IWC/アクアタイマー

FEATUREアイコニックピースの肖像
2019.10.15

1967年に発表された初代アクアタイマーとは、当時ポピュラーだったコンプレッサーケースを用いた、いわば即席のダイバーズウォッチだった。しかし、1982年の「オーシャン2000」を経て、アクアタイマーは本格的なコレクションへと進化を遂げた。その半世紀以上にわたる歩みを振り返りたい。

アクアタイマー

広田雅将:取材・文 吉江正倫:写真
[連載第53回/クロノス日本版 2019年9月号初出]


CATシステムを用いた高圧防水時計
第1〜第2世代アクアタイマーの構造

1960年代に入ると、アメリカ市場を中心に、サーフィンをはじめとしたマリンスポーツがブームとなった。対して各社は、スポーツシーンに耐えられるような新しいダイバーズウォッチの開発に努めた。IWCが注目したのは、ねじ込み式のリュウズではなく、パッキンだけで高い防水性能を持たせる、ピケレのコンプレッサーケースだった。

アクアタイマー Ref.812AD/1812

アクアタイマー Ref.812AD/1812[1967]
ピケレ(EPSA)のスーパーコンプレッサーケースを採用したIWC初の本格的なダイバーズウォッチ。なお1975年に、リファレンスは1812に変更された。自動巻き(Cal.8541B)。21石。1万9800振動/時。パワーリザーブ約40時間。SS(直径37mm)。20気圧防水。

 長らく、ダイバーズウォッチに対して距離を置いてきたIWC。常時リュウズを密封する必要を考えれば、巻き上げ効率の高いペラトン自動巻きはダイバーズウォッチにこそ相応しかった。しかし同社は、ダイバーズウォッチ用の、気密性の高いケースを入手できなかった。転機が訪れたのは、1960年代半ばのことである。

 スイスのベサクールで自転車のフレームを製造していたカミーユ・ピケレ社(後のエルヴィン・ピケレ社)は、51年にベルン州のラ・ヌーヴヴィルに移転し、時計の部品を製造するようになった。55年1月6日、同社は防水ケースの「コンプレッサー」で特許を申請したことを、スイス商業官報で発表。これは高い水圧がかかると、リュウズ、裏蓋、ケースのガスケット(Oリング)が圧縮されて防水性能を確保する防水ケースだった。設計者はシュワルツ・ハンス。この革新的な防水ケースの構造は、56年11月30日のスイス特許317537Aで確定した。

 以降同社は、コンプレッサーの防水性能を高めるために、いくつかの追加特許を取得。とりわけ、59年3月31日に特許を得た構造は(スイス特許337462A)は防水性能を高めるため、裏蓋とケースの間に板バネを加える画期的なものだった。これは後に、「スーパーコンプレッサーケース」という名称で知られることとなる。

 1960年代に入ると、アメリカ市場を中心に防水時計に対する需要が高まった。一因は明らかに、アメリカ東海岸から始まったサーフィンのブームである。元プロサーファーのマット・ワーショワは、サーフィンの歴史を網羅した大著『The History of Surfing』でこう記す。「1959年の時点で、マイアミとケープコッドの間にいた熱心なサーファーは250名しかいなかった。しかし1966年までに、東海岸と西海岸のサーファー人口は、それぞれ約20万人に達し、その年の東海岸・サーフィング・チャンピオンシップには1万人以上の観客が参加した」。しかしその時点で、彼らが使えるダイバーズウォッチは、ゾディアックの「シーウルフ」しか存在しなかった。

アクアタイマー Ref.812AD/1812

アクアタイマー Ref.812AD/1812[1967]
一般向けを意識したのか、Ref.812ADの文字盤には銀×白、銀×黒、黒×黒、黒×白の4種類が用意された。スペックは右に同じ。このモデルは、オプションのゲイ・フレアー製メタルブレスレット(Ref.12)が付属する。1972年の販売価格は660スイスフラン。
アクアタイマー Ref.816AD/1816

