時計経済観測所/「『資産』としての高級時計」再び

2021.02.13

昨年来の新型コロナウイルス感染拡大がもたらした世界的な不況に対抗するため、各国政府と中央銀行が軒並み財政出動と金融緩和を行った結果、余った金が局地的な“コロナ・バブル”を引き起こしている。いつか見た、そんな経済状況を気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が考察する。

磯山友幸:取材・文 Text by Tomoyuki Isoyama
安堂ミキオ:イラスト

「『資産』としての高級時計」再び

磯山友幸

 この連載を始めたのは2012年11月号からで、当時はリーマンショックと東日本大震災で経済が大打撃を受けていた。通貨、特にドルへの信任が大きく揺らいでいた。コラムの第1回目は「時計を『資産』として買う欧州の伝統」というタイトルで、通貨の信任が揺らぐ経験をした欧州の富裕層の間には、伝統的に「実物資産」を持つ風習が根付いているということを紹介した。

リーマンショックと似た状況を生み出した新型コロナ不況

 今、新型コロナウイルスの蔓延で、世界は当時と似た状況に直面している。経済活動が凍りつく中で人々の生活や企業を守るため、膨大な財政支出と金融緩和が行われている。これだけお金を刷りまくれば、通貨価値が落ちるので、いずれインフレは避けられない。多くの資産家や投資家がそう考えるから、実体経済が悪いにもかかわらず、株高が進んでいるのではないか、と見られている。株だけでなく、貴金属や不動産、ビットコインなど非通貨資産の価格が急上昇している。「バブル」とみる向きもあるが、通貨価値が下がっているのだから、その通貨で示す価格がどんどん上がっていくのは、ある意味当然とも言える。

 第1回目のコラムの書き出しは、筆者が新聞社の支局長を務めたことがあるスイス・チューリヒの話から始まる。

《目抜き通りバーンホフ・シュトラッセの老舗時計宝飾店には、独特の機能がある、とスイスのプライベート・バンカーが教えてくれた。上顧客に売った時計を買い戻してくれるというのだ。彼らが決して大安売りのバーゲンセールをしないのは、「売る」ことだけが店の機能ではないからだという。

 1個数百万円から1000万円を超えるような時計は間違いなく「財産」だ。子や孫に受け継がれるだけでなく、さまざまな贈答にも使われる。腕にするだけで良いので、国家の危機や戦争となれば、簡単に持ち運ぶことができる。

 だが、いくら高級な贈答品をもらっても、それが換金できなければ意味がない。戦争などから無事に自分の財産を守り通せても、時計のままでは生活の糧にはならないのだ。骨董品店に持っていって換金するという手もあるにはある。だが、それでは買い叩かれるのがオチだ。

 チューリヒの老舗時計宝飾店は顧客に有利な価格で買い取るのだという。ご承知の通り、高級時計には個別に番号がふられているので、出自は明らか。自分の店で売ったものかどうかも一目瞭然だ。値引きをして売った商品ではないから、買い取り価格も高くできるわけだ。もちろん店に一定の「差益」は落ちる。

 銀行が軒を連ね合間に時計宝飾店があるのは何とも不釣り合いだと思える。だが、時計店も歴史的に一種の金融機能を果たしてきたと考えると、同じ場所にあるのは理に適っていることに気付く》

貴金属や高級時計、高まる“実物資産”志向

 今、再び、この話を噛み締める時が来ている。世界大恐慌の頃は世界の多くの国は金本位制で、通貨の価値は金によって裏打ちされていた。その後、ほとんどの国で通貨と金を交換する「兌換(だかん)」を停止、金本位制から離脱した。1971年に米国がドルと金の兌換を停止した「ニクソン・ショック」以降、世界各国の中央銀行は、金の保有高に関係なく、紙幣を発行するようになった。裏打ちがない、まさしく「ペーパー・マネー」だから、国家がぐらつけば、紙屑になるリスクもある。

 世界大恐慌並みと言われる今回の新型コロナ不況で増やし続けた通貨量をどこかで吸収できるのか。今後、金融政策の真価が問われることになるが、仮に「出口戦略」に失敗すれば、その国は深刻なインフレに直面することになりかねない。

 つまり、「資産」としての高級時計が注目されるタイミングに来ているわけだ。

 日本百貨店協会が1月22日に発表した12月の全国百貨店売上高によると、全体の売上高は前年同月比13.7%減と大幅に落ち込んだ。ところが「美術・宝飾・貴金属」の売上高は1.9%増加と、他部門が軒並み大幅なマイナスになる中で、3カ月連続のプラスを記録した。もしかすると、手元にあるキャッシュを貴金属や高級時計など実物資産に替えておく動きが、少しずつ始まっているのかもしれない。

 仮にインフレにならなくても、巨額の財政支出を回収するには増税が必要で、保有する資産への課税が強化される可能性は十分にある。そうなると当局に捕捉されない「資産」を求める動きも出てくるだろう。左腕に載せられる数百万円、数千万円の高級時計は、まさしく資産として有効ということになる。


磯山友幸
経済ジャーナリスト。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年3月末に独立。著書に『「理」と「情」の狭間 大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。現在、経済政策を中心に政・財・官界を幅広く取材中。
http://www.hatena.ne.jp/isoyant/


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