大いなる王冠の下に ロレックス工場探訪記(前編)

FEATURE本誌記事
2020.05.20

情報をたやすく開示することなく、口が堅いことから「牡蠣(オイスター)の如し」と評されるロレックス。ことに本社中心部や製造現場の様子は、ほとんど謎に包まれている状態だ。今回、約10年ぶりにスイス本社および製造拠点への訪問を許可されたクロノスドイツ版編集長リュディガー・ブーハーが、王冠を掲げた時計王国の知られざる世界を紹介する。

4つの拠点を持つロレックスの中心部はジュネーブ市内のアカシア地区にある。地上13階建てのグリーンの棟は経営の指揮を執る中枢部。黒い棟には製造部門が入っている。
リュディガー・ブーハー:取材・文 Text by Rüdiger Bucher
市川章子:翻訳 Translation by Akiko Ichikawa
※この記事は2019年2月のマニュファクチュール訪問を基にしています。

ROLEX Acacias [ロレックス/アカシア]

神秘性を象徴するかのような黒い社屋。〝オイスター〟のように水をも漏らさぬ姿勢が感じられる。

 ロレックスが製造現場である工場を見学させることは滅多にない。それはジャーナリストに対しても同じだ。他のマニュファクチュールの見学と同様に、作業室に入るには事前に申請が必要だが、予約を取り付けておいても流れることさえある。それでは困るというならば、見学希望者はロレックス側から招待されるのをひたすら待つしかない。だが、そのようなことが起こるのは稀なことだ。筆者が前回、ロレックスの工場を訪ねたのは10年以上も前になる。このたび約10年ぶりに、4つに分かれたロレックスの本社および工場のすべてを2日にわたって巡る機会を得た。製造の拠点が4つというのは結構な数ではあるが、今回あらためて見聞きしたことについて記していこうと思う。この企業は大まかに見積もっても年間70万本から80万本の腕時計を製造していて、驚異的なまでに均一な品質は最高レベルに達している。そのためには敷地を要し、従業員も十分な人数が必要だ。ロレックスに関わる事業に従事する者は、スイス国内で合計約7000人、全世界では約1万人いるという。

 21世紀になる前は、ロレックスは各製造工程をスイス国内の20カ所に分散させていた。ムーブメントの製造はロレックス・ビエンヌ社が行っていたが、連動する別会社としてロレックス・ジュネーブ社も存在していたのだ。どちらの会社も単独では立ち行かない緊密な関係にあった。しかしそれも今やすべて過去のこととなっている。この20年で、ロレックスはビエンヌのマニュファクチュールとして存在するようになったばかりではなく、かつて供給を受けていた取引先を吸収してきた。それによって製造は垂直統合化が進み、主要パーツはほとんどすべてが自社内で作られるようになった。その割合はほぼ100%と言っていい。わずかながら自社で作っていないパーツとしては、針、受け石と穴石、サファイアクリスタル風防が挙げられる。

 4つの製造拠点のうち、3カ所はジュネーブ州に存在する。そのひとつはジュネーブ市内のアカシア地区にある。この拠点は1965年に置かれたのだが、2002年から2006年の間に大規模な拡張工事が行われてリノベーションされた。敷地面積は約16万㎡あり、ロレックスの中心部として機能している。13階建ての本社社屋はその高さもさることながら、何よりもグリーンのファサードが目を引く。企業の長たるCEOのジャン-フレデリック・デュフォーのオフィスは最上階にある。ここで総合的な指揮が執られ、各部署の管理や各方面へのコミュニケーション、スポンサー活動への指示が下される。このオフィスはファミリーブランドのチューダーの中枢でもある。

 この本社メイン棟がブランドカラーのグリーンであるのに対して、製造部門が入っているふたつの建物は外装が黒いガラス張りだ。これはプラン・レ・ワット、シェーン・ブール、ビエンヌの3カ所に分散されている他の製造拠点の建物と同じだ。黒いガラス張りのビルの中は十分に明るいが、外からは中の様子はうかがえず、物見高くのぞき込むことはできない。建物においてさえ、ぴったりと閉じた〝オイスター〞のごとく神秘性を強調しているというわけだ。


アカシア――経営本部および最終組み立て部門のある本拠地

通称アカシアと呼ばれる製造拠点では最終組み立てを行う。“ロレックス高精度クロノメーター”として出荷されるまでに、広範囲にわたるさまざまなテストが全製品に実施される。

 ロレックスの本社で働く従業員たちは、社屋を〝アカシア〞と呼んでいる。そのアカシアに分け入ってみた感想は、ロレックスはすべてがとてつもなく大きいということだ。これは他の製造拠点を見て回った時も、その都度感じさせられた。アカシアでは製造がふたつの棟に分かれているが、どちらも建物の外観からして巨大だ。この社屋は外からは7階建てに見えるが地下フロアが4階まであり、実質11階建てになっている。

