近年、時計市場に普及する“新素材”。外装やムーブメントに従来にはなかった素材を用いることで、時計は形状や色といった意匠の面ではもちろん、性能面でも大きく変化した。『クロノス日本版』112号で「時計を変えた新素材」として、そんな“新素材”を特集した記事を、webChronosに転載する。今回は時計ケースに採用される一方で、経年劣化が課題であったカーボンに挑み、この課題を克服したブランドとその手法を紹介する。
Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas), Yu Mitamura
鈴木裕之:取材・文
Edited & Text by Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2024年5月号掲載記事]
カーボンケースの課題
航空宇宙産業やモータースポーツの分野から派生して、自転車のフレームやスポーツ用品にも用いられるようになった「カーボン系複合材」。これが高級時計産業にまで波及するのは1990年代末~2000年代初頭のことだ。当初は素材そのものの劣化に悩まされたカーボンケース。しかし現在は経年劣化の問題を克服し、時計のケースに表情を加えるカウンターマテリアルとして人気を集めている。
経年劣化の問題を克服したカウンターマテリアル
およそ1970年代頃から、航空宇宙産業などで使われ始めたカーボン系の複合材料。その原料となる炭素繊維は、アクリル繊維やピッチを高温で炭化させたものだが、それ単体で使われることはほとんどなく、合成樹脂などの母材と組み合わせた複合材料として用いられる。炭素繊維は比重が2.25g/㎤と非常に軽く、また繊維方向の引っ張り強度に優れるため、航空機やF1マシンなどの構造材としてもよく知られている。
2017年に発表された、当時最軽量のスプリットセコンド腕時計。マクラーレン・アプライド・テクノロジーと、英マンチェスター大学が研究を進めていた先進素材「グラフェン」を応用し、カーボンTPT®を成形する際のバインダーとして用いたことで、素材特性を大幅に向上させた。手巻き(Cal.RM50-03)。43石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約70時間。グラフTPT®ケース(縦49.65×横44.5mm、厚さ16.1mm)。世界限定75本。完売。(問)リシャールミルジャパン Tel.03-5511-1555


主原料である炭素繊維を取り出す手法は、1959年に米ナショナル・カーボン社が、レーヨンから黒鉛化させる技術を発明したが、現在この手法は廃れており、前述したアクリル繊維ベース(PAN系炭素繊維)か、ピッチベース(ピッチ系炭素繊維)が主流となっている。これはどちらも日本で発明された技術で、東レや帝人を筆頭とする日本企業が最大シェアを誇っている。
炭素繊維を複合材料化する最も一般的な手法は、プリプレグ(樹脂を浸透させた炭素繊維を織ったシート)を重ね合わせて焼成する「積層カーボン」で、単にCFRP(Carbon Fiber Reinforced Plastics:炭素繊維強化プラスティック)といった場合は、この積層カーボンを指すことが多い。スイス時計産業には1990年代末から2000年代初頭にかけて導入され、独特な表面のパターンと軽量さで、安定した人気を博してきた。しかしその一方で、極初期のカーボンケースには、表面のささくれや黄変といった顕著な経年劣化が現れたことも事実だろう。この理由にすぐピンと来た人は、なかなかのクルマ好きかもしれない。

ヴォーシュ製のスプリットセコンドムーブメントを搭載。ミドルケース、バックケース、ベゼルのすべてにカーボンTPT®を使用し、漆黒の外装に仕立てている。挿し色となる赤いプッシャーはクオーツTPT®製。手巻き(Cal.RMAC4)。51石。3万6000振動/時。パワーリザーブ約60時間。カーボンTPT®ケース(縦49.94×横44.5mm、厚さ16.1mm)。(問)リシャールミルジャパン Tel.03-5511-1555
少し話が横道にそれるが、カーボンパーツの劣化を考える際に、最も身近な例を挙げるなら、やはりクルマのボンネットが分かりやすいだろう。クルマやバイクのアフターマーケットパーツには、軽量化を目的としたドライカーボン製の外装が数多く流通しているが、これをヌードカーボンのまま取り付けると、数年でボロボロになる。これは紫外線によって、母材のレジンが急速に劣化するからだ。カーボンパーツの劣化=レジンの劣化であり、これは腕時計のケースでもまったく変わらない。このことに早くから着目して、カーボン素材の品質改善に取り組んだのがリシャール・ミルだ。
2001年に発表されたリシャール・ミルの初作「RM 001 トゥールビヨン」には、開発当初からカーボン製の地板を盛り込むことが決まっていた。しかし周知のように、このカーボン地板はファーストローンチには間に合わず、後年「V2」として再登場することになる。なぜカーボン地板の生産が遅れたのか? 共同開発にあたったAPRP(現オーデマ・ピゲ ル・ロックル)のジュリオ・パピは、本誌が2015年に行ったインタビューの中でこう述べている。

