「時を忘れる時計」をはじめ、エルメスの独創的な2025年新作モデルを振り返る

2025.12.16

『クロノス日本版』編集部が取材した、時計業界の新作見本市ウォッチズ&ワンダーズ2025。「ジュネーブで輝いた新作時計 キーワードは“カラー”と“小径”」として特集した本誌でのこの取材記事を、webChronosに転載する。今回は、編集長の広田雅将が「潔いほどブレがない」と評する、エルメスの2025年発表モデルを振り返る。

アルソー タンシュスポンデュ

エルメス「アルソー タンシュスポンデュ」
エルメスの成熟を感じさせる新作。2011年モデルと造形は同じだが、仕上げなどは一新された。写真モデルの文字盤カラーは、1925年のレザーに範を取った「ルージュ・セリエ」カラー。下地の処理を変えることで、文字盤に多彩なニュアンスを添える。自動巻き(Cal.H1837)。2万8800振動/ 時。パワーリザーブ約45時間。18KWGケース(直径42mm)。3気圧防水。
三田村優、堀内僚太郎:写真
Photographs by Yu Mitamura, Ryotaro Horiuchi
広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2025年7月号掲載記事]


“らしさ”を貫き存在感を放つメゾンの軽やかさ

Cal.H1837

2011年モデルとはムーブメントも異なる。アジェノーが設計した4111モジュールは従来に同じだが、ベースはETA(もしくはセリタ)から、エルメス・マニュファクチュールの自動巻きCal.H1837に置き換わった。仕上げはエルメス流だが、緩急針のないフリースプラングテンプを採用する

 各社とも、難しい舵取りを迫られる2025年。新製品の多くは、そんな市況を反映したものだった。しかし相変わらず、エルメスは潔いほどブレがない。今年、同社が打ち出したのは、9時位置のボタンを押すと時分針が12時位置に動き、日付表示の針も隠れる「タンシュスポンデュ」である。偶然とはいえ、こんな時期に「時を忘れる時計」をリバイバルさせたのは、いかにもエルメスではないか。用意されたのは「アルソー」が3モデル、「カット」が3モデル。もっとも、エルメスの成熟を反映して、時計としては別物に進化を遂げた。

エルメス カット タンシュスポンデュ

エルメス「エルメス カット タンシュスポンデュ」
こちらはカット版。丸さを強調した造形に合わせて、あえて日付表示を省いたほか、立体感を出すべく、文字盤の彫り込みを深くしている。写真が示す通り文字盤の発色は群を抜いて良い。自動巻き(Cal.H1912)。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。18KRGケース(直径39mm)。10気圧防水。

 好例が文字盤だろう。表面をわずかに粗くしたラッカー仕上げの文字盤には、ムーブメントを見せるべく、薄く着色されたサファイアが組み込まれた。加えて5分おきのミニッツインデックスはなんと別部品。色への取り組みもエルメスらしい。創業以来、7万5000色もの独自色を開発してきた同社は、それをタンシュスポンデュにあしらったのである。シリアスなモデルが多かった今年の見本市、そんな中にあって、軽やかに機構と色で違いを打ち出したエルメスの存在感はひときわ目立っていた。

アルソー タンシュスポンデュ

エルメス「アルソー タンシュスポンデュ」
こちらはブラウン・デゼールをあしらったもの。今のエルメスらしいのが日付表示のフォントだ。2011年モデルはブロック体だったが、本作ではインデックスに寄せ、しかし視認性の高い書体となった。自動巻き(Cal.H1837)。2万8800振動/時。パワーリザーブ約45時間。18KWGケース(直径42mm)。3気圧防水。


ローラン・ドルデをインタビュー

 昨年はハイビートのセントラルトゥールビヨンで時計関係者たちを驚かせたエルメス。今年は一転して「タンシュスポンデュ」を押し出した。これは、9時位置のプッシュボタンを押すと時間と日付表示が隠れて、時を忘れさせる腕時計だ。言わずと知れた傑作だが、なぜ今年、エルメスはこのモデルを打ち出したのか? その理由を語ったのは、エルメス・オルロジェのCEOであるローラン・ドルデだ。

タンシュスポンデュとはエルメスの時の哲学を具現化したモデルです

ローラン・ドルデ

ローラン・ドルデ[エルメス・オルロジェ/CEO]
1969年、フランス生まれ、パリ高等商業学校卒業後、91年にアーサー・アンダーセン入社。95年にエルメス・インターナショナルの経理部門に入社後、シルク部門の責任者およびレザー部門の最高責任者を経て、2015年3月にラ・モントル・エルメス(現エルメス・オルロジェ)のCEOに就任。ビジネスと創造性を巧みに両立させてきた彼のスタイルは、時計関係者からの評価も高い。

「私は10年前にエルメスの時計部門に入りました。その時私は、これは自分のための時間や、今、目の前にいる大切な人と分かち合う時間を表現するという、エルメスの時の哲学を具現化する存在だと思ったのです。しかしこんなに素晴らしい腕時計が十分にアピールされていないことを残念にも思ったのです」。クリエイティブ・ディレクターであるフィリップ・デロタルと、またこのモデルを作ろうと話した彼は今年、満を持して、再解釈版をリリースした。大きな違いはムーブメントだ。

「初代はムーブメントがやや工業的だったので、どうせならばもっと本格的なムーブメントで再解釈すべきと思っていたんです。ただし、マニュファクチュールムーブメントを載せても、それ以外は初代と同じで、サイズ違いを出すだけでは意味がない。その後コンプリケーションが揃い、満を持して再出発のタイミングを計ることができました」。確かに、同じように見えるタンシュスポンデュだが、出来栄えは大きく違う。

「文字盤もかなり変わっています。中央部はスケルトン風で、ブラウン系の色味やサンドブラスト加工などにより、以前のクラシカルな白文字盤よりも視覚的なスペクタクル性を高めました。また『カット』に同じく、新しいケース形状に合わせてリュウズとプッシュボタンの位置を調整するなど、ディテールにもエルメスらしさを反映させました。腕時計としての完成度は、以前よりも明らかに高まっていますが、押しつけがましくない控えめな上質さは、変わらぬエルメスらしさだと思っています」

 しかし面白いのは、エルメスの時計作りに対するスタンスだ、このメゾンは毎年、新製品を作るという強迫観念が全くない。

「今年の『マイヨン リーブル ウォッチ』のように、新しい切り口のジュエリーウォッチを求めるお客様もいますので、そういった方々に向けた新しい提案は必要だと思っています。しかし、毎年必ず新作を出さなければというプレッシャーは強くないのです。これからの数年間は、毎年1〜2本の新しい提案ができればいいですね」。ユニークな創造性と経営を巧みに両立してきたエルメス。急がないスタンスもまた、同社の「らしさ」と言えるだろう。

「私たちは軽やかさやサプライズを決して失ってはいけないと考えています」。成熟し、ビジネスを拡大させてむしろ、自分らしさに立ち返るエルメス。あえてタンシュスポンデュを打ち出すスタンスは、今年も潔いまでに清々しい。



Contact info:エルメスジャポン Tel.03-3569-3300


2025年 エルメスの新作時計を一挙紹介!

FEATURES

エルメスの時計を知る。時を超えるエレガンスとモダンデザインの融合

FEATURES

エルメスの2024年新作モデル「エルメス カット」。スポーティかつ洗練されたユニセックスモデルが登場

FEATURES