中野ブロードウェイ高級時計強盗事件の「背景」とは? 犯罪ツーリズムと時計投資&蓄財ブームを渋谷ヤスヒトが斬る!

2026年8月25日、中野ブロードウェイで強盗事件が発生した。中古時計販売店に押し入ったふたりの男が、4本の高級腕時計を強奪したのだ。この事件の被害総額は約2億円。事件からほどなくして容疑者は逮捕されたが、盗まれた腕時計のうち、3本は見つかっていない。いったい、なぜこのような事件が白昼堂々起きたのか? 早稲田大学法学部で刑事政策を学び、現在はジャーナリストとして活躍する渋谷ヤスヒトが、事件の“背景”を浮き彫りにする。

渋谷ヤスヒト:写真・文
Photographs & Text by Yasuhito Shibuya
[2026年9月XX日掲載記事]


中野で起こった高級時計強盗事件

 去る2026年8月25日正午前、“サブカルの聖地”中野ブロードウェイの中古時計販売店で高級時計4本の強盗事件が発生した。事件2日後の8月27日夜、大阪市内の民泊施設に滞在していた南米・チリ国籍の男ふたりが、この強盗事件の窃盗容疑で逮捕された。盗まれた4本のうち1本は回収されたものの、この原稿を書いている8月29日午前の時点で3本が行方不明という状況だ。

「たった4本で時価2億円」という金額に注目したメディアの報道が、テレビのニュースを中心に話題になった。だが、この事件の背景をきちんと指摘した納得できる記事は見当たらない。そこで「webChronos」編集部からの依頼もあり、40年以上前に早稲田大学法学部で石川正興先生(同大名誉教授・社会安全政策研究所の初代所長)の刑事政策ゼミで学び、この媒体で過去にも「トケマッチ」事件についての分析を寄稿(https://www.webchronos.net/features/152984/)したジャーナリストの筆者が、メディアも指摘しないこの事件の背景を簡単に解説させていただく。

筆者が赴いた際に撮影した、中野ブロードウェイの様子。平時は買い物客や観光客で賑わっている。

南米系窃盗団による「犯罪ツーリズム」

 前述の通り、大阪市内の民泊施設で身柄を確保され、中野ブロードウェイ時計強盗事件の容疑者として逮捕されたのは、チリ国籍の男性ふたり、ピニャ・グスマン・ジェレミー・パオロ容疑者(23)とマンサーノ・ケサダ・ボリス・アレクシス容疑者(33)だ。

 事件発生時のニュースを知ったとき、筆者は即座に「犯人はすぐに捕まる」と予測した。なぜなら犯行時間わずか10分と手際は良かったものの、犯行場所近くのさまざまな場所の防犯カメラに犯人の足取りが記録されているうえに、犯人のひとりが電動スクーターを逃走に使うなど、犯行後の行動はあまりにずさんだったからだ。電動スクーターを使うためにはスマートフォンのアプリを使ってアカウントを作らなければならない。このアプリでの登録情報は、即座に警察に提供される。アプリのアカウント作成にはおそらく公的な証明書も必要だろう。証明書が偽造の可能性もあるが、そのハードルはかなり高い。あとで分かったことだが、容疑者は実名でパスポートを使ってアカウントを作成していた。近年、オンラインで簡単に予約できる海外の宿泊施設では、パスポートをカメラ撮影して認証させるところが多い。大阪の民泊施設も実名でパスポートを使って予約していたのだろう。これでは逮捕されるのは当然だ。

 彼らは事件4日前の8月21日、東京・羽田空港に到着し、オーストラリア・シドニーから短期の観光目的での滞在だと申告して浅草の民泊に滞在。犯行2日前の8月23日、ふたりは中野を訪れて店舗の下見を行っていて、店内の防犯カメラには、顔を隠さずにショーケースを物色し、当日彼ら自身が強奪する時計のショーケースを、何度も指さす様子が映っていたという。また、周辺で電動キックボードをオンラインで契約して借り、その5分後に返却するなどといった犯行のシミュレーションも行っていたようだ。犯行後は即、新幹線で大阪に逃走したようだが、この後、おそらく関西国際空港から出国するつもりだったのだろう。プロ中のプロなら、空港に手配が回る前のわずかな時間に出国してしまうべきだが、何と民泊施設にいた。この行動もずさんだ。

