2019年に最初の製品をリリースするやいなや、瞬く間に時計愛好家羨望の存在となった独立系マイクロブランド「NAOYA HIDA & Co.」。彼らの時計作りは海外からも高く評価され、人気は高まる一方。ではなぜ、NAOYA HIDA & Co.は独創的な生産体制を確立できたのか?そして彼らはこれから、どんな方向に向かうのか? その核心に迫る。

Photographs by Yu Mitamura
名畑政治:取材・文
Text by Masaharu Nabata
竹石祐三:編集
Edited by Yuzo Takeishi
[クロノス日本版 2026年1月号掲載記事]
古典的要素と現代の技術を融合させた「誰も見たことがない」機械式時計
機械式高級時計が本格的に復活の兆しを見せ始めた1990年。夢の実現のため時計業界に転職し、スイスの名だたる時計メーカーの輸入代理店や日本現地法人でPRからマーケティング、新製品開発まで幅広く活躍してきたのが、NAOYA HIDA & Co. を率いる飛田直哉氏である。

モチーフは「腕時計の黄金時代」と呼ばれた1930〜60年代の機械式腕時計。だが単なる復刻やレプリカではなく、そこには古典的機構と意匠を継承しつつ、現代でしか実現しえない最先端の微細加工機によるシャープな造形と熟練職人による手作業を融合させた、「誰も見たことがない」機械式高級時計の新しい姿がある。では、これらの時計はどんな過程を経て生まれるのか? 主任時計師・藤田耕介氏に聞いた。
「次に何を作るかは、月に1回のミーティングでアイデアを出し合います。もちろん当社は“飛田直哉の作りたい時計”を作る会社ですから彼の意向が大切ですが、各スタッフが意見を出し合うのが最初のステップ。例えば2024年発表の当社初のレクタンギュラーモデル『NH TYPE 5A』は、22年に出た『角型モデルを作りたい』という提案が発端。まず私がパソコンでムーブメントの基本的なレイアウトを作った段階で、飛田にブリッジのデザインやスモールセコンドの位置などの希望を聞きます。その上で調整が必要な部分を意見交換し、最終的に飛田がジャッジすることで試作に取り掛かります」(藤田氏)

決して飛田氏の独断ではなく、合議からスタートするのが面白い。だからこそ時計愛好家の心を捉えるモデルが生まれるのだろう。
「そうした意見のキャッチボールができるのは、近くにいるからこそ。なにしろ14年も一緒にやっているので、飛田も加納(圭介)も私も、それぞれが考えていることは大体分かっていますから」(藤田氏)
基本設計が完成すると、次は3Dプリンターでモックアップを製作。以前はこれを外注していたため1カ月ほど時間がかかったが、現在は社内のプリンターを使い、10〜20分でモックアップが完成する。
「形は粗いのですが、ムーブメントをとりあえず形にすることで、サイズ感が分かります。それが出来ると、次は外装。飛田の手描きスケッチをパソコンで細部まで詰め、これも3Dプリンターでモックアップを製作します」(藤田氏)
現在、藤田氏の下では2名の若手時計師が働く。そのうちの1名は、学生時代に学園祭でからくりを製作したことがきっかけとなり、時計作りを本業にしたいと考えるようになったという。彼は現在、組み立ての作業をメインに行っているが、針のブルースティール仕上げや新作の設計にも関わっている。

「実は以前から『時計の設計をしたい』と考えているのを知っていたので、来期の新作は彼に任せて飛田と共に時計を作るという体験をやってもらっています」(藤田氏)
入社数年目の若手スタッフに設計を任せるとは実に大胆だが、当の本人も「来期の新作は7割まで設計が進んでいます。すでに作動は確認できましたが、詰めるべき箇所がまだまだあります」と、やりがいを感じているようだ。
小規模メーカーだからこそとはいえ、創業メンバーと若手が一丸となって新作開発に取り組む姿は時計メーカーの理想に思える。
生産体制を拡大するNAOYA HIDA & Co.

飛田直哉氏の時計作りにおいてムーブメントと同等に重要なのが、ダイアルとそこに施されるエングレービング。なぜならNAOYA HIDA & Co. のダイアルにプリントは一切なく、すべてが微細加工機および彫金師によるハンドエングレービングによるものだから。
これを担当する主任彫金師が加納圭介氏。その仕事内容だが、ダイアルのベースは微細加工機で段差や目盛り、ロゴの彫りを行ったものを外注先から納入。これに自社でサンドブラスト加工を施し、レーザー加工機で下書きを行う。その後、ハンドエングレービングでインデックスを彫り込み、カシュー塗料を流し込むことでロゴやインデックス、目盛りが際立ち、高い視認性を確保する。
この加納氏の下でも、現在、若手の彫金師が修業中だ。彼は以前、宝飾学校で、ハンマーで鏨たがねを叩く「和彫り」を習っていたが、今は加納氏の指導を受けながら、アルファベットを彫り続ける練習をしている。
「私のスタイルを真似して洋彫りの練習を重ねてもらいます。それが最初のステップです」(加納氏)
そして時計師と同様に、この若手彫金師も来期からは製作に参加できるよう、予定が組まれているという。
現在5名の製作スタッフを擁するまでに成長したNAOYA HIDA & Co. は、新作の受注も順調だ。
「創業当時にロードマップは作りましたが、実際にはいろいろなことが前倒しで実現しています。実は創業当初、試作品を時計業界人に見せたところ、販売価格は70万円では絶対に無理。40万円でも厳しいと言われたのですが、いざ発売したら受け入れられた。しかも当初は『海外でも売れたらいいな』くらいに考えていましたが、今や圧倒的に海外が多くなりました。グランドセイコーが海外で支持されるように、世界の市場で日本製の高級時計が良いという流れが出来たからです。これが10年前であればまったく違っていたでしょう」(飛田氏)
そのNAOYA HIDA & Co. は、2026年にオフィスの移転を予定しているという。

「簡単に言えば手狭になってきたからです。現在、当社はビルの2フロアを借り、ワンフロアを設計と組み立ての工房とし、ワンフロアを接客および資料室に使っています。そして別の場所に工作機械を置いているのですが、これらを統合し、ひとつのビルに収めることで作業の効率化とスタッフコミュニケーションの円滑化を図ろうと考えています。場所は浅草橋。交通の利便性が高く、今の会社からも近いので、お客様が来やすいからです。次の社屋では1階に工作機械を置き、2階を製造部門、3階にアドミニストレーションを置いて、すべての業務を1カ所で行える体制を確立します。これにより外注していた試作部品の自社製造が実現し、開発が格段にスピードアップされます。無論、あくまでもマイクロブランドのままですが、自分の目が黒いうちに作りたいものを作ってしまいたいのです」(飛田氏)
現在、19年の「NH TYPE 1B」に始まり、25年の「NH TYPE 6A」まで、バリエーションを除き6型を発表したNAOYA HIDA & Co. 。実は飛田氏の頭の中にある作りたいモデルは70を超えたというから、少しでも早く実現するためには生産体制の整備が急務だ。まだまだ彼らの時計作りは、私たち時計愛好家を楽しませてくれるに違いない。