2024年に発表されたばかりの日本限定モデル。鍛造カーボンを用いたケースに、樹脂を浸透させた不織布を混ぜ込むことで、マーブルパターンのエッセンスをプラス。自動巻き(Cal.HUB4700)。31石。3万6000振動/時。パワーリザーブ約50時間。マットカーボンホワイトケース(ケース径42mm)。日本限定100本。(問)LVMHウォッチ・ジュエリー ジャパン ウブロ Tel.03-5635-7055
「ムーブメントを〝黒いF1エンジン〞にすることは早くから決まっていたのですが、問題は高級時計に使えるカーボンが存在するのかという点でした。通常のカーボンは約20%のレジンを含みますが、レジン成分が多いとUVによる劣化が懸念されますし、OH時に用いる洗浄液との相性も確認しなくてはなりません。レジン成分20%のカーボンでも地板は作れますが、それは高級時計の手法ではないのです。我々は約5年をかけて適切な素材を探し、当時アメリカで製造されていたレジン成分2%のカーボンファイバーに巡り会ったのです」
その後リシャール・ミルは、スイスのノース・シン・プライ・テクノロジー(NTPT)社と共同で、積層カーボンの品質を抜本的に改善させてゆく。その端緒となったのが「NTPT®カーボン」(現在のカーボンTPT®)で、UDテープと呼ばれる単方向カーボンテープを45度ずつずらして積層し、理論上の強度を飛躍的に高めている。同時に、クォーツファイバーなど他素材のUDテープを積層させる技術も開発し、カーボン系複合材としての表情を多様化させることにも成功している。この場合〝つなぎ〞として用いる樹脂が課題となるが、当時のNTPT社では紫外線にも劣化しにくい〝白いレジン〞を新規開発したことで、経年劣化の問題を解決している。またリシャール・ミルでは、カーボンナノチューブやグラフェンといった先進材料を実験的に盛り込むことで、カーボン素材自体のブラッシュアップにも取り組んでいる。

積層カーボンの表面にテキサリウムを一体化させたトゥールビヨンモデル。2023年に発表された本機では、ブレスレットの表面にも同様の素材が用いられた。自動巻き(Cal.HUB6035)。26石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約72時間。カーボンファイバー×テキサリウムケース(直径43mm)。世界限定50本。(問)LVMHウォッチ・ジュエリー ジャパン ウブロ Tel.03-5635-7055
腕時計産業でよく使われる、もうひとつのカーボン系複合材料が「鍛造カーボン」だ。こちらはケースエボーシュの製造に金型を用いることが特徴で、細かく乱切りにした炭素繊維に樹脂を浸透させ、金型の中にランダムに並べて、高圧力下で焼成する。炭素繊維の方向がバラバラになるため高強度が得られるうえ、さまざまな素材を混ぜ込むことで、ケースやベゼルに表情を加えることができる。ゼニスやコルムが採用した蓄光材料のスーパールミノバ、ウブロが用いてケース強度アップを狙ったマイクロファイバー製の不織布、同じくコルムの18Kゴールドパウダーなど、範例は枚挙にいとまがない。また積層カーボンも鍛造カーボンも、極めて硬い素材であることから、加工には高度な切削技術が求められる。

鍛造カーボンを焼成する際のバインダーに、蓄光材料のグリーンスーパールミノバ樹脂を混ぜ込み、暗所で発光するケースを実現。時分針に盛られたルミノバはブラックカラーとされており、カーボンケースとの調和を図る。自動巻き(Cal.CO297)。37石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約48時間。カーボンケース(直径45mm)。世界限定25本。(問)ジーエムインターナショナル Tel.03-5828-9080
最後に実機未見ながら、興味深い新潮流がオリスの「プロパイロット アルティメーター」だ。高分子ポリマーの一種であるPEKK樹脂を、スイスの9T研究所が開発した3Dプリント技術で積層成形することで、いわゆる〝カーボンの目〞に似た表情を生み出している。ムーブメントホルダーまで一体成形とのことなので、3Dプリンターの精度も高そうだ。気になるのは炭素繊維をどう用いているのかという点で、おそらくはパウダー状の炭素をPEKK材に混ぜ込んでいるのだろう。カーボンを構造材としても用いる利点は、比重に対する引っ張り強度の高さだが、これは炭素が繊維状でなければ発揮されないはずだ。もっとも、時計のケースにそこまでの強度は必要ないから、表面が硬く、軽量であればそれでよい。ならばカーボン系の複合材料と3Dプリンターの相性は、時計産業に限って言えば、極めて高いと言えそうだ。

自動巻きフライングトゥールビヨンを搭載するハイエンドモデルに、鍛造のウルトラライトカーボンケースを採用。バインダーの中に18Kローズゴールドのパウダーを混ぜ込み、すべてが一点モノといった凄みを加える。自動巻き(Cal.CO298)。37石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約72時間。カーボンケース(直径45mm)。世界限定48本。(問)ジーエムインターナショナル Tel.03-5828-9080