 アカシアでは他の各拠点で作られるすべてのパーツが集められ、製品として完成させる最終組み立てを行う。つまりムーブメントをケーシングし、ダイアルと針をセッティングして、最終的に〝ロレックス高精度クロノメーター〞と認定する。製造工程の最終段階になると、ストラップもしくはブレスレットが取り付けられ、これでようやく出荷できる状態になる。

 ここでの作業の流れを簡単にまとめたが、実際の工程はもっと細かい段階を踏み、何よりもテストと検査が絶え間なく行われていることは特筆に値する。これをロレックスが実施していることは、他の年産数千本あるいは数万本規模のメーカーとはわけが違うということを明記しておきたい。10万本単位の量の製品をむらなく均一な品質で作り上げることを保証するばかりではなく、可能な限り最上級のレベルに到達することを旗印に掲げているのだ。だが何をもって〝最上〞とするかは、常に問題となることではある。今日最上級とされているものが、明日も同じとは限らない。これは2日間の訪問の間に幾度となく耳にした見解で、すべての従業員にこの考えが行き届いている。何をおいても品質優先、1にも2にも3にも品質、品質、品質なのだ。それは工作機械の購入時から始まり、社内で仕上げられる工具類の組み立てや、何度も行われる検査に至るまで徹底している。メーカーが無作為抽出による検査を実施しているのは聞くこともあるが、ロレックスの場合、ムーブメント、ブレスレットやストラップ、ダイアルなど、多くの製造部門でその都度チェックされ、本当に100%の時計が検査されているのには驚かされた。

 最終組み立てを行う作業室は2フロアにわたっている。ここでは150人から200人の時計技術者が仕事をしていて、張りつめた空気が漂う。作業室は日に何度も空気が入れ換わり、埃は室外に排出されるようになっていて、室温と湿度は一定に保たれている。ここで作業にあたる人々の構成が興味深い。およそ12人ないし14人から成る自治的なチームにグループ分けされ、チームリーダーが年間労働週数を設定する。時計技術者たちやほかの作業にあたる従業員たちは、必ずしも毎年毎年きっちり同じ週数で働く必要はなく、ワークスタイルに変化を持たせることが歓迎されているのだ。

 ケーシングを待つばかりとなった完成ムーブメントは、ビエンヌの工場から直に届けられるのではなく、C.O.S.C.を経由して届けられる。ロレックスのムーブメントは、すべてがスイス公認クロノメーター検査協会として独立した存在であるC.O.S.C.によってクロノメーター認定を受けている。習慣通りに各ムーブメントはダイアルと針のない裸の状態で検査され、認定が済むと、製造ロットの区別なくアカシアに届けられ、製品として完成させる工程に移る。この段階で自社内において完成させたダイアルが取り付けられ、長年の取引先であるフィードラー社とエグィラ社から納品された針がセットされる。ロレックスはサプライヤーとの長年の関係を重視していて、取引先との信用と確実性が、常に変わらぬ品質を維持するために大きな役割を持つと考えている。関係性を非常に大切にしているのは、従業員に対しても同じと見受けられる。ロレックスでは勤続年数が10年あるいは数十年にわたるという従業員が多いのだ。

 ムーブメントにダイアルと針を取り付け終わると、モデル別に振り分けてしっかりとケーシングされる。すべてのムーブメントとケースには製造ナンバーが彫られているが、データ入力の際に変数ジェネレーターによってムーブメントのどのナンバーがケースのどのナンバーとペアになるかが決定され、データベースに記録されるようになっている。こうすることによって偽造品との判別がつくばかりでなく、何よりもムーブメントとケースが自社純正品であっても間違った組み合わせで製品化されることを防ぐことができるのだ。

 2015年、ロレックスは自社製品の品質を表すものとして〝ロレックス高精度クロノメーター〞という独自の社内基準を導入した。同社の製品は全品がこの基準に合格しなくてはならないのだが、その基準はC.O.S.C.をはるかにしのいでいる。スイス公認クロノメーターの基準では、24時間後の歩度がプラス4秒からマイナス6秒以内に収まらなくてはならないが、ロレックスの自社基準ではプラス2秒からマイナス2秒の範囲内としている。時計は6つの姿勢でテストされ(C.O.S.C.では5つの姿勢)、さらに着用した状態を想定してシミュレーションされる。それに加えて気密性および防水性、巻き上げ具合やパワーリザーブについてもテストが行われる。これらすべてのテストはブレスレットもしくはストラップを外されてはいるが、時計として完成した状態で実施されている。

 ひとつの時計が社内の一連のテストをすべて終えるには33時間かかるのだが、テストの際に使用する測定装置は完全に自動化されていて、週に168時間稼働しているそうだ。