ここ10年で大きく成熟した高級時計市場。牽引の担い手となったのは、2015年頃から始まったラグジュアリースポーツウォッチの一大ブームだった。質的な拡大を経て、いま目利きの時計愛好家たちは、ファッション性よりも未来に残る時計に関心をシフトさせている。ではどんな時計が未来の時計遺産たり得るのか? 著名なジャーナリストによる特別寄稿と、識者たちへの聞き取りで、過去と未来を繋ぐマスターピースの条件を浮き彫りにする。
Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
Interview & Text by Hiroyuki Suzuki
Edited by Yuto Hosoda (Chronos-Japan), Hiroyuki Suzuki
[クロノス日本版 2024年9月号掲載記事]
時計の未来の作り手たち NAOYA HIDA & Co. 創業者「飛田直哉」

1963年、京都府生まれ。1990年代から複数の外資系専門商社でセールスやマーケティングを手掛け、F.P.ジュルヌやラルフ ローレン ウォッチ アンド ジュエリーの日本代表を務めた後に独立。2018年にNAOYA HIDA & Co.を設立し、自身の名を冠した時計製造を始める。翌2019年に、ファーストモデルの「NH Type 1B」をリリースする。
2018年に自身の名を冠した時計ブランドを起ち上げた飛田直哉。プロダクトマネージャー的な見地から、自らが理想とする時計作りをコントロールする、新しいインディペンデントウォッチメーカーの代表格だ。1990年代から名だたる時計ブランドに籍を置き、日本市場向けの製品開発やプロダクトマネジメントを手掛けてきた氏は、その知見を活かして、高級時計の販売員トレーナーとしても活躍してきた。未来に残すべき時計とは何か? まずはここ10年間のウォッチトレンドを牽引してきたラグスポブームの終焉について聞いてみた。
小規模な作り手にとって大切なことは、明確なロードマップを想い描くこと
「そもそもラグジュアリースポーツというジャンルは、それほど巨大なマーケットだったのでしょうか? 確かにブームはありましたが、適切なキャパシティに戻ったという印象です。まだ防水性能が高くなかった時代には、防水時計と言えばダイバーズウォッチしか選択肢がなかった。ドレスウォッチに防水という概念はありませんでしたからね。ですが、ここ10年のラグスポブームを経て、ケースの性能も飛躍的に高まった。日常的に使えるドレスウォッチや、プチコンプリケーションなども増えてきたのです。例えばドレスウォッチにラバーストラップを付けるという派手な打ち出しも見られるようになりました。選択肢の幅が広がったために、ラグスポというジャンルも元々のスケールに戻ったのでしょう」

2024年に発表された同社初のゴールドモデル。ジャーマンシルバー製のダイアルは、新たに導入されたシルバーフリクション(銀摩擦メッキ)で仕上げられる。ダイアル外周のミニッツカウンターも18KYG製。手巻き(Cal.3019SS)。18石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約48時間。18KYGケース(直径37mm、厚さ9.8mm)。638万円(完売)。(問)NH WATCH naoyahidawatch.com
ブームの揺り戻しという理由からか、ヴィンテージウォッチの市場では面白い兆候が見え始めていると飛田は指摘する。
「最近はゴールド製のネオヴィンテージ、定義が曖昧ですけど、1980〜90年代のオーデマ ピゲやパテック フィリップ、ヴァシュロン・コンスタンタンなどの、薄型でペラペラの編み込みブレス、そういったものが人気なようですね。日本デスコ時代にオーデマ ピゲを扱っていた自分としては、まさかコブラの人気が出るなんて思いもしなかった。特に海外のディーラーが熱心に集めているようです」
飛田のプロデュースする作品は、過去の時計からエッセンスを抽出しつつ、〝現代のヴィンテージ〞へと収斂させている。では具体的に、参考にした時計とは?
「あまり注目されていませんが、過去のロンジンやモバードのクォリティーは素晴らしい。もちろんパテックやヴァシュロン、APの作品も参考にしていますが、このふたつはダントツでしょうね。また、先ほど話に出たネオヴィンテージより昔のAP、これに驚くほどバリエーションがあるんです。オールドのヴァシュロンに豊富なバリエーションがあるのは知られていますが、APも実に多いんですよ。それらはすべて参考になりますね」
もし過去の時計から、1本だけを未来に残すなら? この問いに飛田はかなり悩みながら、ある時計の名を挙げた。
「ショーメ時代以前のブレゲでしょうか? プゾー260を搭載して、ダイアルはスターン製。やはりここが我々の出発点ですからね。懐中時計以外にもこんなダイアルがあったのかと。それで彫金師の加納さんに、こんな彫りができるかと聞いたら、今は顕微鏡もありますからね、そりゃあできますよと……」

1950~70年代にかけて、300~400本が生産されたとされるヴィンテージ・ブレゲの1本。この個体は1954年に製造され、翌55年に販売されたという記録が残る。懐中時計を彷彿とさせるダイアルは、飛田に拠ればスターン製。彫りを施したインデックスにインクを流すという手法は、飛田の時計にも通じる部分がある。
実のところ飛田は、何度もこの時計を探したことがあるらしい。しかし当時のケースはあまり質が良くなく、青焼きされたブレゲ針も作り直されたものが多く、結局は購入を断念してしまったという。同時に飛田は、もうひとつの時計遺産として、ルビーローラーを備えたジャガー・ルクルトの920系も挙げている。
飛田の作る時計は、〝現代のヴィンテージ〞として、目利きの愛好家から絶大な支持を集めている。では、これからの作り手とはどうあるべきなのだろうか?
「大きなブランドは別として、我々のような小さなブランドならば、自分ひとりの世代で完結するのか、次の世代までビジネスを受け継ぐのかで、成り立ちが変わってくるので、そこは最初に考えるべきでしょう。またワンアイデアで作り続けるのか、いろいろなモデルを作りたいのか、そうしたことも最初に決めるべきです。それぞれに適したビジネスモデルがあるはずですからね。我々はあくまで時計メーカーであって、独立時計師ではない。そしてこれからも、いろいろなモデルを作り続けていきたいのです」
そう話す飛田の中には、すでに「NH タイプ 38」までの構想が出来上がっているという。2019年のファーストローンチから5年。基本となるケース展開は、NH タイプ 1〜5までの5種。これまでに手掛けてきたバリエーションモデルは14種類を数える。創業当初はほぼワンショットだったが、近年では再生産がかかるモデルも増えてきた。それでも作るたびに細かな部分がブラッシュアップされてゆくのは、こうしたスモールメゾンならではの面白さでもあるだろう。現代の名伯楽、飛田直哉の想い描くロードマップは、我々の想像よりもはるか先の未来を見越しているようだ。





