ジェラルド・ジェンタの全仕事

FEATUREアイコニックピースの肖像
2021.02.28

2011年8月18日。ウォッチデザイナーの先駆けとして知られたジェラルド・チャールズ・ジェンタが世を去った。享年80歳。1954年頃から時計のデザインを試み始め、1972年のロイヤル オークで不動の名声を確立。以降、多くのアイコニックピースを世に送り出し、それ以上に多くのジェンタフォロワーを生み出した。巨匠ジェンタの手掛けた黎明期の作品から、最後に描き残したドローイングまで、実機取材を交えつつ、半世紀以上にわたる足跡を辿る。

広田雅将、鈴木裕之:取材・文 吉江正倫、三田村 優、ヤジマオサム:写真
[アイコニックピースの肖像 特別編/クロノス日本版 2012年3月号初出]

[1972] オーデマ ピゲ ロイヤルオーク
ロイヤル オークは1970年のデザイン画から、なにひとつ変えずに製品化された。初めてデザインを見せられたオーデマ ピゲのジャック・ルイ・オーデマはあきれかえったが、結局製品化の契約を結んだという。なおジェンタはデザインを一日で描き終えたが、それ以前にオーデマ ピゲと折衝を繰り返した。

[1976] パテック フィリップ ノーチラス
下はジェラルド・ジェンタ自身の筆による1974年のデザイン画。ベゼルの固定方法が製品版と異なる(上下でネジ留め)。なおジェンタは、ノーチラスの完全なプロトタイプを、落成間もないル・ブラッシュの新工房で完成させた。デザイン画の文字盤に「ジェラルド・ジェンタ」と銘打たれた理由だろう。


OMEGA CONSTELLATION “C-LINE”
黎明期を代表するスムースケース

オメガ コンステレーション
962年初出。通称「Cライン」と呼ばれる卵形ケースは、後にシーマスター(64年)にも転用され、オメガを特徴付けるデザインアイコンとなった。現在、ジェラルド・ジェンタの傑作としてロイヤル オークを挙げる人は少なくない。しかし時計業界に与えた影響力を言えば、この時計に勝るものはないだろう。60年代から70年代にかけて、数多くの時計が、Cライン風のケースを備えるようになった。自動巻き(Cal.564)。18KWG。個人蔵。

 1954年頃から時計デザイナーとして活動を始めたジェラルド・ジェンタ(公式の資料では61年から)。その最初期の作品が、オメガの「Cラインケース」(62年)である。ケースとラグを一体化し、ベゼルを低く抑えるというアプローチは、60年代を通じて数多くのメーカーに影響を与えた。しかしこのデザインを好んだのは、まずジェンタ本人だったに違いない。Cラインの手法は、82年のオメガ「シーマスター・ポラリス」、そして2001年のジェラルド・チャールズ「ルネッサンス」で、再び繰り返されることになる。

 Cラインのモチーフとなったのは、間違いなくロレックスのオイスターだろう。実際筆者はジェンタがこう語るのを聞いた。「ロレックスのオイスターのデザイン(1931年のバブルバック)だけは手がけたかった。70年前にデザインしなければならなかったけどね。あれはソフトでエルゴノミックだよ」(本誌2006年3月号)。Cラインのケースを仔細に見ると、ケースとラグの構成は、確かに初期のオイスターに酷似している。ロレックスは製法上の制約からラグとケースを一体化させたが(プレスで打ち抜きやすくするため、ラグとケースを一体にする必要があった)、ジェンタはその造形にエルゴノミックを見出したのだろう。ロレックスを評して「あれほど完成されたデザインはない」と嫉妬めいたコメントを漏らしたが、それを彼流に進化させたのがCラインと言えそうだ。

 ジェンタが時計全体のデザインに携わるのは、72年のロイヤル オーク以降である。しかしケースデザインにのみ携わったとされるCラインでも、十分ジェンタらしい個性は感じ取れよう。Cラインでソフトかつエルゴノミックというアプローチに至ったジェンタは、60年代後半以降、それを薄型時計のデザインに転用。時計業界を席巻することになる。

(左上)典型的な1960年代のデザイン。細いバーインデックスと針の組み合わせは、オメガを含む、多くのメーカーが採用したものだ。ただしこれはジェンタが手がけたものではない。(右上)上下左右に向かってゆるやかに落ちるケースの上面。ラグとケースを一体化した時計はこれ以前にも存在した。しかしその広さを生かすべくケース上面を斜めにカットし、時計全体の丸みを強調した点が、ジェンタの功績である。(中央)弓状のケースサイドに注目。搭載する自動巻きのCal.560系は、厚さ4.5mmと薄いムーブメントではない。しかし側面を低く抑え、時計の厚みをケース全体に按分させることで、実寸ほどの厚みを感じさせない。(左下)ラグとベゼル。風防を固定するため、細身のベゼルは別部品である。しかしCラインの完成形とされる「シーマスター・コスミック」は、ベゼルを持たないワンピースケースとなった。その造形は、後年の「シーマスター・ポラリス」にも酷似する。なお、ベルトとケースの隙間を詰める手法は、ロレックスの「オイスター」(より正しく言うと同年代のデイデイト)に同じ。(右下)標準的なねじ込み式の裏ブタ。薄型時計をデザインするにあたって、ジェンタはほとんどスクリューバックを採用しなかった。しかし厚みのとれるCラインでは、ねじ込み式のバックケースを採用している。

