オリエントスター来し方70年 煌めきのクライマックス

FEATURE本誌記事
2021.02.05

1971年の発表以来、オリエントスターを支えてきた46系キャリバー。堅牢かつ高精度な設計は、なるほど基幹ムーブメントと呼ぶに相応しいものだ。オリエントスター誕生70周年を迎えた2021年、エプソンはその46系キャリバーを大幅に刷新。ガンギ車にシリコン素材を採用することで、性能を飛躍的に向上させたのである。

オリエントスター クラシックコレクション スケルトン RK-AZ0001S
スモールセコンドからのぞく窓の左上に見えるガンギ車はなんとシリコン製。新しいオリエントスター「スケルトン」は、日本製の機械式時計として初めて、脱進機を構成するガンギ車にシリコン素材を採用する。見た目も鮮やかなこのシリコン製ガンギ車により、パワーリザーブは約20時間も延び、精度も大幅に改善された。
手巻き(Cal.F8B62)。22石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約70時間。SS(直径38.8mm、厚さ10.6mm)。5気圧防水。29万円。
奥山栄一:写真 Photographs by Eiichi Okuyama
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
クロノス日本版 2021年3月号 掲載記事

幾星霜を輝く星

 エプソンが発表した新しいオリエントスター クラシックコレクション「スケルトン」には、日本の機械式時計としては初となるシリコン製のガンギ車が採用された。セイコーエプソン会長の碓井稔氏はかつて「エプソンの優れた技術を投じてオリエントの刷新を図りたい」と述べた。プリンターだけでなく、精密機器の世界でも高い技術力を誇るエプソン。確かに新素材や新技術の扱いはお手のものだろうが、シリコン製のガンギ車に〝飛躍〞するとは予想もしていなかった。同社がシリコンという素材に注目したのは2016年1月のこと。18年半ばにはこの素材でガンギ車の試作を始め、オリエントスター誕生70周年に当たる21年にいよいよお披露目となったのだ。

シリコン製ガンギ車の採用に伴って、ムーブメントの仕上げにも手が入れられた。目を引くのはダイヤモンドカットによる極めて深い面取り。また、受けの上面に切削によって施された波目模様も、いっそうはっきりした。価格以上の高級感はオリエントスターの魅力である。ゴールドカラーメッキ版はCal.F8B62、シルバーカラーメッキ版はCal.F8B63となる。

 シリコンを採用したそもそもの目的は、脱進機効率を向上させるため。ガンギ車を軽い素材で作れば、その慣性モーメントは下がり、パワーリザーブを延ばしたり、計時精度を高めたりすることができる。併せて加工精度を上げれば、駆動ロスも減らすことができる。加工方法を含めて、エプソンはさまざまな素材を検討。最後に残ったのが、時計業界にも普及しつつあるシリコン素材だった。もちろん同社は、時計業界の流行に乗ってシリコンを選んだわけではない。長年エプソンは、MEMSという技術をプリンターヘッドの製造に用いてきた。その素材をシリコンに替えるのは、同社にとって当然すぎる選択だったのである。

魅力的なディテールの数々。(左)扇形の取り付け部を持つシリコン製のガンギ車。独自の製法により、極めて鮮やかなブルーを持つ。
(右)スケルトンのデザインにも手が入れられた。テンプ受けのモチーフはふたつの尾を引く彗星。深いダイヤモンドカットによる面取りと併せて、強い印象を与える。

 シリコン製ガンギ車の加工法は次の通り。シリコンウエハー表面にガンギ車の形状にパターニングした感光性樹脂を形成し、プラズマで加工する。エプソン曰く「プラズマで加工したシリコン表面には凹凸形状が存在し、シリコンの割れやすい性質がより顕著に現れてしまう。そのままではガンギ車のような機能部品には向かないが、表面を平滑にすることで強度は大きく上げられる」。そこで平滑面を与えるための熱酸化処理と除去を繰り返す工程を追加することで、シリコン製ガンギ車の強度は増し、従来の洋白材に比べて耐摩耗性も改善できたという。

(左)風防には従来の片球面に替えて、両球面サファイアクリスタルが採用された。新たに施された両面無反射コーティングにより、視認性は極めて高い。裏蓋のシースルー部も無機ガラスからサファイアクリスタルに変更された。
(右)実用性への配慮が菊型のリュウズだ。指に当たる面積を大きく取ることで、巻きやすくなっている。

 しかし、丈夫で摩耗しにくくなっても、シリコンは扱いづらい素材だ。シリコンで成形したガンギ車は、スティール製のカナに固定する必要がある。その際、力を加えすぎたり、軸がずれたりすると簡単に割れてしまうのだ。これまでシリコン製ガンギ車の採用が、一部の高級機に限られてきた理由である。対してエプソンは、カナとの取り付け部にバネ性を持たせるという解決策を見いだした。

