現代社会においてなぜ耐磁性が必要なのか?高耐磁時計も紹介

FEATURE本誌記事
2019.12.10

現代社会の必須スペック

 現代社会を生きる我々の身の回りには、想像以上に強力な磁気があふれている。最も身近な携帯電話やタブレット端末などの電子機器を筆頭に、その例は枚挙にいとまがない。実は、その磁気こそ、機械式であろうが、クォーツであろうが、時計にとって精度を狂わす大敵なのだ。にもかかわらず、高耐磁性能を備える腕時計があまりにも少ないのが現実だ。
 本特集では、現代社会ではもはや、“必須スペック”と言っても過言ではない「高耐磁性」に着目して、いかにして時計の帯磁を防ぐかを伝授したい。さらに、現在入手できる高耐磁時計の実力を検証する。

広田雅将:取材・文 Text by Masayuki Hirota
吉江正倫:写真 Photographs by Masanori Yoshie
加藤麻依子:イラスト Illustrations by Maiko Kato

現代社会においてなぜ耐磁性が必要なのか?

ここ20年で、実用品としての腕時計は完成に近づきつつある。その理由は3つある。
まずはケースの加工精度が向上し、ケース素材が耐食性の高い316Lやチタンに置き換わったこと。
次に風防がプレキシや強化ガラスからサファイアクリスタルに変更されたこと。
加えて、防水パッキンの素材も進化し、今や腕時計の防水性や耐久性に文句を付けるのは難しい。

しかし、21世紀においても、ある弱点は手付かずで残された。それが耐磁性である。

PCやタブレットにもネオジム磁石などが多用されている。実測したところ、HTC「フライヤー」はスピーカー部の磁力が3000A/m(密着時)もあった。レノボ「シンクパッド」は磁気を検知しなかったが、内蔵するハードディスクの磁石は、推定で24万A/mもの磁力を持つはずである。

携帯電話のスピーカーやバイブレーターには、強力なネオジム磁石が多用されている。その磁力は非常に強く、iPhoneのスピーカーは約1万A/m、ブラックベリーのそれは約1万5000A/mもある(いずれも密着時の実測値)。時計を密着させたら、磁気帯びはまず避けられないだろう。

 クォーツ、機械式を問わず、時計ムーブメントの内部には、多くの金属製部品が使われている。これらのほとんどは、磁気を帯びやすい、つまり磁石にくっつきやすい「強磁性体」である。カナや天真、脱進機や巻き真などに使われる鋼、安価なエボーシュムーブメントがテンワに採用するニッケル、ヒゲゼンマイの素材であるインバーやエリンバー合金などがその例だ。

 こういった強磁性体が磁気に接すると、機械式時計では遅れや止まり、ステップモーターを内蔵するクォーツウォッチの場合は止まりの原因となる。クォーツの場合、磁気から時計を離すと元通りに動き始める(例外もある)。しかし、機械式時計の場合、残留磁気(残された磁気)の影響により、磁気から離しても精度は回復しない。この状態を「磁気帯び」といい、残った磁気を消さない限りは、まず元には戻らない。

 かつて、時計が磁気帯びすることは少なかった。例外は強い電流が流れる環境だが(電流が流れると磁気が発生する)、それは発電所や電気機関車の内部、レーダーや放送機器のそばなどに限られた。対して、時計メーカーは、こういった機器のオペレーターや専門家向けに、磁気帯びしにくい「超耐磁時計」をリリースした。しかし、普通の人は時計が磁気帯びするような環境とは無縁で、こういった超耐磁時計が市民権を得ることはなかったのである。

(左)強力な電磁波を放つといわれる電子レンジ。天板の磁気はわずか0.8A/m(密着時の実測値)しかないが、内部の磁気をシールドで漏れないようにしているだけである。できるだけ時計は近づけないほうが望ましいだろう。また、扉を固定する磁石は、1万~3万A/mもの磁力がある。
(中)男性誌が勧める時計とアクセサリーの重ね着け。何を着けても構わないが、磁石を内蔵した磁気アクセサリーは厳禁だ。最低でも10万A/m(密着時)ほどの磁力を放つため、時計と密着したら、磁気帯びはまず避けられない。逆の腕に着けるならよさそうだが、時計に当たらない保証はない。
(右)バッグや携帯電話ケースなどに使われるマグネットホックは、時計を磁気帯びさせる最大の要因である。磁石の種類や形状によって異なるが、約2万~最大で27万A/m(密着時)もの磁力があった。時計愛好家ならば、極力マグネットホックを使ったものを身の回りから遠ざけたほうがよいだろう。


 だが、今や私たちの回りには磁気があふれるようになった。問題となっているのは、電流が発する磁気以上に、かつて想像もできなかった磁石自体が発する磁気である。

 日本の住友特殊金属(現・日立金属)は、1984年にネオジム、鉄、ホウ素を主成分とするネオジム磁石を開発した。これは既存の磁石に比べて5倍以上という磁力を持つもので、以降、磁石の小型化は大きく進んだ。いわゆる磁気健康機器や携帯電話、ポータブルオーディオなどはネオジム磁石の恩恵を最も受けたものだ。また、新磁石は、カバンなどに使われるマグネットホックも一般化させた。これは72年に発明されたものだが、小型で強力な磁石がなければ、広まりを見せることはなかっただろう。

 以前は身の回りには稀であった強力な磁石。しかし、今や日常生活に不可欠な存在となり、しかも小型化の結果、どこに用いられているのか分かりにくくなってしまった。かつては、時計を磁気がありそうな場所から離すことは常識であった。しかし、現在は身の回りの至る所に、しかも分からないかたちで磁石が潜んでいる。気をつけて使っても、時計を磁気帯びさせないほうが難しいだろう。

※すべての製品を測定したわけではありません。
※同じ商品でも磁界の強さには個体差があります。
(セイコーウオッチ調べ)

(上)ISOやJISが定める耐磁時計の基準は、4800A/m(=60ガウス)の磁場(=磁界)にあっても、日差±30秒以内に収まることである。JISにはもうひとつ上の2種基準もあり、これは1万6000A/mが条件だ。上の表が示す通り、身の回りには耐磁時計でも耐えられないほど強い磁気を持つものが多いが、磁気の強さは、距離の二乗に反比例する。耐磁時計なら磁場から5cm以上、普通の時計は10cmも離しておけば、時計が磁気帯びする心配はまずない。なお、磁場には直流と交流がある。現在、身の回りで時計を磁気帯びさせる原因は、大半が直流磁場。(右)磁気の測定に使用したF.W.BELL社のガウスメーター、モデル5080。写真の磁石の磁気は2020A/m。


 筆者が見聞きした限りで言うと、日常起こる不具合の大半は、磁気帯びが原因である。また、修理に出される時計の多くも、多かれ少なかれ磁気帯びしていると言って間違いはない。とりわけ、部品に鋼を多用したリピーターやクロノグラフなどは、磁気帯びしていない個体を見つけるほうが難しいだろう。実際に、あるサービスセンターに所属するベテランの時計技術者は次のように語る。「修理に出される時計の少なくとも3分の1は磁気帯びしています。あくまで私見ですが、20~30ガウス(=1600~2400A/m)の磁気の中では、機械式時計は日差にして20~30秒程度の遅れが出るでしょう」。

 では、時計の磁気帯びが避けられない現在、どうすれば磁気から時計を守れるのだろうか。磁気から時計を遠ざけることは当然としても、有効な解決策がひとつだけ存在する。それがムーブメント全体を「軟磁性体」でくるむという手法だ。これは古典的だが、極めて効果的な解決策である。