長らく男性のものと思われてきた時計趣味。しかし、時計に魅せられる女性は確実に増えてきた。そのひとりが東京在住のS.T.さんだ。大学時代に時計に興味を持つようになった彼女は、自分のテイストを貫くことで、厳選されたコレクションを築き上げてきた。「時計を宝石で輝かせる理由はない。中身が良かったらいいのです」と明快に語るSさん。そのブレない時計選びが示すのは、彼女の時計趣味に対する真摯な姿勢だ。

東京生まれ。大学時代に時計に興味を持つようになった彼女は、一般企業に就職後、時計趣味を加速させるようになる。自動巻きの腕時計は巻き上げがイマイチ、という理由で、今の好みは「3針、ドレス、シースルーバック、そして手巻き」。時計以外の趣味は洋蘭の栽培と着物、そしてピアス集めとのこと。
Photographs by Yu Mitamura
広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos Japan)
Edited by Chronos Japan (Yukiya Suzuki, Yuto Hosoda)
[クロノス日本版 2024年3月号掲載記事]
「時計は中身が良かったらいい。宝石で時計を輝かせる理由はありません」
東京在住のS.T.さんとお会いした時のことを、筆者はよく覚えている。時計が好きと語る彼女が見せてくれたのは、なんとIWCの懐中時計だった。普通のモデルでさえ驚きなのに、Sさんが所有するのは、1970年代にクルト・クラウスが設計した、トリプルカレンダームーンフェイズのリファレンス5500だったのである。重度のコレクターでさえ持っていないようなレアピースを、なぜSさんは所有しているのだろうか?
「時計は、大学時代に趣味として目覚めたのです。もっとも、小学生時代には時計を着ける習慣はありました。そして、高校の卒業祝いとして、1963年製の手巻きのセイコー『バーディー』を母からもらいました。これは祖母が母に贈った時計ですね。これがきっかけでした」

初めての機械式時計を手にしたSさんは、手ずから主ゼンマイを巻き上げたり、定期的にオーバーホールに出したりと、手間をかけ、世話をするのがいいと感じたそうだ。洋蘭を育てるのが趣味の彼女にとっては、胡蝶蘭も機械式時計も、同じようなものだったのかもしれない。
その後、チタン製で電波ソーラーの腕時計がいいと考えたSさんは、コストパフォーマンスに優れるシチズンのエクシードを購入した。「ひとつのブランドで時計はひとつと決めたのです。セイコーは持っていましたから、シチズンを選びました」。機械式時計が欲しくなった彼女は、後に、オリエントスターも手にした。「国産の機械式時計は1本欲しいと思ったのです。当時のシチズンには機械式がなかった。ミナセもまだなかったですね。セイコーかオリエントスターしか選択肢がなかったのです。オリエントスターは小さくて装着感が良く、えんじ色のベルトも好みでしたね」。

年に1本、心残りがないように買っていく、と語るSさんの時計選びは、驚くほど真摯だ。「学生の時に時計を調べるようになったのです。山田五郎さんの本は面白かったですね。それでハマっていったのです。ファッションとして選ぶと、時計は多い方が選択肢が増えるじゃないですか」。大学院を出た後に就職した彼女は、母親にロレックスのデイトジャストを譲ってもらった。そして、一月も経たないうちに、貯めたアルバイト代をはたいて、ジャガー・ルクルトの「レベルソ・デュエット」とカルティエの「サントス ガルベ」を手に入れたという。
「サントスは初の市販された腕時計じゃないですか。所有するというのが目標だったのです。でも新品にこだわることはなかったので中古ですよ」。サントスを手にして時計の見方が変わったとSさんは語る。「サントスのブレスレットは隙間がないんです。ですから夏に使うと暑いんですよね」。

就職したSさんは、懐中時計を購入して、卓上時計として使うようになった。それまで使っていた卓上時計が壊れ、だったら、懐中時計なら楽しいだろうと思った、と語るが、いきなりタバンの懐中時計を買う人もいないだろう。そんな彼女は、ムーンフェイズとカレンダー付きの時計が欲しいと思ったという。「でも、女性用の腕時計にムーンフェイズ表示とカレンダーが付いたモデルはほとんどないのです。あったとしても文字が小さくて見えない。だったら懐中時計でいいじゃないかと思ったのです」。
その結果が冒頭のIWC製の懐中時計だ。
「トリプルカレンダー、ムーンフェイズ表示、そして12時位置のリュウズというデザインが気に入って、このIWC製の懐中時計を選びました。購入した後、スイス・シャフハウゼンのIWC本社に送ってオーバーホールをしてもらいました。大きい時計はいいなと思いましたね」



彼女は無邪気に笑うが、卓上時計として使っていた懐中時計からIWCのレアモデルへの飛躍はただ事ではない。
その次に購入したのは、なんとオフィオンの「ベロス」である。言うまでもなく傑作だが、普通この時計は選ばない。「オフィオンはいいよと言われて、銀座のクロノセオリーに見に行ったのです。普通の文字盤は、すでに持っている時計と使用シーンが被ってしまうので12時のインデックスが赤いシンガポール限定モデルを選びました」。

オフィオンを手にした彼女は、自分の趣味を明確に把握したという。「結局、3針、ドレス、シースルーバック、手巻きに行きつきました。それ以前は自動巻きが多かったのですが、ロレックスは巻き上げ効率が良かったけれども、他のモデルは巻きがイマイチ。でも、自動巻きは手巻きすると良くないでしょう。その点、手巻きは安心して使えますね、そしてシースルーバック仕様だったら、ムーブメントがよく見えます」。
社会人になって使えるお金が増えた結果、時計趣味が加速したと笑うSさん。続いて手にしたのは、パテック フィリップの「カラトラバ 5096」と、なんとアンリ・キャプトのミニッツリピーターだった。「パテック フィリップはオフ会で勧めてもらったもの。今のカラトラバは華やかじゃないですか。こちらは控えめですよね。値段は高かったけれど、これ以上の個体はなかったのです」。キャプトを選んだ理由も振るっている。「鳴り物は憧れだけれども、現行品はメンズしかないですね。価格も手が届かない。自分が使わない機能を持つ時計は使わない。求めてない機能を載せていない、懐中時計なら安くて好みのものがあるんじゃないかということで、マサズ パスタイムで入手しました」。
「好きを突き詰めていきたいし、実用品の中で良いモノを見ていきたいのです」と語るSさん。これほどの女性コレクターが生まれた日本の市場は、今後ますます面白くなっていくに違いない。

