1983年のデビュー以来、数々のヒット曲を世に送り出し、シンガーソングライターとして、作詞・作曲・編曲家として長年、第一線で活躍してきた大江千里。彼は音楽活動と並行して、俳優としても数多くの映画やテレビドラマに出演してきたマルチな才能を発揮していた。しかし2008年以降は日本国内での活動を休業し、単身ニューヨークへ移住。彼の地でいったいどのような日々を送ってきたのだろうか。今回はそんな大江千里がかつて選択した1本の時計に注目したい。

Text by Yukaco Numamoto
編集:土田貴史
Edited by Takashi Tsuchida
[2026年9月13日掲載記事]
待望の最新アルバム「HOMEWORK」
2026年9月4日、大江千里は最新作「HOMEWORK」をリリースした。全曲書き下ろしの本作には、自宅でセルフレコーディングした楽曲と、マット・クロージー(ベース)、ロス・ペダーソン(ドラムス)を迎えてニューヨークのバンカースタジオでレコーディングした楽曲とが並ぶ。ジャズを土台にオペラやブルース、ラテン、ボサノバといった多彩な音楽要素を取り入れ、長年のファンにとっては、その柔軟な音楽性とともに、大江千里というアーティストの現在地を確かめられる一枚として、発売直後から話題を呼んでいる。
そんな新作の発売と時を同じくして、大江千里は今年7月から8月にかけて日本各地でソロコンサートを開催した。ジャズピアニストとしてキャリアを重ねてきたいま、本人曰く「3代目・大江千里」の襲名ツアーのような心境にあるという。昨今はインストゥルメンタルを軸にした演奏スタイルだが、過去には故シーラ・ジョーダンやベッカ・スティーヴンス、日本からは森山良子といったアーティストを迎え、ボーカル曲を組み込んだステージを企画したこともあった。
アンコールのサプライズとして、ピアノを弾きながら往年のヒット曲を一節歌ってくれることもある。イントロのワンフレーズでファンを歓喜させる心憎い演出だ。さらに近年は「note」などウェブ上での連載を通じた文筆活動にも取り組み、活躍の場を広げている。
アーティスト“大江千里”とは?
大江千里とは、いったいどのようなアーティストなのか。昭和から平成へと移り変わる1980年代から90年代前半にかけて、彼は作詞・作曲・歌のすべてを自らこなす、時代の最先端を走るヒットメーカーだった。ドラマの主題歌となった「格好悪いふられ方」などが大ヒットを記録し、自身もトレンディドラマに俳優として出演するほどの人気を誇った。さらに松田聖子や光GENJIといったトップアイドルにも楽曲を提供し、シンガーソングライターとしての確固たる地位を築いていた。
ところが、そうした栄光の絶頂にありながら、大江千里は47歳ですべてをリセットし、単身ニューヨークへと渡る。名門「ニュースクール大学ジャズ&現代音楽科」へ入学したものの、道のりは決して平坦ではなく、最初は実技授業を受けるためのオーディションにすら合格できなかった。それでも20代の若者たちに混ざり、苦労を重ねながら4年をかけて卒業を果たしている。
なぜ、これほど大きな決断に踏み切ったのか。理由は幾つかあったという。ひとつは、ポップスの楽曲づくりの旬から遠ざかりつつあったこと。年齢相応のリアリティーを表現するさじ加減が、次第に難しくなってきたそうだ。30代の大江千里にとって、それはシンガーソングライターとしての試行錯誤を繰り返す時期でもあったとインタビューで振り返っている。
そして40代に入ると、右足に小さな脂肪腫が見つかる。クリスマスコンサートのパンフレット撮影のためフィンランドへ向かう機内で激痛に襲われ、現地の救急病院で除去手術を受けて一旦は落ち着いたものの、帰国後も転移と除去を繰り返す事態となった。そんなとき脳裏に浮かんだのが、父の「人生には限りがある。やりたいことを今のうちにやれ」という言葉だった。その言葉を真剣に受け止め、「もし明日死ぬとしたら何をするか」を突き詰めて考えた末に辿り着いたのが、子どもの頃から憧れていたジャズだったという。
「将来を見据えたとき、60歳を過ぎて赤いちゃんちゃんこで往年のヒットソングを歌っている自分の姿は想像できなかった」。そう語る芯の強さこそが、大江千里を新たな道へと突き動かしたのではないだろうか。
見逃せない時計のフォルムを発見
この写真は、1997年に発表された34枚目のシングル「ハイパーアクティブダイナソー」のジャケットの別カットだ。投稿されたのは楽曲発表から30年近くを経てのことで、ファンからは「いつの写真(笑)」と懐かしむコメントが並んだ。
ポップスの最前線を走っていた30代の面影を色濃く残すこの一枚は、ジャズピアニストとして再出発した現在の大江千里とは、またひと味違う魅力を放っている。そんな懐かしい写真を改めて眺めていると、思わず目に留まったのが、彼の左手首に収まっている時計のフォルムだ。丸みを帯びたクッション型のケースと、どこかレトロでいて近未来的な佇まいは、いまの目にも新鮮に映る。
「ハミルトン パルサー」とは?
