1961年に米大統領が宣言した月探査計画の実現を当時誰が信じただろうか? しかも、ごく普通に市販されていたクロノグラフウォッチが、人類初の月面着陸に向かうとは、誰が予想できただろうか? “ごく普通の腕時計”が人類初のミッションに不可欠な存在となる。これこそがオメガ「スピードマスター」の真価であり、ゆえに20世紀の人類科学史を飾る貴重な証言者となり得たのである。
Photographs by Eiichi Okuyama
田中克幸:文
Text by Katsuyuki Tanaka
Edited by Yuzo Takeishi
[クロノス日本版 2025年11月号掲載記事]
史上初めて月面で着用され今も進化を続ける、機械式腕時計の金字塔
1957年10月4日。ソビエト社会主義連邦共和国(現ロシア連邦)は、人類初の人工衛星スプートニク1号の打ち上げに成功。この一報を受けた米国を始めとする西側諸国に衝撃が走った。いわゆる〝スプートニク・ショック〞である。
同年、オメガはリファレンス番号CK2915の「スピードマスター」(ファーストモデル)を発表。2年後の59年にはセカンドモデルCK2998が登場する。初代モデルを含めた搭載ムーブメントの開発製造は、オメガが中心となった企業連合体SSIH(後のSMHグループ、現在のスウォッチ グループ)に参加していたムーブメント会社レマニアによるもので、設計は主任時計師アルバート・ピゲが担当。発表は42年で、その時のキャリバー番号は27CHRO C12。57年には321と表記された。

61年5月。米合衆国第35代大統領ジョン・F・ケネディは上下両院合同会議での演説で「今後10年以内に人間を月に着陸させる」とアポロ計画の支援を表明する。このとき、賽は投げられた。
64年、NASAは公式装備品を選定するためのテストに向け、数社に対してクロノグラフウォッチを注文。NASAのエンジニア、ジェームズ・ラーガンは、その中から、装備品の条件を満たした3社の腕時計を購入したという。その後、NASAはオメガに対して検査用スピードマスター12個の見積依願書を送付。それには「添付した明細書に適合する高精度クロノグラフ12個 バンド無し」と記されていた。この12個の腕時計には前段階の検査に加え、さらに過酷な11項目(高温・低温環境下、気温・気圧、相対湿度、酸素雰囲気、衝撃等)のテストが待っていた。検査は過酷を極めたが、スピードマスターはこれらのテストに見事合格。65年3月、スピードマスターはNASA公式時計に決定された。

そして1969年7月21日2時56分(GMT)、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功。ニール・アームストロング船長が月着陸船イーグルより月面の「静かの海」へ降り立ち、ここに人類の歴史に新たな1ページが開かれた。アームストロング船長は、万が一に備えて腕時計を船内に保管したが、2番目に降り立ったバズ・オルドリンの手元には腕時計が装着されていた。これこそが「スピードマスター ST 105・012(第4世代モデル)である。
80年代に入るとNASAはスペースシャトル計画(~2011年)を推進する。やがて宇宙は単一国家ではなく、複数国家による国際協力プロジェクトの場へと変化。これが1998年に始まったISS(国際宇宙ステーション計画)だ。オメガは当計画用に新モデル「スピードマスター プロフェッショナル X-33」を開発。文字盤に大型デジタル液晶表示計を装備する多機能時計で、同年にISSの船内使用腕時計としてNASAに公式認定される。2015年には欧州宇宙機関(ESA)との共同開発モデル「スピードマスター スカイウォーカー X-33」を発表し、米国では20年のスペースX ファルコン9の搭乗員にも着用された。

近年、オメガはこの歴史的傑作機を顕彰すべく、21世紀の標準原器と呼べるような新作を続々と発表している。まず傑作ムーブメント、キャリバー321では19年1月に同キャリバーを復刻。20年1月にはステンレススティールケースに収めたレギュラーモデル「スピードマスター ムーンウォッチ 321 ステンレススティール」が登場し、時計愛好家を狂喜させた。
一方、321から861、さらに1861へと進化したキャリバー系統では21年にコーアクシャル搭載のマスター クロノメーター化した3861が登場。1万5000ガウスという超耐磁性能を持つムーブメントは、「スピードマスター ムーンウォッチ」に搭載され、月に降り立った最初の腕時計=〝ムーンウォッチ〞の名を冠して、新たな時計史を拓く意志を我々に宣言したのである。

第4世代モデルを継承する緻密なデザインを採用。一方の内部機構はMETAS(スイス連邦計量・認定局)認証によるマスター クロノメーター ムーブメントを搭載し、1万5000ガウスの超耐磁性能を誇る。風防にヘサライトガラスを用いた写真のモデルのほか、サファイアクリスタルモデル(127万6000円)もラインナップ。手巻き(Cal.3861)。26石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約50時間。SSケース(直径42mm、厚さ13.58mm)。50m防水。111万1000円(税込み)。
https://www.omegawatches.jp/watches/speedmaster/moonwatch-professional/catalog