 ミクロンレベルの加工ができるMEMS技術。この手法を使うことで、割れやすいシリコンにバネ性を持たせることができた。シリコンは割れやすい性質を持つ一方、厚さが十分薄い場合にはしなる性質も併せ持つ。その特徴を利用できないかとエプソンの技術陣は考えたのだ。ガンギ車の取り付け部にバネ性を持たせれば、取り付け時の破損を防げるし、カナの寸法に多少の誤差があっても、理論上はガンギ車を高い精度で固定できる。そこでエプソンは中心部にバネ性を持たせたガンギ車を複数試作。扇状の取り付け部と、側面にスリットを入れた新しいカナの組み合わせにより、シリコン製ガンギ車は破損を起こさず、しかも精密に固定できるようになったのだ。

「モンビジュ」以来スケルトンを得意とするだけあって、新作にも細かいブラッシュアップが施された。上は往年のモンビジュ、下は新しいスケルトンの開発初期のスケッチ。ハイテクで武装した新しいスケルトンモデルだが、文字盤やリュウズの処理が示す通り、モンビジュの流れを汲むことが見て取れる。オリエントスターらしいデザインに特徴がある。開発陣曰く「デザイナーの要望に合わせるのが大変でした」。

 結果、シリコン製ガンギ車は驚くべき成果を46系ムーブメントにもたらした。持続時間を延ばすために主ゼンマイを薄くしてトルクを落とし、パワーリザーブは約50時間から約70時間に延びたが、精度は日差プラス15秒〜マイナス5秒以内となったのである。

オリエントスター クラシックコレクション スケルトン RK-AZ0002S

オリエントスター クラシックコレクション スケルトン RK-AZ0002S
オリエントスター誕生70周年に相応しい新作。シリコン製のガンギ車やより質感を高めた内外装を持つ。内外装の質感がいっそう高まったにもかかわらず、価格は既存のスケルトンから5万円上がったのみ。価格も極めて戦略的だ。このモデルはシルバーカラーメッキのムーブメントを持つ仕様。
手巻き(Cal.F8B63)。22石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約70時間。SS(直径38.8mm、厚さ10.6mm)。5気圧防水。29万円。

 だが、せっかくのシリコン製ガンギ車も、ムーブメントの奥にあっては暗く見えてしまう。そこでエプソンは、シリコン素材に施す多層膜の厚みをナノメートル単位でコントロール。加えて2層の酸化膜の間にポリシリコン膜を挟むことで、鮮やかなブルーを与えてみせたのだ。エプソンの関係者が特許申請中と語った通り、これは機能部品としてのシリコンに意図的に色を与えた新たな試みとなった。

ポリシリコン処理を施したウエハー。極めて鮮やかな色味を持つ。

オリエントスターの歴史とエプソンの技術力が結実したシリコン製ガンギ車

シリコン製ガンギ車

主ゼンマイのトルクの約半分を消費するのが脱進機。エプソンが自社開発した新しいシリコン製ガンギ車は、既存の洋白材に比べて重さが約1/3。成形精度が上がった結果、ガンギ車と爪石との係合量が減り、トルクロスが小さくなった。

 ムーブメントの仕上げも改善された。従来の仕上げはゴム砥石によるもの。対して新しい46系キャリバーF8B62とF8B63では、切削による波目模様に変わった。あえて強く施された波目は、新たに施されたダイヤモンドカットによる面取りと相まって、このムーブメントにいっそう高級機然とした表情をもたらす。

 外装への手の加え方も、今のオリエントスターならではだ。ケース素材はSUS304から、より耐蝕性に優れるSUS316Lに変更された。風防に使われるサファイアクリスタルも、片球面から両球面に変更されただけでなく、両面に無反射コーティングが施されるようになった。巻き心地を考慮して、菊型のリュウズを採用したのもオリエントスターらしい細やかな配慮と言えるだろう。

(左)組み上がった状態のCal.F8B63。かなり深い面取りと全面に施された切削渦目模様が目を引く。
(右)裏蓋側から見たムーブメント

 シリコン製ガンギ車の採用で大きく性能を高めたオリエントスターの新スケルトン。そのテーマは「NOWHERE,NOW HERE(どこにもないもの。それがいま、ここにある)」だという。なるほど、70周年を迎えたオリエントスターが見せるのは、今まで見たことのない、日本製腕時計の新しい地平なのである。

(左)シリコンウエハーをチェックする様子。シリコン製のガンギ車を製造するのは、エプソンの富士見事業所である。時計用のCMOS LSI開発に始まったエプソンの半導体技術が、類を見ないシリコン製ガンギ車に帰結した。
(右)組み立て途中のムーブメント。シリコン製のガンギ車を取り付ける工程。


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オリエント時計が手掛ける機械式時計の歴史

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オリエント70年の物語 ー個性を磨き続ける時計界の異端児ー

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