2025年、チューダーがリリースした「ブラックベイ 54 “ラグーンブルー”」。同ブランドの代表的なコレクションからの展開であるにもかかわらず、文字盤カラーをはじめ、これまでに見られなかった数々のディテールを持つモデルである。しかし、本作を購入し、愛用している筆者のL`Hiroは、このデザインをして「ブランドの哲学が具体的な形として結実した」と語る。では、チューダーのデザインに見る哲学とは何か──? 着用レビューを交えつつ、解説していく。

Photographs & Text by L`Hiro
[2026年8月1日公開記事]
現代チューダーのデザイン哲学
TUDOR(以下チューダー)、正式名称「Montres TUDOR S.A.」は、2026年に100周年を迎える。この長い歴史の中で、さまざまなモデルをラインナップしてきた。
そんなチューダーの現在のデザイン哲学を知る際、避けて通れない人物がいる。2007年以来、チューダーのすべての時計デザインを統括するアンダー・ウガルテ(Ander Ugarte)だ。彼はスペイン北部、バスク州サン・セバスティアン(San Sebastián)出身 で、欧州トップクラスのデザイン専門学校のひとつであるイタリア・ミラノのIED(Istituto Europeo di Design)でジュエリーデザインを学んだ。 卒業後すぐに時計デザインの仕事を求めてスイス・ジュネーブへ移り、1990〜1997年頃までロレックスのデザイナーとして働いた。数年間の独立デザイナーとしての活動を経て、2007年にチューダーのデザイン部門のディレクターとして迎えられ、ブランドの再構築を任され今に至る。
europa star「TIME.BUSINESS」のインタビューで、時計デザインの方法について、彼は、以下のように語る。
「私はチューダーがその歴史の中で生み出してきたすべてのダイバーズウォッチをじっくりと眺め、分析し、それらの何が、これほどまでに特別なものになっているのかを理解しようと努めてきました。古い時計を見ると、その美しさからインスピレーションを得ることができます。経年が蓄光塗料や文字盤の一部をどのように変容させたのか、どのように温かみのある色へと変化していったのかを見るのも良いでしょう。そういった要素は、時計に多くの魅力と伝統、すなわちスペイン語で言うところの“solera”をもたらしてくれます。あるいは、ドーム形状によって、光が異なる角度で文字盤の表情が変わる様も挙げられるかもしれません。私は、『その本質は何なのか』『なぜその時計にそのようなカリスマ性があるのか』を解き明かそうとします。そして、オリジナルを模倣するのではなく、その要素を取り入れようと試みます。その後、小さな新しい要素を組み合わせ、スケッチの中でデザインの成果がどう発展していくかを確認します。もちろん、他者からのフィードバックも大いに役立ちます」(出典:https://www.europastar.com/time-business/1004113606-tudor-a-meeting-with-designer-ander-ugarte.html)
要するに、時計デザインとは、単に過去の名作から着想を得るだけでは不十分であり、その核心となるエッセンスを抽出しなければならず、そしてコピーすることではなく、現代にふさわしい新たな魅力として再構築することが重要であるとウガルテは言っているのだ。
現在の腕時計業界は、ムーブメント・デザインの両面で成熟段階に達しており、かつてのように目に見える大きな革新が生まれにくい状況である。そのため、多くのブランドは過去の名作の“復刻”モデルのリリースに依拠し、過去の特定時点における歴史的名作の外観を忠実に「再現」することを重視する傾向にある。
これに対し、ウガルテの哲学は異なる。彼は過去の名作に見られる経年変化や魅力といった目に見えない本質を可視化し、それを現代的な解釈によって再構築する。単なる復刻でも模倣でもなく、伝統を素材として未来へと昇華させるアプローチであり、この点において他ブランドとは一線を画していると言える。
この哲学が具体的な形となって現れたのが、2012年に発表された「ブラックベイ」である。チューダーのヴィンテージモデルの意匠を借りながら、サイズ、厚み、色調、使い勝手は完全に現代仕様となった腕時計だ。ブランドを象徴するこのシリーズは、それ以降のチューダーの方向性を決定付けた。

この姿勢は、ステンレスティール、チタン、ブロンズ、シルバー、セラミックス、カーボンなど多彩な素材を、率先して使っていることにも表れている。

自動巻き(Cal.MT5400)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。ブロンズケース(直径39mm、厚さ11.9mm)。200m防水。ブティック限定モデル。80万7400円(税込み)。

自動巻き(Cal.MT5400)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。シルバーケース(直径39mm、厚さ12.7mm)。200m防水。77万3300円(税込み)。

