タグ・ホイヤー/カレラ

FEATUREアイコニックピースの肖像
2020.09.03

ホイヤー(現タグ・ホイヤー)をメジャーブランドへと押し上げる原動力となったモデルが、1963年にリリースされた「カレラ」である。一時は系譜が途切れていたが1996年に復活。2010年の「タグ・ホイヤー カレラ 1887 クロノグラフ」で、再び“アイコン”としての地位をより強固なものとした。タグ・ホイヤーはカレラのデザインに何を見出し、何をそのエッセンスと見なしてきたのか? カレラ半世紀の歴史を振り返りたい

広田雅将:取材・文 吉江正倫、古浦敏行:写真
[連載第24回/クロノス日本版 2014年11月号より増補改訂]


CARRERA [1960’s]
テンションリングスケールがもたらした革新

カレラ

カレラ
1963年に登場したカレラには、いくつかのバリエーションが存在した。これは12時間積算計とデシマルメーターを備えた通称“カレラ 12 デシマル”(Ref. 2447 SND)である。1960年代後半まで、12時間積算計付きの3カウンターモデルはバルジュー72を、2カウンターモデルはバルジュー92を搭載した。手巻き。17石。1万8000振動/時。SS(直径36mm)。参考商品。

 1963年に登場したカレラは、元名誉会長のジャック・ホイヤーが、言わば社運を拓くために作った時計だった。氏の自伝「THE TIMES OF MY LIFE」には、次のような記述がある。

「(フロリダ州の)セブリングサーキットで、私が初めて聞いた言葉はスペイン語のカレラだった。私はそのセクシーな響きだけでなく、さまざまな意味合いを持つことも愛した。道、レース、コース、そしてキャリア。それらはすべて、ホイヤーのテリトリーにあるものではないか! そこでスイスに戻るや否や、〝ホイヤー カレラ〟の商標登録を急いだ。ホイヤーの最大株主として、会社の未来は事実上我が手にある(氏は1961年にホイヤーの最大株主となっている)。私は新しい製品の開発にコミットし、次に作る時計はカレラと呼ぶべきだと考えた」

 ジャック・ホイヤーはクロノグラフのデザインに関しても、明確なビジョンを持っていた。同著には「私は文字盤をクリアで、クリーンなデザインにしたかった。そして技術的な革新がその助けになった」とある。

 当時のホイヤーにプラスティック風防を納めていたメーカーが、実用性を大きく高めるアイデアを氏に提案している。これは見返し部分にスティールのテンションリングをはめることで、水圧で風防が歪んだ状態でも防水性が保たれるというものだった。氏はそのテンションリングに5分の1秒のスケールをプリントすることで、クロノグラフの文字盤をクリーンに仕立てたのである。

 幅広のテンションリングに表記を与えるアイデアは、以降カレラの個性となっただけでなく、他社のクロノグラフにも決定的な影響を及ぼすようになる。しかし、タグ・ホイヤーがその革新性を再認識するには、1990年代の後半まで待たねばならなかった。

カレラ

(左上)カレラのアイコンとなったのが、目盛りをプリントしたテンションリングである。結果、文字盤の視認性は大きく高まった。実際、当時のカタログには「革命的な文字盤デザイン」と記されている。(右上)もうひとつ、カレラのデザイン的な特徴は、内側を大きくえぐったラグにある。1962年発表のオータヴィアは平たいラグを持っていたが、対してカレラでは立体的に改められている。理由はおそらく「日常生活に適したデザイン」(当時のカタログより)を狙ったためだろう。ラグを細くすることで、このカレラはドレスウォッチと見紛うスタイルを持つに至った。(中)ケースサイド。リュウズがかなり大きいのは、操作性を重視したため。巻き上げ部分にOリングを噛ませることで、防水性を確保している。このモデルのケースメーカーはおそらくピケレだろう。(左下)操作性改善のため、やはり大きくなったプッシュボタン。リュウズ同様にOリングを噛ませている。(右下)当時のクロノグラフとしては珍しい、ダイヤモンドカットされたインデックス。第1世代のカレラが細いインデックスを持っていたのに対し、60年代半ばに発表された第2世代のカレラは、インデックスが幅広に改められた。よりスポーツウォッチに振ったモディファイと解釈できるだろう。