筆者は以前、欧州や米国で激増する時計強盗についての記事も寄稿した。この画像は英国公共放送BBCの若者向けチャンネル「BBC THREE」で放送されたドキュメンタリー番組「Hunting the Rolex Rippers(ロレックス強盗団を追え)」のサムネイル。
記事:https://www.webchronos.net/features/107054/

 今回の「中野ブロードウェイ高級時計強盗事件」は、観光客を装って窃盗や強盗を行う、南米系の窃盗団による海外旅行先での計画的な犯行、つまり「犯罪ツーリズム」によるものだ。

 日本ではまだあまり注目されていないが、米国やEUでは2016年頃から南米系の窃盗団、中でもチリ国籍の窃盗団による「ツーリズム犯罪(犯罪ツーリズム)」が大問題になり、FBI(米連邦捜査局)が専従チームまで組織して犯罪予防と取り締まりに当たっている。なぜチリ国籍なのか? それはチリが南米諸国で唯一のESTA(電子渡航認証システム)採用国だからだ。ESTAは40カ国の市民に対して、オンライン上での申請・取得のみで、90日間のビザ免除渡航を認めるシステムだ。チリの窃盗団はこのシステムを悪用して観光客になりすまし、高級腕時計、宝石、デザイナーバッグ、現金を標的に窃盗や強盗を世界的に行っているのだ。セレブリティのトピックを主に報じるアメリカのメディア「ヴァニティ・フェア」は、2022年2月24日付の記事「Thieves in the Night: A Vast Burglary Ring From Chile Has Been Targeting Wealthy U.S. Households(夜の泥棒たち:チリから広がる大規模窃盗団が米国の富裕層住宅を標的に)」で、そんな彼らの実態をレポートしている(参考:https://www.vanityfair.com/news/2022/02/a-vast-burglary-ring-from-chile-has-been-targeting-wealthy-us-households?srsltid=AfmBOopfBoBfFMT5I7mtpsLZWYCPnGC6XA4_ms3N44RsrlKDE-qP195V)。

 彼らの手口は、海外メディアの記事に登場するチリ人主体の国際窃盗ネットワーク「ランサス・インテルナシオナレス(Lanzas Internacionales)」にとても似ている。黒ずくめの長袖長ズボンという服装や、民泊を短期のアジトにするという彼らの服装や行動はまさに、こうした国際窃盗団の基本スタイルや行動パターンを踏襲している。彼らはチリ版「トクリュウ」のような存在だと言っていいだろう。今回の容疑者のふたりは、その末端の「闇バイト」なのかもしれない。なぜなら、監視カメラがたくさんある公共空間で白昼堂々と犯行に及んだり、偽造ではなく本物のパスポートを使ったりするなど、スキだらけの行動で限りなく素人っぽいからだ。

 そしてこの犯行は彼らふたりだけで行われたものではなく、共犯者が他にいるのは明らか。盗まれた4本の高級時計はまだ1点しか回収されておらず、チリ版「トクリュウ」が手配した、やはり観光客を装った他の共犯者の手に渡ったと推測される。容疑者のひとりは「換金して逃げるつもりだった」と語ったとされるが、シリアルナンバーが控えられて業界内で追跡される日本ではl換金は極めて困難である。日本で換金するつもりだったとすればあまりに素人っぽい。犯人自身が運ぶと空港での検査で発覚するリスクがある。だから前科のない友人や家族を「観光客」として渡航させ彼らに盗品を持ち帰らせる。そんな「運び屋」がいる可能性が高い。彼らが誰に3本の時計を渡したのか不明だが、おそらく窃盗団の仲間にすでに手渡されて国外に持ち出されているだろう。チリ版トクリュウの組織的犯行の場合、運び屋は友人や家族でなく、まったくの他人である可能性も高い。いったん国外に持ち出されたら追跡して取り戻すことはほぼ不可能だ。

