ブルガリの時計を知る。特徴や代表的なモデルをチェック

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2021.08.08

ブルガリは、スイス時計産業の歴史とは異なる伝統をもつ時計を提案する。ブルガリのデザインの核となるのが「ローマ」だ。ローマの歴史とブルガリのデザイン思想の関わりを知り、ブルガリだけが表現し続けている独自の世界に触れてみよう。

オクト


ブルガリの創業から腕時計事業参入まで

BVLGARI」というスペルの意味を考えたことがあるだろうか。実はこの表記には、ブルガリが重んじるローマの歴史と深い関わりがある。

ローマから始まった、ローマに帰属するブルガリがつくる、永遠性と革新性をあわせ持った腕時計の歴史を紹介しよう。

始まりはローマの銀細工店

「ブルガリ」は、永遠の都市ローマを象徴するイタリアの代表的なジュエラーであると同時に、いまではスイスでも屈指の技術を誇るオートオルロジュリー(高級時計)のマニュファクチュールとして知られる存在だ。

創業者のソティリオ・ブルガリ(1857-1934)はギリシアのエピルス地方の、代々続く銀細工師の家に生まれた。技術を得るとギリシャからローマに移り、銀細工の商いを始めた。

エピルス地方は銀細工で有名なエリア。ソティリオ・ブルガリはこの地に古くから伝わる伝統的な技術と古代ギリシアと古代ローマの建築様式をベースにした意匠を組み合わせた独自のスタイルをつくり上げている。

1884年、システィーナ通りにブルガリ1号店をオープン。ブルガリ本店と位置付けられている。ブルガリの銀装飾は観光客の圧倒的な支持を集め、観光地に次々と新店舗をオープンしていく。

20世紀に入るとソティリオの二人の息子、コンスタンティノとジョルジュも経営に参加。さらに発展を遂げていく。

高級時計を発表

1940年代には太陽のような輝きを持つ金細工を始め、1950年代には貴石とカラーストーンの大胆なコンビネーションをデザインに取り入れる。

この頃は、ローマでのハリウッド映画製作が盛んな時期でもあった。市内を流れるデベレ川をを引き合いに「デベレ沿いのハリウッド」とも呼ばれていた。

多くのハリウッドスターをはじめとする著名人に知られる存在となったブルガリ。1960年代にかけて、オードリー・ヘプバーンやイングリッド・バーグマンといった女優たちを顧客とし、劇中での着用も手伝い、世界的な認知を得る。

この頃、ポップアートや極東からの影響も受け、さらにメゾンの独創性と革新性は高まっていく。

1970年代には、パリやニューヨーク、ジュネーブにも店舗を構え、モダンな女性たちに向けて、アイコニックな高級時計を発表することとなる。

ブルガリ・ブルガリで評価を確立

1975年には、ベゼルに「BVLGARI ROMA」と刻印した100本限定デジタル時計特別な顧客にプレゼントした。これがブルガリがつくった最初の腕時計である。

その2年後、「ブルガリ・ブルガリ」を発売する。ベゼルに「BVLGARI BVLGARI」と刻字されたこのモデルのイメージソースが、古代パルテノン神殿の円柱大理石と、そして外周に皇帝への賛美が刻字されたコインである。

前代未聞のデザインを持つこの時計は激賞を浴び、今なおブルガリのアイコンとなっている。

ブルガリは「BULGARI」でなく「BVLGARI」と表記する。このスペルは、ローマのトラヤヌス記念柱の土台に刻まれた碑文から着想を得たものだ。

古代ローマ帝国のアルファベットでは「J」「U」「W」を使用しないことから「BVLGARI」としたのだ。またトラヤヌスとはローマ帝国の皇帝(在位98-117年)で、ローマ五賢帝のひとりとして誉れ高い人物。偉大なる皇帝トラヤヌスの時代のレタリックを用いることで、ローマへの帰属を表現したのだ。


本格マニュファクチュールへの歩み

「ブルガリ・ブルガリ」で時計メゾンとしての世界的認知を得たブルガリは、その後マニュファクチュールとしての道を歩み始める。

その独創的なデザイン思想が時計の世界でも認められ、スイス時計産業の伝統的技術とノウハウとの融合により唯一無二のモデルを登場させていく。

スイスに腕時計製造会社を設立

ブルガリは、「ブルガリ・ブルガリ」の成功を受け、1980年代初頭に「ブルガリ・タイム社」をスイスに設立した。

時計製造部門を高級時計の本場に移転したことで、ブルガリの時計の品質と性能は高まっていく。

2000年には高級時計メゾンである「ジェラルド・ジェンタ」「ダニエル・ロート」を傘下におさめた。いずれも、創業者は著名な時計師であり、時計愛好家たちからの評価も高い優れたモデルをつくる一流ブランドだ。

「ジェラルド・ジェンタ」の創業者チャールズ・ジェラルド・ジェンタ(1931−2011)は、カルティエの「パシャ」やパテック フィリップの「ノーチラス」などが代表作として知られ、「ブルガリ・ブルガリ」もその作品に含まれる。

1988年、「ダニエル・ロート」を創業したダニエル・ロート(1945-)は、歴史に埋没していたトゥールビヨンを小型化し、時計の複雑機構のひとつに昇華させた功労者だ。

このふたりの参加により、ブルガリの時計は大きく変わることになる。

自社製ムーブメントを開発

ソティリオ・ブルガリ BVL168

2009年、創業125周年を記念してスタートした「ソティリオ・ブルガリ」。写真は2010年に登場した自社製ムーブメント「キャリバーBVL168」を搭載した「ソティリオ・ブルガリ BVL168」。

21世紀のブルガリ時計は、ジェラルド・ジェンタとダニエル・ロートを加えたことにより、製造技術を飛躍的に向上させるだけでなく、意匠も洗練さを増していく。またケース製造会社など部品メーカーも次々と傘下におさめていった。

こうしてマニュファクチュールとしての体制を整えたブルガリは、創業125周年を迎えた2010年、「時計メーカー宣言」をする。

この宣言と同時に発表したのが、同社初の自社製ムーブメント「Cal.BVL 168」を搭載した「ソティリオ・ブルガリ」である。

創業者の名を冠したこのモデルは、マニュファクチュールとしてのブルガリ新時代の始まりを予感させるものだった。事実、その後に発表されたモデルは、老舗高級時計メゾンを抑えて数々の賞を受賞している。