【未来に残る時計たち】『Hodinkee Japan』関口優編集長が語るカルティエ「タンク」という存在

2025.11.03

ここ10年で大きく成熟した高級時計市場。牽引の担い手となったのは、2015年頃から始まったラグジュアリースポーツウォッチの一大ブームだった。質的な拡大を経て、いま目利きの時計愛好家たちは、ファッション性よりも未来に残る時計に関心をシフトさせている。ではどんな時計が未来の時計遺産たり得るのか? 著名なジャーナリストによる特別寄稿と、識者たちへの聞き取りで、過去と未来を繋ぐマスターピースの条件を浮き彫りにする。

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星武志:写真
Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
関口 優:文
Text by Yu Sekiguchi
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan), Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2024年9月号掲載記事]


男女ともに指名で答えられる時計はタンクをおいて他にない

「時計遺産」というお題に対して、まずその基準設定に頭を悩ませたのだが、僕としては遠目から見ても、それがどんなバリエーションであったとしても、なるべく多くの人が特定のモデル名を頭に浮かべられる時計を挙げることにした。まっさきに思い当たったのはカルティエの「タンク」だ。

関口優

関口優
『ホディンキー ジャパン』編集長兼『リシェス デジタル』編集長。1984年生まれ。『ウォッチナビ』編集長を経て、2019年よりホディンキー ジャパン編集長に就任。23年よりラグジュアリーをテーマにしたハイクォリティマガジン『リシェス』のwebメディア『リシェス デジタル』の編集長も兼務する。

 男女ともに指名で名前が挙がる時計というと、僕個人の体験上タンクをおいて他になく(個人的に贔屓だということを抜きにしても)、広く愛されるからこそ多数のバリエーションが生まれ、好みのモデルを豊かな候補の中から選ぶことができる。それを可能にしたのはすべてのタンクの始祖であり、多くのデザインとしての原型とも言える「タンク ノルマル」だ。僕としては1973年に復活したタンク ノルマルを現時点での時計遺産とし、個人的観点からなぜそれが遺産なのかお伝えしたい。

 オリジナルのタンクは1917年に原案が生まれ、19年に販売された。第一次世界大戦当時の16年に「ソンムの戦い」で初めてイギリス軍が実戦投入したルノー製戦車FT-17の姿が報道されたことに端を発し、当時カルティエ ウォッチのデザインを取り仕切っていたルイ・カルティエが、その姿にインスパイアされ、その名の通り「タンク」を冠した時計を生み出すに至った。ケースからストラップ接合部までの一体感が特徴で、「ブランカード(=仏語で担架)」と呼ばれるフォルムのケース側面と、その先端がストラップとの接合部も兼ね備えていたことが、本機を無二の存在へと押し上げた。

カルティエ「タンク ノルマル」

カルティエ「タンク ノルマル」
1973年に計12モデルが発表されたルイ カルティエ コレクション。その中にはファーストモデルのリバイバルであるタンク ノルマルも含まれていた。スクエアに近い、丸みを強調したオリジナル同様のケース造形を持つ。80年代に同作がカタログから落ちると、以降、昨年の復刻までその登場を待たなくてはならなかった。手巻き。18KYGケース(縦30×横22mm)。個人蔵。

 タンクと名のつく時計は簡単に数えただけでも20種類以上になり、そのほとんどがこのブランカードが持つ直線を伸ばしたり、太くしたり細くしたり、ときには丸みを与えたりと巧みなデザインワークを加えたものだ。ブランカードをより長く、そして湾曲させた「タンク サントレ」、ケースの端に丸みを持たせた長方形の「タンク ルイ・カルティエ」(以下タンクLC)、それ以外にも「タンク アロンジェ」「タンク シノワーズ」など、ルイ・カルティエの創造性を発揮するキャンバスとしてタンクは大きな役割を果たし、またそれを可能にするプリミティブなデザインですでに得ていたのである。また、19年に製作されたタンク ノルマルは6本あり、プラチナ、ゴールド、プラチナ&ゴールドのコンビと3種類のバリエーションが用いられた。その内3本がローマ数字、2本が斜体のアラビア数字、1本が直立のアラビア数字を文字盤に配したものだったが、これらとよく似た1本のジュエリーウォッチがタンク登場の数日前に販売されたという。他が9リーニュのムーブメントを搭載したのに対し、その1本は8リーニュとひと回り小ぶりな仕様。角型フォルムでブランカードにはダイヤモンドがセットされていた。この事実は、タンクのデザインがさまざまなシェイプのみならずサイズでも生きることを示し、腕時計黎明期にあって女性を顧客として見据えていたことさえ示唆している。

