セイコー/セイコーダイバー

FEATUREアイコニックピースの肖像
2020.11.25

高度な世界標準の礎となるべく、外装技術を研ぎ澄ませた
国産ダイバー、半世紀の軌跡

1965年に始まったダイバーズウォッチの開発は、たったひとことの苦言から、その方向性を大きく変えていった。実際の潜水作業に従事するダイバー曰く「350メートル防水でも使えない」。以降セイコーは、プロフェッショナルの使用に耐える、本物のダイバーズウォッチとは何かを追究してゆくことになる。

1965
国産ダイバーの始祖となった150m空気潜水仕様

[62MAS-010]
セイコー初の飽和潜水対応ダイバーズウォッチ。世界で初めて量産ダイバーズウォッチのケースに、チタンを用いたことでも知られる。性能を高めるため、23もの特許が盛り込まれた。自動巻き(Cal.6159)。25石。3万6000振動/時。Ti×セラミックコーティングチタン。600m防水。発売時の価格は8万9000円。

 1960年代を通じて、諏訪精工舎(現セイコーエプソン)は外装に関する技術を飛躍的に高めていった。一例が、セイコーファイブスポーツ(68年)に採用された「Oリングを使用した回転パッキン」である。機構自体は他社にも見られるものだが、これは素材が従来とは大きく異なっていた。具体的には従来のニトリルブタジエンラバーに代えて、自己潤滑性のあるジオクチルパケートを使用。ベゼルに安定した回転トルクと、高い起動トルク、そして回転時の低トルクという、相反する要素の両立に成功した。後にこの技術は、セイコーダイバーの特徴である「回転トルクコントロールベゼル」に発展する。

 新技術への積極的な取り組みを考えれば、同社が高度な外装技術を前提とするダイバーズウォッチに挑んだのも理解できる。65年に諏訪精工舎は、初のダイバーズウォッチとなる通称〝150mダイバー〟をリリース。67年にはワンピースケースとバヨネット式のガラス固定構造、そしてツインシールド式のねじリュウズを持つ〝300mダイバー〟へ進化した。翌年、このモデルには特別チューンが施されたキャリバー6159が搭載され、これでダイバーズウォッチの進化は一段落するはずだった。

 しかし68年(筆者は73年ではないかと想像する)、海洋開発を行う会社のダイバーが、一通の手紙を服部時計店(現セイコーウオッチ)に送った。「私は潜水カプセルを使って350mの深海で作業をするダイバーです。(中略)海底での作業は厳しく、貴社の300m仕様の潜水時計ではとても保たない」。

 セイコーにとって、ハイビートムーブメントを載せた300mダイバーは、いわば渾身のダイバーズウォッチであった。スイスでも珍しいワンピースケースに、滑らかな動きの回転ベゼル、そして頑強なハードレックス製の風防。しかしその300mダイバーも、深海作業を行うプロフェッショナルの使用には耐えられなかったのである。

 手紙を受け取った服部時計店は、ヒアリングのため、開発リーダー兼デザイナーだった田中太郎氏と、諏訪精工舎の外装設計課より赤羽達郎氏を派遣した。ここでセイコーは、実際の潜水作業には飽和潜水なるものが存在し、そのためにドライスーツや減圧カプセルが必要であることを初めて知ったのである。

1968
ワンピースケースを採用した300m空気潜水仕様

[6159-010]
67年発表の6215-010を改良したモデル。振動数を高めたほか、文字盤にPROFESSIONALのロゴが追加された。なおカウントダウンベゼルを持つ6159-011も同時に発売された。自動巻き(Cal.6159)。25石。3万6000振動/時。SS。300m防水。参考商品。
1975
23件の外装特許を盛り込んだセイコー初の飽和潜水仕様

[6159-022]
国産初の飽和潜水対応モデル。6215の構造を受け継ぎつつも、防水性能と水中での視認性を飛躍的に高めている。セイコーのダイバーズウォッチの基準を定めた時計。自動巻き(Cal.6159)。25石。3万6000振動/時。Ti×セラミックコーティングチタン。600m防水。参考商品。

 もっとも、こういった動きが、他社に比べて遅かったとは言えない。シーマスターで名声を得ていたオメガでさえも、飽和潜水の実験を始めたのは70年にコメックスが実施した「ヤヌスⅡ」計画からだ。この計画に、オメガは特別なチタン製の「シーマスター600」を投入し、飽和潜水に関するさまざまなデータを収集した。オメガのシーマスターが、本当の意味でのプロユースに耐え得るようになったのは、ヤヌスⅡ計画以降のことだ。

 新しいダイバーズウォッチを開発するため、後に田中氏に加えて、諏訪精工舎からは外装設計課の徳永幾男氏、紅林重行氏、福島昭夫氏、そして川原公和氏らが参加した。彼らが目指したのは、飽和潜水に耐える〝世界最高峰のダイバーズウォッチ〟であった。

