「クロノスイス」創業者、ゲルト・リュディガー・ラングが逝去。機械式時計の復興に尽力した彼の功績を振り返る

FEATUREWatchTime
2023.05.17

クロノスイスの創業者で長年代表取締役を務めたゲルト・リュディガー・ラングが、2023年3月3日に80歳で亡くなった。古典時計のコレクター兼研究家でもあった彼は、機械式時計復興の立役者でもある。ラングの逝去によせて、彼の歩みと功績を紹介しよう。

ゲルト・リュディガー・ラング

時計ブランド「クロノスイス」の創業者であり、経営に長く携わった時計師ゲルト・リュディガー・ラング(1943-2023)。
Originally published on watchtime.com
Text by Rüdiger Bucher
2023年5月17日掲載記事


クロノスイスの創業者、ゲルト・リュディガー・ラング

クロノスイス レギュレーター

ゲルト・リュディガー・ラングによる最初のクロノスイス レギュレーターはヴァシュロン・コンスタンタンのマリンクロノメーターに着想を得ている。

 ゲルト・リュディガー・ラングは、1980年代から90年代にかけて起こった、機械式時計の復興を象徴する人物のひとりである。1983年にラングが創業した時計ブランド「クロノスイス」では、レギュレーターとクロノグラフという、ふたつの複雑機構に焦点を当てたクラシックなスタイルの時計を製作した。独自のデザインを持つレギュレーターは1987年から展開され、クロノスイスのトレードマークとなった。

 クロノスイス初のレギュレーターは、ルイ・ベルトゥーが18世紀末に発明したレギュレーターディスプレイを備え、1908年にヴァシュロン・コンスタンタンが製造したマリンクロノメーターに着想を得て作られた。センターの分針を挟むように、12時側に時針、6時側にスモールセコンドの、ふたつのサブダイアルが配されている。

 ラングがこのモデルで初めて採用したローレット加工を施したベゼルは、以降クロノスイスの特徴のひとつとなっている。さらにサファイアクリスタルの裏蓋を導入し、精巧に作られたムーブメントを外から鑑賞できるようにした。裏蓋へのサファイアクリスタルの採用は先駆的なことであり、その後、数多くのブランドがこれに追随している。

ホイヤーでのキャリアで培ったクロノグラフへの情熱

 ラングが重視した複雑機構、もうひとつはクロノグラフである。1964年から勤務していたホイヤーでクロノグラフの組み立て部門に所属していたラングは、当時からクロノグラフに対する情熱を持っていた。1969年、ラングはホイヤー・レオニダスがブライトリング、ハミルトン、ビューレン、デュボア・デプラと共同開発した、初の自動巻きムーブメント搭載クロノグラフの誕生にも立ち会っている。

 1970年代、ラングはフランクフルト・アム・マインに新設されたホイヤーのドイツ支社で工房のマネージャーを務め、その後ミュンヘンのホイヤー・タイム GmbHでオフィスマネージャーとして働いた。また、F1レースにおけるホイヤーのタイムキーピングにも携わっている。しかし、70年代のクォーツ革命はホイヤーにも影を落とす。

ホーラ

1990年の、クロノスイス「ホーラ」の広告。

 1979年の終わり、創業家4代目のジャック・ホイヤーはドイツ支社を閉鎖し、ラングを解雇せざるを得なくなった。しかしジャック・ホイヤーは元社員たちに対して、ドイツにおけるホイヤーのサービス業務を自営として引き受けることを提案する。ラングは自宅に時計工房を構え、スペアパーツの保管場所を自費で確保した。そして幸運にも350個のホイヤー製クロノグラフを引き受け、創業資金を賄うことができた。

 ラングはホイヤーだけでなく、スイスの時計メーカーが製造したあらゆる時計を修理し、スイスを旅して古いムーブメントや古いクロノグラフの残骸を買い付けた。そして、古い部品と新しいケースを組み合わせて作った時計にガラスの裏蓋を取り付け、文字盤に自分の会社名である「クロノスイス」という名前を印刷していた。

時計の美しさとディテールの作り込みで成功したクロノスイス

クロノスコープ

クロノグラフを搭載し、レギュレーター文字盤を備えたクロノスイスの「クロノスコープ」。

 1990年代、クロノスイスは機械式時計の分野で最も重要なブランドのひとつとなるまでに成長した。レギュレーターをはじめ、クラシカルな3針の「カイロス」、ジャンピングアワーとレトログラードミニッツを備えた「デルフィス」、クロノグラフを搭載した「クロノスコープ」など、創業者であるラングの精神が息づくコレクションが展開された。

 ラングがクロノスイスで成功を収めた理由、ひとつは時計が美しいこと、もうひとつは徹底したディテールの作り込みだ。彼の作る時計は、針の形や長さなどのバランスが良く、クロノグラフの目盛りの数がムーブメントの振動数と合致していた。

 また、ラングはコミュニケーションも重要視した。彼は自分が何をしているのか、なぜそうするのかをきちんと説明した。なぜその時計にこの機能があるのか、この機能はどのようにして生まれてきたのか、なぜこの機能を文字盤に配置したのか、ということを説明したのだ。このことを、ラングは著書『Book with the Tick』の中で述べている。

 ラングが時計について語ると、言葉の端々に彼の時計対する深い愛情を感じることができた。ラングが最新作について語るときは、この時計ほど魅力的な時計はないと思わせるような説明をすることができた。

カイロス クロノグラフ

クロノスイスが2012年に発表した「カイロス クロノグラフ」。

 2000年代に入ると、クロノスイスは次第に困難な状況に追い込まれていく。ラングは急速に変化する市場と嗜好の変化に対応しなければならないことに気付いていたが、一貫した路線のもとに新作を発表することができなくなっていた。2012年、ラングはついにクロノスイスをスイスの実業家であるエブシュタイン一族に売却する。

 だが2022年には、もう一度自身のレーベル「Lang 1943」を設立し、その名前のもとで時計を製作することになった。

 ラングは多くの人々に対して機械式時計の素晴らしさを伝え、自らの知識を伝えた時計業界の偉人のひとりとして、人々の心に残るだろう。

ゲルト・リュディガー・ラング

2020年に開催された「ゴールデンバランス ウォッチアワード」でのゲルト・リュディガー・ラング。


クロノスイス創業40周年を祝う「デルフィス オラクル」の限定モデルが登場

https://www.webchronos.net/news/92400/
レギュレーターダイアルを愛好するジャーナリストによるクロノスイス「フライング・グランドレギュレーター」着用レビュー

https://www.webchronos.net/features/58257/
レギュレーター式腕時計を堪能しよう、クロノスイス「フライング・レギュレーター ナイトアンドデイ」着用レビュー

https://www.webchronos.net/features/43126/