自動巻き(Cal.MT5602-1U)。25石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。セラミックスケース(直径41mm)。200m防水。85万300円(税込み)。
さまざまな素材を「実用時計」に積極的に投入するその姿勢は、チューダーのスローガン「Born To Dare(挑戦者の精神)」そのものだ。「保守と挑戦という相いれないモチベーションを同時に成立させること」。それがウガルテの時計デザインへの姿勢なのであろう。以下の動画を視聴すると分かる通り、口調こそ非常に柔らかいものの、ウガルテの時計作りにかける秘めた闘志は相当なものである。
こうした現代チューダーの哲学を、実際に体感できる場がある。2019年、日本初の同ブランドの路面旗艦店として誕生した、「チューダー ブティック 銀座 by BOLTE」だ。このブティックでは、日本におけるブランド発信の拠点としての役割を担っており、バーガンディーとブラックを基調にした店内はチューダーの世界観を空間全体で表現している。チューダーを熟知した顧客目線のスタッフの対応が徹底され、多彩な素材のモデルを実際に比較しながら紹介してくれる。ここで、素材や仕上げの違いがどのように個性へと昇華されているのかを実感すると、ウガルテの「歴史を再構築する」という思想がより具体的に理解できる。思想と実機が交差するこの空間は、現代チューダーの立ち位置を示す象徴的な存在と言える。

「ブラックベイ 54 “ラグーンブルー”」への考察
そんなブランドの哲学が具体的な形として結実したと筆者が考えるのが、今回取り上げる「ブラックベイ 54 “ラグーンブルー”」である。このモデルはチューダーの中でも「歴史を忘れず、しかし単純なコピーではなく、最も重要なエッセンスを抽出して現代に再構築する」というウガルテの哲学を、明確に読み取れるモデルである。

自動巻き(Cal.MT5400)。27石。パワーリザーブ約70時間。SSケース(直径37mm)。200m防水。67万9800円(税込み)。
~過去のエッセンスの選択と再構築~
まず、この時計の骨格を成しているのは、1954年に誕生した、チューダー初のダイバーズウォッチに由来する歴史的エッセンスである。直径37mmという控えめなケースサイズはその象徴と言える。現代の基準では小径に分類されるが、このサイズ感こそが、当時のダイバーズウォッチの定番だった。

さらに、風防にはヴィンテージダイバーズによく見られるドーム型が採用されており、ケースサイズ以上の視覚的な柔らかさと奥行きを生み出している。当時はアクリル(プレキシグラス)が風防の標準素材で、薄くフラットな形状で割れやすかった。であるがゆえに、耐久性を確保するには、あらかじめドーム状に作ることが最も合理的な選択だった。

リュウズガードを持たないケースサイドの滑らかな輪郭もまた、1950年代チューダーの特徴を忠実に受け継いでいる。後年のプロフェッショナル・ダイバーズに見られる、破損や過酷な使用を前提とした、張り出したような造形のリュウズガードとは、明確に一線を画している。

文字盤の余白処理やベゼルの数字配置も目立たず、極めて保守的だ。ヴィンテージダイバーズは文字盤上の余白が大きく確保されており、情報量を意図的に抑え、道具としての役割を優先する外観が多い。それはベゼルのスケールの配置についても同様で、サブマリーナーが登場した1954年当時は、必要最小限の数字だけを残し、視覚情報の密度を下げるという、非常に保守的で道具的な設計思想が定番だったのだ。ブラックベイ 54 “ラグーンブルー”は、この外観を正確に踏襲し、情報量を最小限にしている。1969年に登場した「Ref.7016」から採用され、フランス海軍支給モデルにも見られる“スノーフレーク針”もまた、チューダーの歴史を示す重要な要素であるが、強調されることなく、全体のバランスの中に自然に収められている。
これらの要素はすべて、ブラックベイ 54 “ラグーンブルー”が単なる「小さいダイバーズウォッチ」ではなく、ヴィンテージダイバーズの思想そのものを、現代の設計思想で丁寧に再構築したモデルであることを雄弁に物語っている。
~未来への挑戦~
一方で、この時計を単なる過去へのオマージュにとどめていないのが、挑戦的なウガルテの感覚を可視化する要素である。その最たるものが、文字盤の“ラグーンブルー”の色彩だ。ヴィンテージチューダーの歴史をひもといても、このように明るく開放的なブルーは存在しなかった。軍用でもプロフェッショナル用途でもないこの色彩は、海を「作業の場」としてではなく、「記憶や感情の対象」として捉え、極めて現代的な感覚を発展させ、未来に向けて挑戦するものと言える。

