本田雅一、ウェアラブルデバイスを語る/第3回『スマートウォッチと体験の質』

FEATUREウェアラブルデバイスを語る
2017.12.11
本田雅一:文
Text by Masakazu Honda

テクノロジーの分野で、知らぬ人はいないほどのジャーナリストが、本田雅一(ほんだ・まさかず)氏だ。その本田氏が、腕に着ける装置「ウェアラブルデバイス」を語る。第3回目はスマートウォッチの発展に欠かせない“体験の質”についてである。

“ウォッチ”というフォーマット

 多くの人の心中には“腕時計とは”という基本フォーマットが定まっているのではないだろうか。現在の腕時計を端的に表現するならば、最新の技術をもって、可能な限り複雑な(機能面だけでなく、正確性も)メカニズムを、身にまとうための小型ケースに収めた機械、あるいは電子機器となるだろうか。

 しかし、実のところ基本フォーマットなんてものは存在しないのではないか。これが前回投げかけた疑問であり、テーマであった。時代によって技術も、あるいはユーザーが置かれている生活環境も異なる。もっと幅広く目を向ければ、社会環境そのものが異なる。

 前提条件が異なれば、求められる道具の質や機能は変化し、それが新たな腕時計を生み出していく。すなわち、腕時計は技術進歩や市場環境などの変化を映す鏡ということだ。ラディカルな、見方を変えると実に奇妙に見える腕時計も、世の中や技術のトレンド変化を象徴しているだけで、数年もすれば世の中に馴染んでいき、奇妙なものではなくなる。

 腕時計という日本語を考えたとき、どうしても“時計”という部分にとらわれがちだが、英語における“ウォッチ”とは、本来そうしたデバイスなのかもしれない。

 筆者が腕時計に興味を持ち始めたのは、1978年、デジタル時計ブーム直後にシチズンが“デ・ジ・ア・ナ”と特徴的なサウンドロゴを流しながら、デジタル時計の機能性に小さなアナログ時計を加えることで視認性を高めたコンビネーションウォッチを発売した頃のことだ。子どもの目には、その六角形をモチーフにした時計が、たまらなく未来的に見えたものだ。このコンセプトはその後、“アナデジ”と称してアナログ時計デザインベースにデジタル表示を追加する、アナログ回帰デザインなどの派生製品を生んだ。

 現在は複数の機能を組み合わせるコンビネーション型の腕時計は、特殊なスタイルではない。しかし当時は「アナログ時計の方が優れている」「いやいや、デジタルの機能性は将来的に……」と議論があった頃。それぞれに派閥があった、と記憶している。

 僕なりの解釈におけるデジアナとは、“どちらの方が機能的か”という議論に対して、コンポーネントの小型化とデザイン/レイアウトの妙で、コンビネーションウォッチを実現、それをもって“回答”とした点にあったのだと思う。

 そのように考えれば、すべての人がデジアナを好まないように、スマートフォンの時代にその価値を腕時計の形に詰め込むというのは選択肢のひとつであり、あらゆるニーズを集約する終着点ではない。ウォッチという製品は、時代によって変化し、新たなジャンルを生み出し、そして奇抜だったアイデアが開いた世界も日常になっていく。

 そう、そのうち“スマートウォッチ”などという言葉は徐々に使われなくなり、デジタルでもアナログでも“腕時計”に違いないように、ひとつのジャンルとして確立されていくのだろう。

(左)本田雅一氏に腕時計への興味を抱かせたのが、1978年に発売されたシチズン「デジアナ」だ。国産初のデジタルとアナログによる本格的コンビネーションウォッチは当時、大きな話題となった。(右)デジアナで得たノウハウを活用し、登場したのが国産初のアナログ主体のコンビネーションウォッチ「アナデジ」。アナログ時計が中心のデザイン性とデジタル表示の多機能性で大ヒット商品となった。1980年発売。