もうひとつの背景「時計投資・時計蓄財ブーム」

 さてこの事件に関しては、30年以上も高級時計の取材を続けてきた筆者として、ぜひ解説しておきたいことがある。それはこの十数年で、そして新型コロナ禍で加速した高級時計の2次流通価格の高騰が作り上げた「時計投資・時計蓄財ブーム」だ。

 このブームの主役は時計愛好家ではない。生産数が少ないなどの理由で入手困難な時計に付けられたプレミアム価格を利用し、その転売で儲けようという人たち、また、こうした時計を金地金(きんじがね)などと同様に蓄財、中でも財産隠しのために利用している人たちだ。前者にはごく普通のサラリーマンも少なくないが、後者の中には“何とかして税金逃れをして財産を隠したい”という、実態を調べると違法スレスレの反社会的な活動を行っている会社や暴力団などの犯罪組織が含まれていると推測される。

「今回の事件の舞台がなぜ銀座ではなく、“サブカルの聖地・中野ブロードウェイ”だったのか」は、こうした裏事情が影響している。中野ブロードウェイにある店舗の多くは、高級品とは無縁のモノが販売されている。たとえば地下にあるのは100円ショップや、普通よりも肉や魚を安く購入できる商店だ。マンガ関連の中古品やガチャガチャも、日用品も決して高くはない。

中野ブロードウェイは非常に多彩な店舗が軒を連ねている。

 そんな中野ブロードウェイの中で、中古時計店は例外的な存在だ。これらの店では、週末、一般の人々も多く入店して時計を選んで購入している。しかし、平日の昼間に中野ブロードウェイを歩いてみれば分かるが、主に2階にある中古時計店エリアだけはまったく客筋が違う。「なぜ中野のここにいるのだろう?」と思う人たちが、筆者なら絶対に購入したくない“プレミアム価格の付いた高級時計”を吟味している姿がある。

 高級時計を対象にした投資や蓄財は個人の自由だし、それ自体に違法性はない。ただ目的や手法によっては“限りなく違法に近い”ことになる。また「N級品」と呼ばれる超スーパーコピー品を使った詐欺も少なくない。しかも高級時計の中古品の価値・価格は常に変動している。国際的に見れば2010年代に始まり、2020年の新型コロナ禍で加速した“高級時計の価値バブル”は2022年の春で崩壊した。現在、高級時計の2次流通価格は、特別なブランドの特別なモデル以外は新型コロナ禍以前の水準に戻っている。

 1966年に竣工してから60年。“サブカルの聖地”である中野ブロードウェイの一角で、たった4本で時価総額約2億円という時計がなぜ取り引きされているのか? なぜ中古品なのにこんな価格が付けられているのか? この事件を知って一瞬でも「高級時計で自分も儲けよう」と思った人はぜひ、そのことを考えてほしい。

 スイスや日本のほとんどの時計ブランドの工房を訪れるなど30年以上も時計作りの現場取材を続けてきた筆者には、こうした時計の持つ価値は理解できる。だが高すぎる2次流通価格は理解不能だし、時計愛好家ではない人たちがただ「投資対象」として時計を扱い、時計の作り手にこうした取り引き価格が一切還元されないのは、とても残念なことだと思う。



著者のプロフィール

渋谷ヤスヒト

渋谷ヤスヒト

モノ情報誌の編集者として1995年からジュネーブ&バーゼル取材を開始。編集者兼ライターとして駆け回り、気が付くと2019年がまさかの25回目。スマートウォッチはもちろん、時計以外のあらゆるモノやコトも企画・取材・編集・執筆中。


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