“ラグーンブルー”に代表される淡い青系の色調は、文字盤に奥行きを与え、余白を実際以上に広く感じさせる色彩効果を持つ。ダイバーズウォッチに多用されてきた黒が、余白を収縮させ消してしまう色であるのに対し、空や海を想起させるこのブルーは後退色とされ、視覚的に面を奥へと押し広げる効果がある。その結果、ヴィンテージダイバー特有の静けさや余韻が、より強く、より深く感じられるのである。
ただ、“ラグーンブルー”という色彩は、使い方を誤れば、軽すぎたりおもちゃっぽく見えたりと、ツールウォッチとしての説得力を一気に失いかねず、使用難易度が高い。しかし本作は、ヴィンテージダイバーが持つ、さまざまな落ち着いた歴史的エッセンスの上にこの色が置かれているため、派手さや軽薄さに傾いていない。加えて、文字盤には微細なサンドテクスチャーが施されており、光を強く反射するのではなく、柔らかく拡散する構造となっている。まるで南国の浅瀬で、砂がサラサラと揺れ動く一瞬を切り取ったかのような、生き生きとした繊細な質感だ。さらによく観察すると、ベゼルに彫られた小さな数字にまで同様のサンドテクスチャーが与えられており、この徹底した感情表現には驚かされる。

また、従来のダイバーズウォッチではあまり見られない、ステンレススティール製の鏡面仕上げのベゼルも特徴的だ。ここにあるのは、ウガルテが若くして学んだジュエリーデザインの思想だ。ジュエリーは単体の造形物ではなく、体に装着することで初めて完成する、というものだ。
この思想をブラックベイ 54 “ラグーンブルー”に当てはめると、ベゼルはもはや体と文字盤を分断する境界線ではない。鏡面仕上げによって生まれる反射光を介し、両者を滑らかにつなぐことで、境界が溶けるような視覚効果を生み出している。計器としての機能性を確保しながら、ジュエリーデザインで重視されてきた「体との連続性」を、ベゼルという要素に託した設計だと言える。さらに、ポリッシュ仕上げとサテン仕上げを使い分けた5列ブレスレットも、光の反射を分散させながら、ケースから手首へと続く造形を自然につなぐ役割を担い、時計と体との連続性をさらに強めている。




多様性を包み込むダイバーズウォッチ
このように「ブラックベイ 54 “ラグーンブルー”」は、アンダー・ウガルテが培ってきた才能と経歴を遺憾なく発揮した逸品である。彼の哲学の両輪である「未来への挑戦」と「過去のエッセンスの再構築」は、互いに反発することなく共振し、やがてひとつの完成形へと収斂していく。その関係性は、腕時計の機構になぞらえれば、「近接するふたつの振動体は互いに影響を及ぼし、やがて同期する」というクリスチャン・ホイヘンスが見出した物理現象を想起させる。ジュエリーデザインの基礎を背景に、まるで未来と過去という一見異なるベクトルの同調現象を、「視覚的共鳴」として具現化しているかのようである。
同時に本作は、「どこまでが過去で、どこからが挑戦(=更新)なのか」が視覚的に明確に整理されている点でも際立っている。遠目には「南国の潮騒を思わせる静かな透明感」という、現代的で感覚的な全体像を示しながら、細部に視線を移せば、各パーツに込められた過去のエッセンスがくっきりと立ち上がってくる。感覚に訴えかけながらも、理性による読み解きを拒まない。この時計は、ウガルテが提示する「過去と現代」の融合を、身に着けることで視覚的、感覚的に、味わわせてくれる存在なのである。
さらに特筆すべきは、200mの防水性能とCOSCクロノメーター認定のCal.MT5400を搭載した、本格的なプロフェッショナルダイバーズウォッチであるにもかかわらず、それを大っぴらに誇示していない点だ。過剰なスペック表現やツール感は抑えられ、代わりに色彩とバランスによって、日常に自然と溶け込む透明感のあるダイバーズとして再定義されている。チューダーは特にターゲットとなる性別を明示していないが、ブラックベイ 54 “ラグーンブルー”は、女性の手首にも無理なく映える、ジュエリーデザインとしての完成度も併せ持つ。このようなダイバーズを主張しないさりげなさと、性別を意識させないユニセックス性は、1954年のチューダー初代ダイバーズには見られなかった発想と言えるだろう。過去と現在の感性も共鳴し、まさに、ダイバーシティ ダイバーズ(Diversity Diver’s=多様性を包み込むダイバーズ)という名前がしっくりくる、象徴的な1本である。