アクアタイマー Ref.816AD/1816[1968]
1968年にリリースされた第2世代。防水性能は300mに向上した。自動巻き(Cal.8541B)。21石。1万9800振動/時。パワーリザーブ約40時間。SS(縦40×横38mm)。文字盤の色は黒、赤、青の3色があった。1972年の販売価格は815スイスフラン。

 60年代以前、ダイバーズウォッチとはあくまでプロ向けのツールでしかなかった。しかし60年代以降は、サーフィンやスキンダイビングなどに対応できる、プロ向けほどハイスペックではないが、本格的な防水時計が求められるようになった。対して各社は、より防水性の高いダイバーズウォッチの開発に取り組んだ。とはいえ、ロレックスほどの生産能力を持たない中小メーカーに、ダイバーズウォッチ用の精密なケースを新造する余力はない。各社が注目したのは、リュウズ、裏蓋、ケースのガスケットで防水性能を持たせるピケレのコンプレッサーケースだった。ねじ込み式のリュウズを持たないコンプレッサーケースは、防水性能をOリングのみに依存する。かつて、この手法は好まれなかったが、Oリングが普及した60年代以降、信頼に足る防水システムと見なされるようになった。

 初めてエルヴィン・ピケレ社(EPSA)製のスーパーコンプレッサーケースを採用したのが、エニカのダイバーズウォッチ「シェルパ・ウルトラドライブ」(1964年)だった。66年には、ハミルトンが「アクアダイブ」をリリース、翌67年(66年後半説もある)には、IWCが初のダイバーズウォッチ「アクアタイマー」(Ref.812)を完成させた。そのためコンプレッサーケースを持つこれらのダイバーズウォッチは、似たようなケースデザインと、2時位置のリュウズを回して内側のベゼルを回す構造を持っていた。

 時計業界誌『Die Uhr』の1967年7月号に、初代アクアタイマーの詳細が記されている。2時位置のリュウズの先端に歯車を取り付け、文字盤の外周に置かれたベゼルを回す構造は、シェルパ・ウルトラドライブのベゼルにまったく同じだ。

CAT

初代と第2世代アクアタイマーの採用した防水システムがCATである。ただし第2世代ではCATの名称はなくなった。リュウズに圧力がかかると、内蔵されたラバーとバネが収縮してリュウズ回りの気密性を高める。同年代のインジュニアなども採用した機構である。

 もっともIWCは、これをほかのコンプレッサーケースとは違う、と見なしていたふしがある。発表当時のカタログでは、ユニークなインナー式の回転ベゼルには一切触れられず、代わりにCATというシステムが説明されている。その構造はかなりユニークだ。リュウズの内部にはラバーが充填してあり、水圧がかかるとラバーが圧縮される。それに伴い、リュウズの中に内蔵したスプリングも縮み、ケースの密封度をいっそう高める。スーパーコンプレッサーケースの防水システムをリュウズに転用しただけだが、IWCはそうやって差別化を図ろうとしたのだろう。

 1968年、IWCは防水性能をより高めた新型アクアタイマー(Ref.816AD/1816)をリリース。防水性能を高めたCATリュウズはそのままだったが、風防にミネラルガラスが採用され、裏蓋の構造が一新された結果、防水性能は30気圧に向上した。当時のブローシャはこう説明する。

「IWCのアクアタイマーは、300m防水を保証した特別なハードウォッチです。またこの時計は結露しません。リュウズと裏蓋は圧力を自動的に均一にするシステムで固定されています。(中略)ダイビング時の安全性=潜水時間を調整する回転可能なベゼルは、ケース内で保護されており、第2のリュウズで作動します。そのため、ベゼルは水中の障害物によって邪魔されることはなく、腐食も、固着も、剥がれ落ちることもありません」

 もっとも、初代と第2世代のアクアタイマーは、商業的に成功を収めたとは言えなかった。一説によると、ふたつを併せた生産数は約2000本。本格的なダイバーズウォッチの出現は、82年の「オーシャン2000」を待たねばならない。