カルティエの歴史と基礎知識。注目モデルや選び方をチェック

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2020.04.28

ジュエラーによる腕時計の先駆者であるカルティエは、いまでは真のマニュファクチュールとしての道を歩んでいる。普遍的な設計思想の伝統を守りつつ、革新的に進化し続けるコレクションの魅力に触れてみよう。


カルティエについての基礎知識

時計産業において伝説とされるコレクション「タンク」を作ったカルティエ。宝飾メゾンとしてのみならず、優れた時計を世に送り出す時計メーカーとしての認知度も高い。

時計メーカーとしてのカルティエについて見る前に、まずはカルティエの歴史を紹介しよう。

諸国の王侯貴族も愛した名門ブランド

Archives Cartier Paris © Cartier
カルティエの創設者、ルイ=フランソワ・カルティエ(1819-1904)。1847年、28歳のときに師であるアドルフ・ピカールからパリのモントグイユ通り29番地(現在のパリ1区のエティエンヌ・マルセル通り界隈)のジュエリー工房を受け継ぐ。のちに優れた手腕で一流のジュエリー・メゾンへと成長させていく。

カルティエは、ルイ=フランソワ・カルティエ(1819-1904)が1847年に創業したフランスの高級宝飾メゾンである。1853年にはパリにジュエリーブティックを開き、そのわずか6年後にはフランス皇帝ナポレオン3世の皇后ウジェニーを顧客とした。

3代目であり、孫のルイ・カルティエの時代にまると世界的なジュエラーとして名を響かせ、1939年までに15カ国から王室御用達の特許状を受けるに至った。現在、これらのうち9王室の紋章がパリ本店の入り口左右に掲げられている。

F. Hammond © Cartier
1853年、ルイ=フランソワ・カルティエは工房をヌーブ・デ・プティ・シャン通り5番地に移し、そして1899年、現在も本店を置くヴァンドーム広場の北側、パリ2区のラ・ぺ通り13番地へ移転させる。

英国王エドワード7世(1841-1910)が遺したとされる「宝石商の王であるがゆえに、王の宝石商」という言葉が、その功績を象徴するものとして有名だ。

ジュエリーからペンまで幅広く手掛ける

Cartier Archives ⓒCartier
2代目のアルフレッド(右から2番目)とカルティエを世界的なブランドへと成長させた息子たちのルイ(左から2番目)とピエール(右)、ジャック(左)。ピエールは1902年にロンドン支店を開店し、4年後にジャックへ引き継ぐと、1909年にニューヨーク支店を開店する。

カルティエは、宝飾メゾンとして世界五大ジュエラーに数えられるが、手掛けるのは宝飾品ばかりではない。

カルティエが他のジュエリーブランドと一線を画しているのは、豊富なメンズコレクションを揃えている点にある。

Nils Herrmann, Cartier Collection © Cartier
カルティエ パリで1932年につくられた「リリパット オイルライター」。イエローゴールドとプラチナを使ったケースにブラック エナメルを施し、ラウンド オールドカット ダイヤモンドに加え、シングルカット、バゲットカットスクエアカットされたダイヤモンドで飾られている。カルティエのアーカイブでは、「リリパット」という名称はサイズの小さなアイテムに付けられ、主にライターと万年筆に用いられている。

三代目であるルイとピエール、ジャックの三兄弟は男性向けの洗練されたアクセサリーを数多く生み出している。シガレットケース、ライターなどは、ルイの本拠地であるパリのほか、ピエールとジャックが経営を任されていたロンドン、ニューヨークでも取り扱い、王侯貴族だけでなく、企業家のファンの獲得が進んでいく。

いまでは豊富なモデルを揃えるレザーグッズを中心として、筆記具、ライター、サングラスなど、幅広いアイテムをラインナップしている。

Nick Welsh, Cartier Collection © Cartier
カルティエ パリで1929年につくられた「伸縮式シャープペンシル」。イエローゴールドのボディはキャップ側にブラック エナメルが施される。宝石はプラチナを台座に、スクエアカットとカリブレカットされたエメラルド、縦溝を施したエメラルドハーフビーズ1個、ローズカットされたダイヤモンドが配されている。

Nils Herrmann, Cartier Collection © Cartier
カルティエ ニューヨークが1930年ごろに製作した「旅行用カミソリ」14Kイエローゴールド、スティールで製作。

古参の時計ブランドとしての一面

1909年12月2日に特許申請がされた「デプロワイヤントバックル」の特許資料。衝撃を受けても容易にストラップが外れないこのバックルのアイデアは、他社に先駆けること10年。ルイ・カルティエが腕時計に見出していた可能性が大きかったことがわかる。1911年に登場した初代サントスに装備された。右は「サントス ドゥ カルティエ クロノグラフ」に装備されるデプロワイヤントバックル。ワンプッシュで簡単に開閉できる構造を持つ。

カルティエは先進的な設計思想を発揮し、時計製造の歴史を語る上で欠かせないメーカーでもある。

そのきっかけとなったのが三代目のルイ・カルティエだ。彼が経営に携わるようになって以来、独自のデザインに取り組み、時計制作に注力してきた。

だがそれ以前も腕時計をつくっており、カルティエ初の腕時計として登場するのは1888年のことだ。ブレスレットにダイヤモンドを配した女性用のブレスレットウオッチである。懐中時計が主流だった当時、女性にとって時計は美しきジュエリーであり、現在のような“腕時計”とは別なスタイルを持っていた。

こうしたジュエラーとして培ってきた金属加工の技術はカルティエの強みといえる。たとえば当時のジュエリーの台座はシルバーが使われていたが、扱いやすさの反面、酸化により年月が経つと黒く変色してしまうため、見栄えが悪くなるという弱点があった。そこでカルティエが他社に先駆け、1900年に採用したのがプラチナだ。

銀の融点は961.93℃、金は1064℃に対して、プラチナは1772℃と高く、そのため成形には高い技術が必要になる。この技術は宝飾時計の製作でも使われている。またジュエリー製作で培われた金属加工技術力を時計製造でも発揮され、1909年、カルティエは「デプロワイヤント バックル」における最初の特許を登録している。

※融点は「化学小辞典」(三省堂)より