日本の独立時計師が語るジャパンテクノロジー(浅岡肇編)

FEATURE本誌記事
2019.09.17

日本製品に対する世界の印象を総括すれば、だいたい“ハイクォリティ”というあたりに落ち着く。これはようやく世界展開の緒に就いた国産腕時計にも同様だが、それが“高級時計”と認識されるには、まだまだ時間が必要だろう。こうした中で、日本流の美意識と技術を世界に向けて発信しているふたりの独立時計師。彼らの最新の取り組みと、彼らの周囲にある国内の各種製造業から、誇るべきジャパンテクノロジーの姿を浮き彫りにしてみたい。

吉江正倫:写真 Photographs by Masanori Yoshie
鈴木裕之:取材・文 Text by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2015年1月号初出]

浅岡 肇

浅岡 肇
1965年神奈川県生まれ。東京芸術大学を卒業後、92年に浅岡肇デザイン事務所を設立。腕時計をはじめとするプロダクトデザインや広告、3DCGなどを多く手掛け、2009年に初作となる「トゥールビヨン#1」を完成させる。13年よりAHCI準会員。

 もうひとりの日本人独立時計師、浅岡肇は、菊野が正会員に昇格した13年にAHCI準会員としてバーゼルデビューを飾った。浅岡が個人作家としての初作「トゥールビヨン♯1」を独力で作り上げたのは09年のこと。ただし、浅岡は現役のプロダクトデザイナーであり、当時からシチズンなどの国産メーカーとも繋がりを持っていた。事実、浅岡はAHCIでも〝特待生扱い〞であり、ふたりの正会員がペアレントとなって推薦することが準会員となる条件の中、浅岡は片親のまま、満場一致で入会を認められている。製作の基本に自作のCNCを駆使することは初作から変わらず、バーゼルデビューモデルとなった「TSUNAMI16」は、その完成度の高さとともに、工程設計に関するノウハウの確かさが関係者(多くは同業他社)の話題となった。結局のところ、最新鋭のCNCと言っても基本的な性能は大きく変わらず、オペレーションの良し悪しが製品の質を決定する。手作業による仕上げにも徹底的にこだわる浅岡だが、氏の技量が特に卓抜している点は、CNCのオペレーション能力に集約されよう。浅岡と寸法公差の話をすると、こちらの気が遠くなってくる。

 その浅岡が14年に発表した「プロジェクトT」は、斬新な設計のトゥールビヨンであること以上に、国内の製造業者とコラボレーションを組んだことが衝撃的だった。茅ヶ崎で〝研究開発型町工場〞と称する「由紀精密」と、タップ、ドリル、エンドミルなどの総合工具メーカー「OSG」の2社である。浅岡と彼らの出会いは少々変わっている。まず由紀精密は、『全日本製造業コマ大戦』の第1回優勝者。素材、高さ、重量制限なしで直径20ミリ以下というルールを用い、要するに〝ケンカゴマ〞を行うのだが、浅岡はこれに関心を示した。一方のOSGは、フジテレビ系列の『対決バラエティ ほこ×たて』で、初の引き分けに持ち込んだ企業。自身もOSGユーザーであった浅岡は、フェイスブックを通じて彼らと交流を重ね、別個にコラボレーションの話が立ち上がる。これを一本化したのがプロジェクトTだ。同時に浅岡は由紀精密を通じて、次作に使ってみたいと考えていた「ミネベア」の世界最小ボールベアリング(14年時点、直径1.5ミリ)を入手する。技術開発には成功したものの、用途の開拓に難行していたミネベアにとっても、高級時計産業は可能性にあふれた新天地だったに違いない。

ハジメ アサオカ プロジェクトT

ハジメ アサオカ プロジェクトT
世界最小の工業用ボールベアリングを多用した、2作目のトゥールビヨン。エボーシュの製造には、由紀精密や工具メーカーのOSGが参加している。手巻き。ボールベアリング13 個。1万8000振動/ 時。パワーリザーブ約42時間。SS(直径43mm)。800万円。問 http://hajimedesign.com


(左)キャリッジ真を受けるのが、ミネベアから提供された世界最小の工業用ボールベアリング。ツヤ感が素晴らしいブラックダイアルは、OSGが担当した工具用のDLCコーティング。
(右)プロジェクトTの機構的特徴となるデタッチャブル構造。香箱と巻き上げ機構を“パワーパック”としてまとめ、キャリッジを含む2番車以降の輪列と日の裏をモジュール構造とする。メンテナンス性にも優れるが、何よりキャリッジの真出しを厳密に行うことが主目的。

 当初浅岡は、由紀精密に極小チタンネジの製作を依頼するつもりだったという(創業時はネジメーカー)。しかし航空宇宙産業や医療器機部品の試作/量産まで行う同社の内実をひと目見るなり、トゥールビヨンのパーツを製作するには十分すぎる設備と技術を擁していることに気が付いた。一方のOSGも、自社製工具のテスト目的で、あらゆるCNC器機を備えており、その操作技術も卓越していた。なおこのあたりの事情は、菊野が賞賛する「ミナセ」のケースとも共通する。OSGと同じく、母体は工具メーカーの「協和精工」であり、時計産業ではリュウズ穴用の段付きドリルでシェアを伸ばした。同社は下地磨きの〝ザラツ研磨〞に秀でた技術を持ち、成果は新作「ディヴァイド」などに見られる。

 話をプロジェクトTに戻そう。浅岡、由紀精密、OSGのコラボレーションが息の合ったところを見せたのは、ケースの試作過程だった。胴の切削は由紀精密による旋盤加工。ラグはOSGの5軸CNCによるフライス加工。設計は浅岡が行ったが、彼は特に3次曲面を多用するデザイナーなのである。当然ラグの嵌合部も3次曲面で設計されていたが、たいした下打ち合わせもせずに、試作品はピタリと合ったという。