 昨今の潮流において、もしカルティエから遺産的な時計を選ぶとすると、「クラッシュ」や「ペブル シェイプ」など60年代にカルティエ ロンドンが生み出したクリエーションを挙げる人も多いことだろう。確かにオークションを中心にこれらが急速に評価を高めていることは事実だが、あれだけユニークなデザインの時計がカルティエ以外の手掛けたものだったら結果は違っていたと考える。つまり、このメゾンがウォッチメーカーとしての実力も高く支持されているからこそ、独創的なモデルを生み出す能力への評価が高まる。その意味で、屋台骨を築いたのは間違いなくタンクなのだ。

 僕が今回挙げたのは1973〜84年ごろまで製造されたルイ カルティエ コレクションの「タンク ノルマル」で、カルティエが創業家からの売却と経営難を乗り越えて初めてオリジナルを復刻したものであり、当時に原点回帰を志向しなければ永遠に失われていたかもしれないものだ。事実、60年代のカルティエ ロンドンではタンクとは全く異なる文脈でクラッシュや「マキシ オーバル」など、実験的とはいえ、よりジュエラー的特性を活かしたモデルに傾倒していた。さらに、73年にジョゼフ・カヌイ、ロベール・オックらの新経営陣によって生み出されたものが「レ マスト ドゥ カルティエ」だけだったとしたら……。カルティエウォッチのオリジンとしての価値を今日に伝えたという意味で、キーになったのはやはり70年代のタンク ノルマルだと僕は考えている。

カルティエ「タンク ルイ カルティエ ミニ」

カルティエ「タンク ルイ カルティエ ミニ」
2024年発表の新作。既存のSMサイズよりもさらにひと回り小さいケースサイズを持つ。レディスウォッチとして見ても昨今では特に小型に分類される同作は、カクテルウォッチらしい雰囲気をまとう一方、ブランガードを太くとるなど、単に女性のみをターゲットにしたモデルではない。クォーツ。18KYGケース(縦24×横16.5mm)。3気圧防水。(問)カルティエ カスタマー サービスセンター Tel.0120-1847-00

 一方で、これから未来に向かって残したい時計遺産という意味では、今なお自在に変化するタンクを改めて挙げたいのだが、1本選ぶとすれば今年リバイバルした「タンク ルイ カルティエ」ミニになる。このモデルはアイコニックな意匠であるシュマン・ド・フェールを廃したシンプルな文字盤デザインが特徴で、もちろん主に女性に向けてリリースされたわけだが、単にタンクLCの縮小版というわけではなく、他のタンクLCと比べて太くとられたブランカードが特徴だ。それはケース幅に対して34%を占め、SMやLMのタンクLCが約27%程度であることから意図的にボリュームアップされたことが分かる。またクォーツでありながら主張の強いリュウズを持つなど単にフェミニン一辺倒ではないデザインを与えられている。90年代に近しいモデルが製造されていたが(ケース長はほぼ同じで幅が1mm小さい)、実に15年ほどぶりにアップデートされたのである。デザイン言語を変えずに形状を時代にフィットできるのは大いなる武器で、カルティエが今このサイズのタンクLCを、いわゆる〝女性らしさ〞を抑えて発表したのは、〝ユニークかつユニバーサル〞という哲学のためだろう。

 これは昨年リリースされたバングルタイプの「ベニュワール」が男性からも世界的な人気を獲得した影響が大きそうだが、大胆なほどに小さな時計を男が着ける現象をカルティエは軽視していない。今年の4月、まだCEO退任を発表する前のシリル・ヴィニュロンにインタビューした際、「男性らしさや女性らしさという概念は年々その垣根をなくしています。その枠にとらわれないことを重要視しながら、カルティエらしくユニバーサルな製品へと仕立てていくのです」と語り、その後このタンクLCミニを見て僕は膝を打つのだった。毎年注目を集める「カルティエ プリヴェ」は明らかに時計愛好家を意識したもので、一方「カルティエ リーブル」の豪奢なジュエリーウォッチはやはり女性が着けるという前提があるだろう。しかしその中間で、広く定番として展開されるラインナップがむしろ重要だと僕は考えていて、望めば手に入る現行品から多くのユーザーが自由に好みの時計を選ぶことができてこそ、時計というカルチャーが未来に繋がるはずだと思う。その意味で、このタンクLCミニは単に小さくて女性用に開発された時計では決してなく、〝これまでフィットしなかったあらゆる人のためのタンク〞なのだ。そんな、顧客以外にも門戸を開くようなこの時計を未来へ残す遺産としたいと思う。


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