時計経済観測所/トランプ関税導入前の駆け込み輸入が急増

2025.09.05

世界が注目する「トランプ関税」。2025年4月2日に行われた米国ホワイトハウスでの演説で、正式に発表されたその内容は、すべての国に一律10%の関税を課すほか、相互関税を導入するというものだった。発動までには猶予期間が設けられたものの、トランプ関税の影響は米国のみならず全世界に及んでおり、とりわけ米国の“標的”となった中国の景気悪化が加速している。長らくスイス時計輸出先の二大巨頭であった米国、中国の先行き不安は、高級時計市場にどのように影響するのか? 気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が分析する。

磯山友幸

磯山友幸
経済ジャーナリスト/千葉商科大学教授。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年に退社、独立。政官財を幅広く取材している。著書に『国際会計基準戦争 完結編』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。
【磯山友幸 公式ウェブサイト】http://www.isoyamatomoyuki.com/
磯山友幸:取材・文
Text by Tomoyuki Isoyama
安堂ミキオ:イラスト
Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2025年7月号掲載記事]


トランプ関税導入前の駆け込み輸入が急増

 世界経済は、ドナルド・トランプ米大統領に振り回されている。2025年4月2日には、すべての国に一律10%の関税を課すことに加えて、大幅な「相互関税」を課すことを発表した。当初、日本が米国に輸出する場合の相互関税は24%、EUは20%といった税率が発表されたものの、金融市場で米国債が大幅下落(金利は上昇)するなど影響が出たこともあり、中国を除く国に対する相互関税の適用を90日間停止した。

 中国に対しては相互関税率を当初34%と発表したが、中国が対抗措置を打ち出したことで、引き上げ合戦になり、一時は145%という高税率を表明した。ところが5月に入ると米中の直接協議で、お互いに115%引き下げることで合意。中国から米国の輸入関税は30%となった。トランプ流ディール(取引)の結果とはいえ、これによって世界と米国との間の貿易は大きな変動を余儀なくされている。

駆け込み輸入で米国向け輸出額が増加

 米国での輸入高級時計市場では、高税率が課されることを懸念した「駆け込み輸入」が増えた。スイス時計協会(FH)がまとめた3月のスイス時計の米国向け輸出額は4億520万スイスフラン(約703億円)と、前年同月に比べて13.7%増と大幅な増加を見せた。米国での高級時計への需要は依然として旺盛なことから、関税が引き上げられる前に在庫を厚くしておこうというディーラーの仕入れが増えたことが要因と見られる。

 こうした駆け込み輸入は高級時計にとどまらず、全世界からの輸入品に及んだ。この帰結が、米国のGDP(国内総生産)統計を大きく歪める結果になった。というのも米国の1-3月期のGDPが前の3カ月と比べて年率換算で0.3%のマイナスとなり、前の期のプラス2.4%から一気に悪化した。米国のGDPがマイナスになったのは2022年1-3月期以来、12期ぶりのことだ。

 もっとも、米国経済が一気に失速しているのかどうかは判断がつきにくい。輸入が前の期の1.9%のマイナスから、41.3%の大幅なプラスとなったことが最大の変動要因。輸入の増加はGDPを押し下げる要因となるため、2025年1-3月期のGDPのマイナスは輸入増によって引き起こされており、景気減速のシグナルではない、と見られている。

米国経済を引っ張ってきた個人消費は鈍化

 一方で、GDPの7割を占め、米国経済を引っ張ってきた「個人消費」を見ると前の期の4.0%のプラスから1.8%のプラスへと鈍化しており、高率の関税が消費減退につながる懸念材料であることは間違いない。

 実際に米国が高率の相互関税をかけ始めれば、輸入は一気に減少すると見られ、これが今度はGDPのプラスに寄与することになる可能性もある。そうなれば、トランプ大統領は「相互関税を課したことで米国経済がプラスになった」と喧伝することになると見られる。実態とかけ離れたところでGDPの数値が振り回されることになりかねないわけだ。

トランプ関税の影響を大きく受ける中国市場

 スイス時計の輸出額を見る限り、トランプ関税による影響が間違いなく大きいのは、香港や中国本土だろう。かつてはスイス時計の輸出先トップを占めていた香港や中国の凋落は著しい。3月の香港向け輸出額は前年同月比11.3%減、中国は11.5%減と大きく減っている。3月単月で見ると、スイスからの輸出額は断トツで米国が多く、2位が日本、3位が英国となり、香港は4位、中国本土は5位となっている。

 もともと景気悪化で個人消費が大きく落ち込んでいるところに、トランプ関税が加わり、中国国内の輸出産業に壊滅的な影響が出るのは必至の情勢だ。企業業績の悪化は、さらなる中国国内消費の減速に結びつきそうで、高級品需要に一層歯止めがかかりそうな気配だ。

 中国本土向けスイス時計の輸出額は、1-3月の累計でも前年同期比22.5%も減っており、4位に転落している。トランプ関税の主要ターゲットが中国で、米国向け輸出に歯止めをかけることが目的と見られているものの、それにとどまらず、国内消費を大きく減退させていることを高級時計の急速な需要減が示している。つまり、中国経済自体を大きく弱体化させることに成功しているようにも見える。


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