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A.ランゲ&ゾーネの至宝、グランド・コンプリケーションの納品に立ち会う(1/1)

 時間があれば、読者の“時計納品式”にはできるだけ顔を出している。どの出会いも面白いが、今回の出会いは格別だった。即ち、A.ランゲ&ゾーネ「グランド・コンプリケーション」。A.ランゲ&ゾーネが作り上げた、現時点で最も複雑、かつ高価なドイツ製の時計である。

 この時計について、多く書く必要はないだろう。2013年に発表されたこの超複雑時計は、時・分表示に、グランソヌリ及びプチソヌリ、ミニッツリピーター、60秒積算針と5分の1秒フドロワイヤントを持つスプリットセコンドクロノグラフと、ムーンフェイズ付きの永久カレンダー機構を搭載する。直径は50mm、定価は192万ユーロ。毎年1本製作で、限定数は6本。

 購入者は『クロノス日本版』読者の定岡氏(仮名)。読者の皆さんならお分かりだろうが、以前弊誌内の漫画「パラノイア列伝」にもちょっと顔を見せた人物である。漫画の中で、彼はグランド・コンプリケーションを買い、筆者が納品に立ち会ったが、その正式な納品式が、10月に行われたのである。漫画で取り上げた以上、顔を出さねばならないだろう。それに、A.ランゲ&ゾーネ「グランド・コンプリケーション」を間近で見るチャンスは、ひょっとしてこれが最初で最後になるかもしれない。

 時計を見ながらガヤガヤ話をするだけかと思いきや、本国から、CEOのヴィルヘルム・シュミット氏が来日するという。グランド・コンプリケーションは、いわばA.ランゲ&ゾーネにとっての至宝である。と考えれば、社長自らの納品は当然か。ついでに、広田にもこの時計の説明をしてほしい、と頼まれた。ちなみに筆者は、R&D責任者のアントニー・デ・ハス氏から、この時計について何度も話を聞いてきた。他の人よりは正確に説明できると思っているが、定岡氏曰く「娘に分かるように説明してください」とのこと。マジすかそれ。ホントにやんの?

「グランド・コンプリケーション・セレブレーション・ディナー」と銘打たれた納品式。場所は丸の内のハインツ・ベック。A.ランゲ&ゾーネからは、CEOのヴィルヘルム・シュミット氏や当時の日本CEOであるエドモン・ブスマール氏などが、加えてリテーラーからも何人かが参加した結果、総勢10名という大納品式になった。右写真中央がヴィルヘルム・シュミット氏。

 正直、現時点でこれよりも複雑な時計も、高価な時計も存在する。しかし、古典を今の技術で復活させたという点で、このグランド・コンプリケーションは唯一無二だろう。しかも、6本のために設計を起こし、2名の時計師が交代で、1年がかりで作り上げるのだから、採算が取れているとは思えない。事実、CEOのシュミット氏は「弊社の儲けはまったくない」とぼやいていた。

保証書にサインを入れるシュミット氏。「オーナーの方と食事をする機会はありますが、今回は特別ですね。なにしろ、A.ランゲ&ゾーネが作った、ドイツ時計史上最も複雑な時計ですから」。なお、この特別な時計には特別な番号が与えられている。ケース番号は200002、ムーブメント番号は190005である。

 例えば、エナメル製の文字盤。これは外部のサプライヤーから納入されるものだが、デ・ハス氏曰く「使えるのは15枚に1枚あるかないか」とのこと。文字盤は完全な鏡面を持っているが、スが入っていれば破棄、加工時にクラックが入ればやはり破棄、である。文字盤1枚の価格は想像を絶するほど高価だが、それをジャンジャン捨てるのである。定価192万ユーロはむべなるかな。

ご尊顔。直径50mm、重さも360グラム近くあるため、実用品よりもデスククロックに近い。事実、シュミット氏も「普段使いよりも、テーブルに置いて使うことをお勧めします」と述べていた。文字盤はエナメル。写真が示すとおり、文字盤は完全な鏡面を持っているほか、ケースの磨きも、レギュラーモデルよりさらに良い。