この時計は、「ハミルトン パルサー」と推測できる。同モデルは1970年に発表された、世界初のLED式デジタルウォッチだ。針やゼンマイといった可動部品を一切持たず、音も発しない静かな構造でありながら、本体側面のボタンを押すと赤い数字がLEDで点灯し、時刻を映し出す近未来的な佇まいを持つ。水晶(クォーツ)の振動を集積回路が感知し、時刻へと変換する当時としては画期的な仕組みを備えていた。その名は、宇宙に存在する中性子星「パルサー」が高精度なパルスを発し続けることに由来する。
当時のハミルトンは、現在のスイス資本スウォッチグループ傘下に入る前のアメリカ企業であり、自由な発想と技術革新によって世界の時計市場に衝撃を与えていた。ハリウッド映画との関わりも深いブランドとして知られるハミルトンだが、このモデルもまた、1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』が描いた近未来的なデザインコンセプトから、少なからず影響を受けたと言われている。
そして初代モデルのリリースから50年の節目に登場したのが、復刻モデル「ハミルトン PSR」である。1973年リリースの「P2」をベースに、アイコニックな幅広のクッション型ケースを当時と同じサイズで再現。風防はルビーからサファイアクリスタルへとアップデートされながらも、レトロフューチャーな佇まいはそのままだ。
そのスタイルを受け継ぐ現行アイテムとして紹介したいのが、「アメリカンクラシック PSR デジタルクォーツ」(Ref. H52414130)である。40.8mm×34.7mmのステンレススチール製クッション型ケースに、液晶と有機EL(OLED)を組み合わせたハイブリッドディスプレイを搭載。ケース側面のボタン操作で赤い7セグメントLEDが浮かび上がる仕組みは、オリジナルの遊び心をそのまま今に伝えている。

クォーツ。SSケース(縦34.7mm、横40.8mm、厚さ13.3mm)。10気圧防水。13万900円(税込)。
おそらく大江千里の琴線に触れたのは、「ハミルトン パルサー」の未来を期待させる力強い存在感だろう。遊び心を持ちながらも、常に世間を驚かせる挑戦を続けてきた彼のセンスと、この時計のイメージが重なって見えるのも興味深い。
来月にはニューヨークの名門ジャズクラブ「バードランド」でのステージが予定されている大江千里。さらに来年1月からは、日本国内4会場でのステージも控えている。中学生の頃にジャズにのめり込んだ大江少年が手にしたのは、クリス・コナーのアルバム『シングス・ララバイ・オブ・バードランド』であり、その1曲目に収められていたのが、ピアニストのジョージ・シアリングがジャズクラブ「バードランド」のために書いた名曲「バードランドの子守唄」。
まさかその後、自らがバードランドのステージに立ち、ニューヨークの観客を沸かせることになるとは、当時の彼も想像していなかったかもしれない。ポップスという殻を脱ぎ捨て、ジャズという新たな地平でクリエイションを重ねていく「3代目・大江千里」——その進化の軌跡を、これからも見守っていきたい。



