広島の名店「下村時計店」下村光則氏に聞く/時計の賢人、その原点と「上がり時計」

FEATURE時計の賢人その原点と上がり時計
2021.01.10
安堂ミキオ:イラスト

時計の賢人たちの原点となった最初の時計、そして彼らが最後に手に入れたいと願う時計、いわゆる「上がり時計」とは一体何だろうか? 本連載では、時計業界におけるキーパーソンに取材を行い、その答えから彼らの時計人生や哲学を垣間見ていこうというものである。今回話を聞いたのは、広島市内で5店舗を展開する下村時計店の下村光則氏だ。下村氏の人生における原点時計はA.ランゲ&ゾーネ「ランゲ1」、さまざまな高級機を手にしながらたどり着いた答えとして「上がり時計」に挙げたのはシンプルな3針の時計である。その話を聞いてみよう。

下村 光則

下村光則

株式会社下村時計店/代表取締役社長
広島市生まれ。1873年に創業した下村時計店の5代目店主。大学卒業後に東京の大手ゼネコンに就職したのち、1979年に下村時計店へ入社、85年より現職。海外製の高級時計ブームの訪れを察知し、社長就任後には小売業として日本初となるフランク ミュラーやサービスセンター付きのロレックスの正規販売店、西日本最大級のパテック フィリップ専用フロア、またA.ランゲ&ゾーネやパネライの専用フロア開設などを手掛けてきた。


原点時計はA.ランゲ&ゾーネ「ランゲ1」

Q. 最初に手にした腕時計について教えてください。

A.高校の入学祝いに、セイコーの17石の手巻き時計を買ってもらいました。父親と広島市内の時計店へ出掛けて選んだ思い出があります。社会人になってからはカルティエの腕時計をしていました。当時はまさか下村時計店の後を継ぐなんて思っていませんでしたね。先代から声がかかり、覚悟を決めて広島へ戻って1979年に下村時計店に就職しました。そこから初めて買った舶来時計が「ランゲ1」です。2000年に下村金座街店の2階にA.ランゲ&ゾーネの専用フロアを完成させた、その数年後に購入しました。A.ランゲ&ゾーネの無骨で控えめなデザインは大好きですね。フロアを作る際には、A.ランゲ&ゾーネの厳かな世界観を演出できるように努めました。

下村光則

下村光則氏が下村時計店に入社後、初めて購入した舶来時計は、A.ランゲ&ゾーネのアイコンウォッチ「ランゲ1」、Ref.101.035。文字盤の9時位置に時分、1時位置にアウトサイズデイト、3時位置にパワーリザーブ表示、5時位置にスモールセコンドを備える、手巻きキャリバーL901.0搭載のプラチナモデル。


「上がり」時計は、シンプルな3針時計

Q. いつしか手にしたいと願う憧れの時計、いわゆる「上がり時計」について教えてください。

A.「ランゲ1」を購入してからは、ロレックスのスポーツモデルやパテック フィリップのコンプリケーションウォッチなど幅広く手にしてきました。また機能面を楽しむ以外にも、ケースから文字盤まで全面にバゲットダイヤモンドが付いたフランク ミュラーの腕時計を身に着けたこともありました。当時はひどく体調を崩していた頃でした。ダイヤモンドウォッチの輝きに元気をもらえたようで、女性がダイヤモンドを好む気持ちもこの時に理解しましたね。余談ですが、これを着けて麻雀すると必ず勝てましてね……。この話は家族が嫌がるでしょうから控えましょう(笑)。
 いろいろ着けてきましたが、最終的に今、求めているのはシンプルな時計です。ただ時間が分かれば良い、2針や3針モデルで十分です。スモールセコンドの付いたパテック フィリップ「カラトラバ 5196P」や、センターセコンドのグランドセイコー「エレガンスコレクション」などのプラチナモデルが良いと思っています。

下村光則

下村氏がパテック フィリップ「カラトラバ」に加えて挙げた「上がり時計」は、グランドセイコー「エレガンスコレクション SBGZ003」。約84時間のパワーリザーブを誇る、手巻きスプリングドライブムーブメント(Cal.9R02)搭載のプラチナモデル。時分針とインデックスには14Kホワイトゴールドを採用。ミニマルなデザイン性を追求し、パワーリザーブ表示はサファイアクリスタルバック仕様のムーブメント側に配されている。


あとがき

 1873年に、武士から商人へ転じた初代が時計修理店として創業した下村時計店。2代目からは通信販売や月賦販売を時代に先駆けて取り込み、また街のランドマークとなる時計台付きの英国風店舗を構えた。3代目の時代には原爆投下の壊滅状態から一刻も早い再興を目指した。4代目までには国産ウォッチとジュエリーの名店として確固たる地位を築く。先代たちからのバトンを受け取ったのが、当代の下村光則氏だ。
 時代の先を見据え、社長就任後に主力商品を国産時計から海外製高級時計へと大きく舵を切った下村氏。過去を振り返って話す視線は鋭く、剛勇な人という印象を受けた。しかしどこまでも謙虚な人でもあった。社長就任後、A.ランゲ&ゾーネのブティックが落ち着くまでしばらく高級時計の購入を留めたのは自分自身に対する厳しさゆえだったのだろう。質問が自身のことに及ぶと照れくさそうに話を回避しようとするチャーミングな一面もあった。そのたびに親子漫談のようにフォローを入れるのが次代を担う息子の淳氏だった。彼らの磊落さゆえか、店内は上質ながら、柔らかい空気の流れる居心地のよい場所だった。

高井智世