※本文中の1954年はジェンタ本人の談(「クロノス日本版」2006年3月号より)。ただし2001年のジェラルド・チャールズ設立時に制作された小作品集では、61年からとなっている。なお、61年以前に携わったモデルとしては、ユニバーサル・ジュネーブの「ポールルーター」(56年)などがある。


SEIKO CREDOR “LOCOMOTIVE”
名声を不動とした〝舷窓〟からの派生

セイコー クレドール・ロコモティブ KEH018
1980年代にリリースされたスポーツウォッチ。デザイン画の説明には「セイコーのオーナーからの要望によりジェンタは何度も日本を訪れ、セイコーのデザインチームと話し合った」とある。セイコーからの「高価なスティール製のスポーツウォッチが欲しい」という要望に、ジェンタが応えて生まれたのがこのモデルである。製作本数は約5000本と言われており、少なくとも85年のカタログには掲載されている。クォーツ。SS。10気圧防水。セイコー蔵。

 初期のジェンタを最も評価したメーカーのひとつに、セイコーがある。同社は1969年に設立されたジェラルド・ジェンタSAに、数多くのOEM品の製作を依頼し、70年代後半には最高級ラインのデザインも委ねた。最高傑作が「クレドール・ロコモティブ」だろう。戦艦の舷窓をモチーフにした「ロイヤル オーク」、潜水艦に範を取った「ノーチラス」と同じく、このモデルは蒸気機関車をモチーフとする。

 ロコモティブのデザインに際して、ジェラルド・ジェンタはスイスの時計業界から強い反発を受けた。日本製のクォーツがスイスを駆逐せんとする時代に、日本メーカーの仕事を受ける姿勢が良しとされなかったのは、想像に難くない。しかしジャーナリストのルシアン・F・トリュープはこう記す。「とは言うものの、(セイコーの仕事を受注したことで)今やジェンタはジュネーブに新社屋を建てるだけの十分な資金を持つに至った」。

 後にジェンタが漏らしたように、彼に名声をもたらした時計の多くは、基本的にデザインが買い取りだった。ロイヤル オーク然り、ブルガリ・ブルガリ然り。当時時計デザイナーはまったく未知の職業であり、ロイヤリティを請求できるような立場にはなかったのである。しかしジェンタと契約したセイコーは、例外的に気前の良いパトロンだったようだ。ジェンタはセイコーとの多くの契約を、スイスとの関係上隠さざるを得なかったが、しかしそれは彼に会社を拡大させる資金をもたらすこととなる。

 なおジェンタ自身が発行した公式の〝小作品集〟には、ロイヤル オーク、ノーチラスに続いて、ロコモティブが並べられている。正直この時計は、前2作ほどの完成度を備えているわけではない。しかしジェンタにとって思い入れのあるプロダクトであったことは、その並び順が雄弁に証している。

(左上)ジェンタによるデザイン画。時計全体の形状は、ロイヤル オークに酷似している。なおケースはジェンタの好んだ八角形ではなく、六角形。スポーツウォッチであることを意識したのか、リュウズは4時位置に配されている。(右上)六角形のネジで固定するベゼル。しかしロイヤル オークとは異なり、このネジはベゼルを固定するのみ。(中)Cラインと同じく、厚みがあるため、やはりねじ込み式の裏ブタを採用している。興味深いのは側面の造形。ジェンタとしては珍しく、上下を潰して、側面を薄く見せようと腐心している。なお写真のリュウズはオリジナルではなく、販売されたモデルでは、側面にやはり六角形の模様が刻まれていた。(左下)ダイアルと針。ロイヤル オークやノーチラスに同じく「ジェンタ針」が採用された。しかしクォーツの弱いトルクを考慮してか、針は薄く、秒針も短い。またこの時計には、ジェンタならではの特徴がある。デイト窓の大きさはほぼインデックスに同じであり、配置も時針が届くギリギリに置かれている。まずムーブメントありきでデザイン画を起こしたという、ジェンタならではのディテールだ。(右下)やはりジェンタの作品らしく、左右両端を小さな中ゴマで繋いだブレスレット。ただしデザイン画ほど、側面の立体感は強調されていない。