えてきたので、アフターサービスでも働き手のケア、人材への投資をしていく姿勢は変わりません。時計技術者の体験をしてみて、いざやってみると難しいと思いませんでしたか? 経験のある技術者になるには、時間がかかります。だからこそ私たちは経験者を採用するだけではなく、若い人材を採用し、育てていきます。雇用はもちろん、雇用者のトレーニングやケアを絶え間なく続けていきます」

 しかし、細かな、それでいて構造や機構について理解しなくてはいけないという時計のメンテナンスは、人材育成にも難しさが多い。

こちらも後編で紹介するが、「Heuer02」のクロノグラフ機構の部分を分解体験した際の画像。パーツが細かいうえにドライバーやピンセットでパーツに傷を付けないように配慮しなくてはならず、もう一度やれと言われたら気合いが必要です……

「若い人を雇用する難しさはありますよね。情熱がある人を見つけなければいけないのと同時に、細かい仕事なので手先が器用であることや、不具合を見つけて直すためのロジカルな思考回路を持つことが求められて……いろいろなスキルが必要な仕事なんです。それに、ITやAIといった新しい技術を使ったような仕事とは異なるので、古臭いと思われているのではという懸念もあります。でも、実際は『クールな仕事』で、将来性もあります。この仕事についてもっと知ってもらいたいという気持ちが大きいです」

 余談だが、ブルジョワ氏はファイナンス職の出身だという。しかし利益最優先ではない姿勢が、人材育成に関する彼女の考え方からよく伝わってきた。「まず社員が気持ちよく働ける環境をつくります。そうしたら生産性と品質が良くなりますよね。最後に利益がついてくるんです」。

業界で一番良いサービスを提供することがブランド価値

 そんな彼女が志向するカスタマーサービスとは、どのようなものなのだろうか?

「ただ単にサービスを行うだけではなく、時計業界で一番良いサービスを提供したいと思っています。そのために重要視していることはふたつあります。ひとつは、顧客の声を聞くこと。例えば顧客は店頭での素早いサービスを求めているのか? ピカピカの外装にしてほしいのか? 自分たちの方針だけではなく、顧客の声を聞いて対応していくことは重要です。もうひとつは、その半面、グループ内の各ブランドの製品の変化にも対応しなくてはいけないということです。例えばタグ・ホイヤーの『タグ・ホイヤー フォーミュラ1 ソーラーグラフ』。ソーラーウォッチのような新しい構造の時計が発表されれば、それに対応するように、古いものから新しいものまでメンテナンスできる体制を整え、維持することが 良いサービスにつながると考えています」

 アフターサービスの現場、そしてブルジョワ氏を取材して気付かされたのが、カスタマーセンターが持つブランディングの側面だ。私たちメディアは、どうしても製品そのものの情報を発することが多い。しかし購入した時計を使い続けていくユーザーにとって、ブランドとの付き合いは購入後も続いていく。

「とにかくベストサービスを続けるというのが、私たちがやるべきことです。お客様は購入して満足して終わりではなく、その時計を所有し、使っていきますよね。短期ではなく、長期にわたって顧客と私たちの関係は続くので、そのサービスの質を上げ、ファンでいてもらい続けるというのが、結果としてブランド価値を高めていくと考えています」

各ブランドの多種多様な時計のアフターサービスに対応するべく、本サービスセンターには、なんと、レーザー溶接機も常設されている。


販売の現場にも共有される「大切なこと」

 今回、実際に時計とムーブメントを使った分解、洗浄、研磨を体験したほか、「アフターセールスサービスセミナー」も受講した。このセミナーはLVMHウォッチ・ジュエリージャパン株式会社が擁する各時計ブランドの正規取扱店の販売員向けに用意されており、「機械式時計の知識を増やし、時計販売時や修理対応時にお客様との円滑なコミュニケーションによりお客様に安心感を与え、ファン(お客様)を増やす」ことを目的としている。

 セミナーは「機械式時計が動く仕組み」「修理対応時のコミュニケーション」「よくある質問とその解答例」の3つの項目に分かれる。それぞれが基礎知識の下に文字で解説されているが、ユニークなのが「機械式時計が動く仕組み」をはじめ、細やかなイラストや図解も資料に使われていることだ。さらにセミナーとは別に、レベルに合わせたクイズも用意されている。なお、販売員向けとはいえ、LVMHウォッチ・ジュエリージャパン株式会社の全従業員がオンラインでこのセミナーおよびクイズにアクセス可能となっていることも特筆すべき点だ。

本セミナーはただ情報が記されたマニュアルではない。知識を付けること、顧客の声に寄り添うこと、そのどちらもが重要であると強調されていた。例えば何かトラブルの訴えを店頭スタッフが顧客から受け取った時、修理ではなく、使用状況を変えるだけで解決するケースもある。大切なのは顧客から時計の状態をしっかりヒアリングし、どんな原因が考えられるのか、解決までにどれくらいの時間がかかるのかをできる限り説明し、一緒に解決していこうとする姿勢なのだという。

 このセミナーを主導しているスタッフによると、入社時だけでなく、こういったセミナーを従業員が常時アクセス可能としている時計メーカーは珍しいという。卑近な話となって恐縮だが、確かに私が以前時計の小売りで働いていた時、ここまで細やかなアフターメンテナンスのトレーニングを行っているショップは、あまり耳にしなかった。

 セミナーの内容は分かりやすいことに加えて、実践的な情報が盛り込まれているため、現場で働く従業員にとって、貴重な羅針盤となることだろう。

 なお、セミナーの目的は前述した通りで、同時にブルジョワ氏が強調した「良いアフターサービスを提供することがブランド価値になる」という姿勢は、本セミナーでも受け継がれている。愛機のトラブルで不安になっている顧客を安心させ、接客面でも技術面でも適切な対応をすることで信頼を寄せてもらい、「このカスタマーサービスセンターなら愛用する時計を安心して任せられる」という気持ちを顧客に持ってもらうことで、ひいてはブランドそのものを信頼することとなり、「(何かあっても相談できる)一生ものの時計を買う価値がある」といったイメージへとつながっていくのだ。

 このように、LVMHウォッチ・ジュエリージャパン株式会社としての考え方がアフターサービスの技術者、販売員といった、現場で働くスタッフにも共有され、適応されていることが、本カスタマーサービスセンターの大きな強みであると、今回の取材で感じた。

 そんなLVMHウォッチ・ジュエリージャパン株式会社のカスタマーサービスセンターの様子と体験型取材については、後編(2025年12月下旬公開)へ続く!



Contact info:LVMHウォッチ・ジュエリー ジャパン株式会社
人事担当・古戸
yumiko.furuto@jp.lvmhwj.com


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