 ムーブメントのスティールパーツにも、惜しげも無くブラックポリッシュ仕上げが与えられている。筆者の知る限り、今までに作られたムーブメントの中で、これほどブラックポリッシュを多用したものは存在しない。スティールパーツを錫板で磨くことでこの仕上げを与えられるが、ゴミがひとつでも入るとアウト、組み立て時に息を吹きかけてもアウト、しかも湿度や温度によっても、仕上がりが変わってくるため、条件のいい日にしか作業を行えない。かの巨匠ダニエル・ロート氏が「一番面倒なのはブラックポリッシュ」と語っていたその仕上げを、A.ランゲ&ゾーネは、グランド・コンプリケーションのあらゆる部品に施したのである。組み立てる時計師の苦労たるや想像を絶する。何しろ、息を吹きかけたらアウトなのだから。

時・分表示に、グランソヌリ及びプチソヌリ、ミニッツリピーター、60秒積算針と5分の1秒フドロワイヤントを持つスプリットセコンドクロノグラフと、ムーンフェイズ付きの永久カレンダー機構を搭載するムーブメント。目に見えるスチールパーツはすべてブラックポリッシュ仕上げ。ここまで手を入れた例は他に見たことがない。

 グランソヌリ、プチソヌリとリピーターも、極めてよく調教されていた。本作が搭載するチャイム機構は、今風の非接触ガバナーではなく、古典的な機械式ガバナーで調速されている。音を鳴らすとジジジという機械音は聞こえるが、決して耳障りではないのは、加工と組み立てが良く、調整も優れているためだろう。あくまで私見だが、グランド・コンプリケーションの音は、古典的な機械式ガバナーを持つ現行品の中で、間違いなくベストだ。昔の懐中リピーターを洗練させれば、こういう音になる、という音を奏でていた。

当然バックルも完全な特注である。一見普通のデュプロインバックルだが、ベルトをすぐに外せる構造になっている。使おうと思えば腕に巻いて使えるが、シュミット氏も曰く「できれば腕に巻かずに、ボックスで保管していただきたいと思います」とのこと。仮に筆者が同じ立場なら、恐ろしくて使えません。

 こんな恐ろしい時計を、定岡氏は「音を鳴らしてどうぞ」と触らせてくれた。筆者は「マリー・アントワネット」もヴァシュロン・コンスタンタンの250周年記念モデルも、あるいは表に書けない複雑時計も触った経験はあるが、これほど緊張したことはない。フェラーリの250GTOを運転するようなもので、床に落としでもしたら、100年はただ働きせねばならないだろう。果たせるかな、リピーターボタンの操作感は極めて精緻だった。スイス製のものとは違う精緻な手触りは、なるほど、ドイツ製の超高級時計に相応しい。

定価192万ユーロもする時計であるから、保証書も重厚である。なんと取扱説明書を兼ねていて、しかもすべて日本語に翻訳されている。当然、市場にあるのはこの1冊のみ。A.ランゲ&ゾーネ関係の書籍で、最もレアではないだろうか。この時計のためにわざわざ“本”を作ったところに、A.ランゲ&ゾーネのすごみがある。

 定岡さんの許可をいただき、グランド・コンプリケーションの動画を撮影した。iPhoneによるものだから、画質・音質ともに良いとは言いがたい。しかし、デジタルデータを通してさえも、この時計が卓越していることはお分かりいただけるはずだ。

 シュミット氏によると、6本のグランド・コンプリケーションは、ヨーロッパに1本、ロシアに1本、中近東に1本、東南アジアに1本、アメリカに1本、そして日本に1本あるとのこと。おそらく、これらすべては金庫にしまわれて、今後姿を見せないかもしれない。A.ランゲ&ゾーネが作り上げた至宝、グランド・コンプリケーション。直接見る機会を与えてくださった定岡氏と、A.ランゲ&ゾーネには心から感謝したい。(広田雅将)

グランド・コンプリケーションの取り扱い説明を受ける定岡氏とお嬢様。説明するのは、前述のエドモン・ブスマール氏。本作のリピーターはスライダーを動かしてゼンマイをチャージするのではなく、あらかじめ巻かれたゼンマイを、ボタンで解放して動かす。
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