精密機械やブランドの歴史を超えたところで、腕時計の世界には、その“本当の魂”を可視化するディテールが存在する。それがパティナ(経年変化)である。ある人にとっては「欠点」と映るものが、コレクターの間ではしばしば個性として評価される。パティナは、時計を単なる計時装置から物語を宿す唯一無二の存在へと変え、所有者の情熱そのものを刻み込むのだ。

かつてのホワイト/シルバーは面影を残すのみだが、温かみのあるブラウンが独自の魅力を与える。
Text by Johannes Beer
[2025年12月24日掲載記事]
パティナとは何か。して、どこで生まれるのか
パティナとは、時計の各部品に生じる経年あるいは使用に伴う変化を指す。これらは損傷ではなく、美的価値を付加する要素として捉えられる。光、空気中の湿度、素材の化学反応、さらには装着習慣などによって生まれ、その結果として一点一点異なる痕跡が刻まれるのだ。
文字盤
文字盤に現れるパティナは、とりわけコレクターの関心を集めやすく、その表情や要因も多岐にわたる。
文字盤に現れるパティナの代表例として、まず挙げられるのがトロピカルダイアルである。これは長年にわたる紫外線の影響によって、主にブラック塗装の文字盤が分解・退色し、ブラウンやチョコレート色へと変化する現象を指す。経年の進み方は一点一点異なり、まったく同じ表情を持つものが存在しないことから、希少性の高いパティナとして知られている。
これに対し、スパイダーダイアルは、高い経年や温度変化、あるいは素材由来の要因によって、文字盤表面にクモの巣状の微細な亀裂が生じた状態を指す。網目のようなひび割れが独特の表情を生む一方で、その外観については好みが分かれ、すべての愛好家に受け入れられるパティナではない。
フェーディングは、トロピカルダイアルとは異なる経年変化である。紫外線や酸化の影響によって顔料そのものが弱まり、結果としてブラウン系ではなく、グレーや淡いブルー、あるいはパステル調の色合いへと変化していく。全体として柔らかく褪せた印象を与える点が特徴だ。

文字盤中央が自然に退色し、印象的なグラデーションを形成。
さらにステイニングと呼ばれる現象も存在する。これは斑点やシミが文字盤上に現れるもので、均一に分布している場合には、かえって魅力的に映ることもある。局所的な腐食によってラッカーが不均一に劣化することで生じ、結果として個体ごとに異なる表情を生み出す。
ケースと金属
ケースもまた、酸化や環境要因によって変化する。とりわけ同一ケース内でも、仕上げの違いによって異なる経年を見せることがあり、人工的には再現できない色彩の変化が生まれる。
ケース素材もまた、時間の経過とともに確実にその表情を変えていく。ステンレススティールは、傷や打痕が刻まれるだけでなく、日常的な着用を重ねることで徐々に光沢を失い、わずかに暗い色調へと移ろっていく。エッジは次第に丸みを帯び、全体として柔らかく落ち着いた印象のケース形状へと変化する。
一方、ブロンズは数あるケース素材の中でも、とりわけ個性が際立つ存在だ。比較的短期間のうちに青緑色の酸化皮膜を形成し、その表情は一本ごとに大きく異なる。この再現性のない唯一性こそが評価され、使用環境を選ぶことで、あえてパティナを進行させる例も見られる。
シルバーもまた、経年変化が顕著に現れる素材である。酸化によって色調が変化し、濃いグレーやブラックの変色を帯びていくため、短期間の使用であっても、アンティークウォッチを思わせる落ち着いた外観を獲得することがある。
ベゼル
ベゼルは日光や環境の影響を直接受けやすく、特有の経年変化を示す。
ベゼルは、時計の中でもとりわけ日光や環境の影響を直接受けやすい部位であり、そのため独特の経年変化を示すことが多い。なかでも、いわゆるゴースト・ベゼルと呼ばれる状態は、長年にわたって日差しの強い地域で使用されることで、ブラックやカラーのアルミ製インサートが退色し、グレーや淡いパステル調へと変化したものを指す。こうした柔らかな色合いに移ろった個体は人気が高く、コレクターの間でも特に評価されている。
また、初期のロレックス・スポーツモデルなどに採用されていたベークライト製ベゼルも、パティナを語るうえで欠かせない存在だ。経年による魅力的な色抜けが生じる一方で、素材特有の脆さからひび割れやすいという弱点も併せ持っており、その繊細さが希少性をさらに高めている。
これに対して、セラミック製ベゼルはまったく異なる特性を備える。非常に高い硬度を誇り、耐傷性や耐退色性にも優れるため、事実上パティナを形成することはない。その結果、ヴィンテージ的な経年変化を重視するコレクター層からの需要は高いとは言えない。
蓄光塗料
インデックスや針に施された蓄光塗料は、経年変化の影響を特に受けやすい。
インデックスや針に施される蓄光塗料も、パティナが顕著に現れる要素のひとつである。なかでもトリチウムは、1960年頃から2000年頃まで広く使用されてきた放射性素材で、時間の経過とともに徐々に分解が進み、発光力を失っていく。あわせて色調も変化し、当初のホワイトからクリーム色、さらに蜂蜜色やオレンジへと移ろう。実用面では本来の機能を果たさなくなるものの、その温かみのある色合いは、現在ではパティナの魅力として高く評価されている。

かつて白色だった放射性の夜光塗料が変色し、昼光下でのみ確認できるブラウンへと変化する。
それ以前に用いられていたラジウムは、1960年代初頭まで使用されていた素材であり、非常に強い放射能を持つ点が特徴だ。この放射能によって結合剤が破壊され、最終的には濃いブラウンから、ほとんど黒に近い色調へと変化する。表面は脆く崩れやすくなり、独特の荒れた質感を帯びることになる。
これに対し、1998年頃から採用されているスーパールミノバは、非放射性素材として開発されたものだ。高い耐久性を備え、経年による劣化が極めて少ないため、色調は白から淡いグリーンを保ち、基本的に大きな変化を見せることはない。その安定性ゆえに、パティナという観点では対照的な存在と言える。
パティナは単なる視覚効果ではない。それは時計と装着者、過去と現在との静かな対話である。完璧さが容易に再現可能な時代において、パティナこそが時計を唯一無二の存在へと昇華させる。
ロレックス、オメガ、パテック フィリップのヴィンテージアイコンから、これからの時を刻むブロンズ製モダンウォッチまで──パティナは、真の時計史を刻む高貴な証であり続ける。
現行モデルもいつかは未来のパティナ

多くのブランドが耐久性と安定性を追求する一方、時とともに独自の“魂”を育むことを前提としたモデルを手がけるメーカーも存在する。パネライのブロンズコレクションは、その代表例だ。
自動巻き(Cal.P.900)。23石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約3日間。ブロンズケース(直径42mm、厚さ4.2mm)。30気圧防水。267万3000円(税込み)。(問)オフィチーネ パネライ Tel.0120-18-7110



