時計趣味にはまってからここ4年で100本以上買い集めたという。驚くのは膨大な数ばかりでなく、著名ブランドのスポーティーなモデルはもとより、稀少なハイエンドのコンプリケーション、さらにはニッチな独立系ブランドをカバーするその幅広さ。現在オーダー中の時計を含めてコレクションは増殖するばかり。そのため自宅に専用の時計部屋を作りたいという。「好きな世界に浸る孤独な趣味ですね」と笑うが、これぞ時計愛好家の理想郷ではあるまいか。

現在40歳。父親の仕事の関係で社会人になるまでを海外で過ごす。30代後半に起業し、現在エンターテインメントの関連分野で自営業を営む。子供の頃はG-SHOCKなどに興味があったが、本格的に時計に目覚めたのは起業してから。普段の装いはTシャツ中心のスポーツカジュアルで、ブレスレットウォッチを合わせることが多い。
Photographs by Takafumi Okuda
菅原茂:取材・文
Text by Shigeru Sugawara
Edited by Chronos Japan (Yukiya Suzuki, Yuto Hosoda)
[クロノス日本版 2024年3月号掲載記事]
「どこまで広がっていくのか見当がつきません。将来自分の時計を作るのが夢ですね」
ある大都市の高層複合タワー。そのレジデンス階に自宅を構えるX.C.さんは、ゲスト用の接客ルームにたくさんの時計を携えて現れた。Tシャツ姿で気取りのないスタイルは、経済誌などに登場する「若き起業家」といった人物像に近いかもしれない。実際にX.C.さんはエンターテインメントの分野で起業した成功者のひとり。30代で起業した頃、といってもここ4年ほど前のことなのだが、それから時計収集に凝り出したという。現在、100本以上のコレクションで多くを占めるのはブレゲである。
「最初に買ったのはマリーンのチタン製3針とクロノグラフ。実は本命は、俳優の伊藤英明さんが着けていたマリーン ロイヤルだったのです。かっこいいなと思って憧れましたね。しかしブティックに行ったら、もはや入手困難とのこと。そこで目にしたのが新世代のマリーンでした」

ブレゲを手に入れると、時計の背景やブランドの歴史にも興味が湧いた。海や空など、ブレゲほど幅広い分野で功績を残したブランドはないと知って、ますます好きになった。やがてブランドのスタッフとも親しくなり、2022年発表の「マリーン オーラ・ムンディ 5557」の日本入荷の最初の1本や、23年の「クラシック 〝グランドコンプリケーション〞ミニッツリピーター 7637BR」の世界出荷の最初の1本を次々と手に入れたというから凄い。
「昨年タイプ20のミリタリーモデルを手に入れた時、顧客向けツアーがあり、スイスとフランスを旅しました。スイス本社や航空博物館などを訪れて感動しましたね」
ブレゲを皮切りに、時計収集は加速する一方だが「腕が太くて基本的にブレスレットウォッチが多いです」と語るX.C.さん。オーデマ ピゲではブラックセラミックスによる「ロイヤル オーク クロノグラフ」がお気に入りの1本だ。「これは一番使っているかもしれませんね。セラミックスの加工技術の素晴らしさは言うまでもないですが、傷が付きにくいところが普段使いに最適なのです。僕の影響もあって妻も時計好きになり、ブラックセラミックスのロイヤル オークをしています。セラミックスといえば、オメガのスピードマスター ダークサイド オブ ザ ムーンもよく着けています」。
セラミックスによるオールブラックの格好良さは格別だ。こうしたモデルをカジュアルなファッションに合わせて普段使いにしているとは、時計好きでもなかなかの上級者ではあるまいか。ちなみにオーデマピゲについては、「ロイヤル オーク コンセプト ミニッツリピーター スーパーソヌリ」という、ハイエンドのコンプリケーションも所有する。先に挙げたブレゲのミニッツリピーターと並べ「どうぞ、どうぞ音を聞き比べてみてください」と気軽に言うX.C.さん。筆者もふたつのハイブランドのスーパーウォッチを同時にそろって見たのは初めて。こうした取材の機会でもなければできない貴重な体験である。
X.C.さんは著名なメジャーブランドの逸品にばかり目を向けているわけではない。時計収集の早い時期から独立系の小規模ブランドにも注目していたというから、もともと目が肥えた人物なのだろう。
「イベントで出会ったのがグルーベル・フォルセイの時計。技術とデザインがユニークですが、もっと評価されていいブランドですよね。それからローマン・ゴティエは本人と会いました。日本人との付き合いを大事にする人でした。彼らの作る時計は、手に着けるオブジェに技術が凝縮されていて、特に『ロジカル・ワン』の鎖引きコンスタントフォース機構などはギミックを可視化しているところがいい」

その楽しさをX.C.さん曰く「ミニチュアの遊園地を眺めて楽しんでいる感覚」とは言い得て妙だ。グルーベル・フォルセイは、現在所有する「バランシエ」に加え、カーボンケースによる最新作の「ダブルバランシエール コンヴェクス」も注文した。ローマン・ゴティエについては、ファンからの受注をもって生産終了した「ロジカル・ワン」のファイナルエディションやブランドの新たな方向を示す「C By ローマン・ゴティエ」を手に入れた。「時計はこんなに完成されたものながら、好きな場面で好きに着けられるところが魅力ですね。まあ、趣味としては孤独な趣味かもしれませんが」。
衝動買いもあり、いったいどこまで広がるのか見当がつかないというX.C.さんは、増える一方の時計を収納する時計専用の部屋を作り「ブランドや傾向別、関連グッズを並べたりしてみたい」とも語る。それは美術品の収集家が構えるコレクションルームのようなものになるのだろうか。さらには趣味が高じて、将来的に自分の時計を作りたいという野望も明かす。
「美大を出ていて、立体的なデザインを作る知識はあります。まず自分がどういうものが好きなのか、楽しいのかを突き詰めなくてはならないですね。それと時計の機構も知る必要がある。懐中時計の分解にチャレンジしてみようかと思います」
自分の干支が亥(イノシシ)で猪突猛進のタイプというX.C.さん。今は時計収集に熱を入れるが、やると決めたらオリジナルウォッチの創作に邁進するかもしれない。
「仕事で手一杯、そんな暇はありませんが、いつか余裕ができてからですかね」と笑うが、夢を持つのはいいことだ。時計愛好家のユートピアをぜひその手で実現してほしいと思った。