 なお開発に当たって、セイコーがコメックスのヤヌスⅡ計画と、そこで使われた特別なシーマスターを知らなかったとは考えにくい。事実、75年に発表された〝600mダイバー〟は、ヤヌスⅡ計画で用いられたシーマスターに同じく600m防水で、ケース素材もやはりチタンだったのである。しかし、仮にシーマスターを参考にしていたとしても、600mダイバーの完成度は群を抜いていた。

 この時計が後にダイバーズウォッチの世界標準とみなされた理由は、ダイバーへの入念なヒアリングを、忠実に反映させた結果であった。まずはバンド。「海底では水温が低いのでビニール製のバンドは硬くなり、折れやすい」。また「ベルトをきつく締めても水圧のため海底では緩くなる」。対してセイコーはダイバーズウォッチに多用されていた塩化ビニール製のバンドを止め、当時最新のポリウレタン素材に変更した。また伸縮性を持たせるために、バンドの一部をジャバラ形状に改めた。

 水中で電気溶接を行うという要望に対しては、ケース底部とムーブメントの間に耐磁板を加えて耐磁性能を高めた。そして「潜水中では時刻ではなく経過時間をチェックする」というコメントを受けて、田中太郎氏は文字盤と針の視認性を高めるデザインを施した。一例が丸いインデックスである。これは最小限の夜光塗料の塗布面積で、できるだけ視認性を高めた結果だ。また視認性を高めるため、夜光塗料も一新された。根元特殊化学の協力を得て、諏訪精工舎は「雪のように白い」(田中太郎氏)白色自発光塗料(NBW)を開発。トリチウムの約10倍の実用最高輝度を持つNBWは、スーパールミノヴァに置き換わる98年まで、セイコーの時計に広く用いられた。

 特徴的な「外胴」も、ヒアリングの結果生まれたものである。「時計を落とすとガラスが割れたり、リュウズが取れたりする」「回転ベゼルと胴のスキマにこびりついたグリスオイルが、石油で洗っても取れにくくて困る」。結果生まれたのが、ワンピースケースに回転ベゼルを載せ、それを外胴でカバーする構造だった。外胴をねじで留めたのは、分解して丸洗いできるようにしたため。形状が円錐状なのは「フジツボがヒントになった」とデザインを手がけた田中太郎氏は記している。

1978
高精度クォーツを搭載した600m飽和潜水仕様

[PYF018]
1978年3月初出。初のクォーツ搭載機。また耐久性を高めるため、018では外装に金色のIP処理が施された。81年には「007 ユア・アイズ・オンリー」でも使用された。クォーツ(Cal.7549)。5石。IP処理チタン×セラミックコーティングチタン。600m防水。参考商品。
1986
セラミックス製の外胴を得て1000m飽和潜水仕様に進化

[SSBS018]
1986〜2005年まで製造された、セイコーダイバーズウォッチの完成形。120分割クリックを持つ精密な回転ベゼルに、ジルコニアセラミックス製の外胴を持つ。クォーツ(Cal.7C46)。7石。IP処理チタン×セラミックス。1000m防水。参考商品。

 外胴は、内胴に同じくチタン素材。しかし擦過性を高めるために、セラミックスの粒子を溶射処理で施すという、当時最新の硬化処理が施された。硬さはステンレスの約5倍に当たる約900Hv。風防のハードレックスも、通常品に対して1.5倍に強化された。

 そして一番の課題であった飽和潜水への対応。外装開発を指揮した徳永幾男氏は、パッキンの素材と形状を見直すことで、ケースの気密性と水密性を飛躍的に高めることに成功した。開発の要点は以下のふたつである。ひとつは水分やヘリウムガスがパッキンを構成する物質の内部を浸透する〝浸透漏れ〟を防ぐこと。もうひとつが、パッキンが変形して、水分やヘリウムガスが浸透する〝接面漏れ〟を防ぐことである。多くのメーカーが浸透漏れと接面漏れを区別できない時代に、唯一セイコーは、両者を厳密に分けて、それぞれに対応したのである。

6159-022のケース構造図。他のダイバーズウォッチと大きく違うのは、回転ベゼルと風防を完全に切り離した設計にある。ベゼルより一段落とし込んだ風防、L字形のガラスパッキン、そして非常に分厚いリュウズパッキンなどは、セイコーダイバーの特徴となった。

 まずは浸透漏れに対して。従来使われていたニトリルブタジエンラバーは、透湿率が1.23×10-7g・cm/cm2・h・mmHgであった。対して徳永氏は、水分や気体が透過しにくいイソブチレンイソプレンラバーを採用。飽和潜水時に使用するヘリウムガスの侵入を大幅に低減したことで、ヘリウムガス排出バルブを必要としない気密構造を実現した。

 600mダイバーでの接面漏れ対策は、通常のOリングではなく、高い水圧でも変形しにくく、接面漏れを起こしにくいL字形のガラスパッキンが採用された。左の断面図では、風防と内胴に差し込まれたL字形のパッキンが確認できるはずだ。

 こうして完成したのが、600mダイバーであった。全面黒ずくめのダイバーズウォッチを見た服部時計店の関係者は「こんな黒くて大きなものは時計ではない」と述べたそうだ。しかし「一通の手紙に始まった企画でもあるし、数が売れるものでもないからとりあえず市場に出そう」という意見を受けて、75年の6月に発売となった。確かに78年までの3年間で約7500本という生産本数は、大量生産を得意とするセイコーにとっては、極めて小さなものだ。しかし、その非凡な完成度は、ダイバーズウォッチの基準を一新したのである。

 もっとも開発関係者たちは、600mダイバーのスペックには満足していなかったようだ。リリースの翌年には、クォーツを搭載した新しいダイバーズウォッチの企画をスタート。78年には同じく600m防水を持つ、PYF018を完成させた。一見、デザインは75年モデルに同じだが、ムーブメントが機械式からクォーツに変更されている。この75系クォーツは、600mダイバーの太い時分針を動かすため、従来品を一部改良してトルクを高めたものだった。しかし、この〝改良型〟に満足できない開発チームは、より安定した高出力トルクと、長い電池寿命を実現するため、新たに7C系クォーツを開発している。開発チームが言うところの通称〝力持ちクォーツ〟。これはダイバーズウォッチだけでなく、同じく太い針を回さねばならない、鉄道時計や盲人時計にも使われることになる。余談だが、7C系の設計思想は高トルクを誇るグランドセイコー用のクォーツムーブメント、9F系に結実する。

風防と内胴の間に挟み込まれるL字形のパッキン。開発は諏訪精工舎と昭洋産業。立体的な形状により、今までのOリングで問題だった接面漏れをほぼ防いだ。ダイバーズウォッチに600m防水をもたらした鍵である。

 加えて素材にも改良が加えられた。外胴の固定ネジはチタンからスティールに変更。さらにPYF018では回転ベゼル、内胴、リュウズ、固定ネジと尾錠にも、IP技術により窒化チタンが被覆された。75年のモデルでは、硬化処理を施したのは外胴のみだったが、その3年後には、すべての外装に処理が施されるようになったわけだ。

 IP技術が本格的に採用されたのは、80年代半ば以降。しかしチタン素材を使ったダイバーズウォッチでは、その採用は急務であった。硬化処理を施さない限り、柔らかいチタン素材はハードな使用に向かない。そこで諏訪精工舎は、当時最新の表面処理技術であったIPの量産技術開発を76年頃にスタートさせた。色が金色なのは、当時のIP処理で施せる被膜の色が、それしかなかったためだ。

 プロフェッショナル向けダイバーはさらに進化を遂げた。86年には先に述べた、ムーブメントを電池寿命の長い7C46に変更し、防水性能を1000mに高めたSSBS018となったのである。それ以前、セイコーエプソンは、600m以上の防水性能表記を認めなかった。実際にそれ以上潜ることがないため、というのがその理由だ。しかし83年に、600mダイバーズは「しんかい2000」のテストで1062mの防水性能を記録。自衛隊も1000m以上の水深試験を行うようになったため、1000m防水に改めたという。

 最大の変更点は、外胴にセラミックスを採用した点だ。当時一般的だったアルミナセラミックスは、超硬バイトでも切削が不可能だった。しかし京セラとセイコーは、素材特性が金属に近いジルコニアセラミックスを選択。開発途上であったこの素材を進化させて外装に用いた。現在ジルコニアセラミックスは、時計業界の標準だ。この素材もまた、セイコーのダイバーズウォッチが先駆けだったという点は大変に興味深い。

 また、回転ベゼルのクリックが、従来の60から120段階に増えたのも、このモデルからだ。これは、回転ベゼルの間隔を司る板バネの屈曲を177度、または183度とわずかにずらすことで可能にしたもの。この精密な回転ベゼル(しかもメンテナンスが容易だ)は、30年以上経った今もセイコー製ダイバーズウォッチを特徴付ける要素だ。

 ひとりのユーザーから届いた手紙を機に、一層の進化を遂げたセイコーのダイバーズウォッチ。たちまちそれはプロフェッショナルたちの〝守護神〟となり、やがてダイバーズウォッチの世界標準となった。では現在のセイコーダイバーはどう進化したのか。次回では最新のラインナップを見ることにしたい。