A.ランゲ&ゾーネ。ドイツが誇る高級時計の歴史と厳選モデル15選

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2020.03.19

さまざまな複雑機構を搭載しながら芸術的なまでにエレガントで、ムーブメントの隅々まで美しいA.ランゲ&ゾーネの腕時計。ドイツ時計産業発祥の地グラスヒュッテの伝統工芸と、数学的な審美性の追求から生まれる、A.ランゲ&ゾーネの魅力を紹介しよう。


A.ランゲ&ゾーネの基礎知識

「A.ランゲ&ゾーネ」は世界五大時計メゾンのひとつに数えられるが、これはどういった理由によるものなのか。

時計愛好家から新作を熱望され、ドイツ高級腕時計の象徴とされる、A.ランゲ&ゾーネの概要を見ていこう。

A.ランゲ&ゾーネとは

1845年創業のA.ランゲ&ゾーネは、創業地のドイツのグラスヒュッテ(現ザクセン州)に本拠地を置く、ドイツ高級時計を代表する時計メゾンである。

A.ランゲ&ゾーネの一番の特徴といえるのが、モデルごとに専用のムーブメントを開発すること。さらに、ひげゼンマイすら自社製造するなど、スイスの老舗時計メゾンでも例がないマニュファクチュール体制を採用している。

また、科学計測用のデッキウォッチをベースに、時、分、秒の3本の針が独立したダイアルを刻む「レギュレーターダイアル」を採用したレギュレーターウォッチもA.ランゲ&ゾーネの技術力の高さを示す逸品である。

「アウトサイズデイト(ビッグデイト)」やエナメル装飾を用いたダイアルは、実用性が高く審美的にも秀逸だ。

グラスヒュッテ工芸の伝統に根差したドイツの高級腕時計は、設計思想からスイス高級腕時計とは一線を画している。


A.ランゲ&ゾーネの歴史

ブランド名である「A.ランゲ&ゾーネ」は「アドルフ・ランゲとその子供たち」を意味している。

1815年生まれの創業者「フェルディナント・アドルフ・ランゲ」から、ひ孫の「ウォルター・ランゲ」まで、激動のなか家族経営を続けるA.ランゲ&ゾーネの歴史を見ていこう。

誕生と消滅

ドイツ・ドレスデンの技術学校に通ったアドルフ・ランゲは、パリなどで時計職人としての修行を積んだ後、1845年にザクセン王室の支援を受けて、ドイツ東部のグラスヒュッテにA.ランゲ・ドレスデンを創業する。

過去に銀の採掘などで栄えていたグラスヒュッテはその頃、財政難で苦しんでいた。そんな中で、フェルディナント・アドルフ・ランゲが提案した若い時計師を育成する地域復興事業計画が、ザクソン王国から承認を受けるかたちでの時計工房の開設であった。

フェルディナント・アドルフ・ランゲ

創業者であるフェルディナント・アドルフ・ランゲの肖像。高名な時計師ヨハン・クリスチャン・フリートリッヒ・グートケスに弟子入りしたあと、パリで修業したのち、ドレスデンに戻る。

1868年、長男のリヒャルトが経営に参画したときに、屋号をA.ランゲ&ゾーネに改め、1871年に次男のエミールも経営陣に加わる。

1875年にアドルフ・ランゲは60歳でこの世を去るが、このときグラスヒュッテは、A.ランゲ&ゾーネを頂点とする精密時計産業地帯に変貌していた。

その後、順調に成長を続けたA.ランゲ&ゾーネは20世紀初頭に勃発した第一次世界大戦と世界恐慌は無事乗り越えたが、第二次世界大戦において大きな変化を迎えることとなる。終戦前夜に空襲の直撃を受けて本社は消失。

そして終戦後の1948年には資産を社会主義国東ドイツに接収され、さらにグラスヒュッテ国営時計会社に統合されるかたちで、A.ランゲ&ゾーネというブランドは消滅してしまう。

ドイツ統一と復活

1924年生まれのウォルター・ランゲは、A.ランゲ&ゾーネの最盛期から消滅までを体験した人物だ。

1948年にベルリンの壁の西側、プフォルツハイムに亡命し、時計工房を開いてA.ランゲ&ゾーネ再興の機会をうかがう。

ウォルター・ランゲは、ドイツ国境に間近いスイス・シャフハウゼンに拠点を置く時計メゾンIWCと協力関係を築く。しかし、1970年代に襲ったクォーツ・ショックにより再興の機会は絶たれた。

東西ドイツ統一後に会社を復興させたウォルター・ランゲ(右)とその立役者である故ギュンター・ブリュームライン。創業者フェルディナント・アドルフ・ランゲのレリーフの前で1991年に撮影。

転機が訪れたのは1989年11月、ベルリンの壁の崩壊である。ここで、IWCの社長でありドイツ人のギュンター・ブリュームラインとともに「A.ランゲ&ゾーネ」ブランド再建のための行動を始める。

そして1990年、東西ドイツが統一されるとすぐさまA.ランゲ&ゾーネの再登記と商標登録を行い、ザクセン州(元グラスヒュッテ)にて本社「ランゲ・ウーレンGmbH」を設立、42年越しのブランド復活を果たした。

A.ランゲ&ゾーネの工房

2015年にグラスヒュッテに完成したA.ランゲ&ゾーネの新しい工房。

A.ランゲ&ゾーネの現在

1992年に新生A.ランゲ&ゾーネ初の特許「アウトサイズデイト」を出願。1994年には復興コレクションの第一弾として「ランゲ1」「アーケード」「サクソニア」「トゥールビヨン”プール・ル・メリット”」の4種をリリースする。

そして2000年に再建を支援したIWCとともに、リシュモングループの傘下に入った。

A.ランゲ&ゾーネは現在もグラスヒュッテの伝統工芸を守り続け、科学的手法とマイスターの手仕事による精密な時計製造を行うことで、世界有数のブランドに数えられるまでの急成長を遂げている。

この復活劇は、ウォルター・ランゲの信念に象徴される。曰く「時計だけではなく、何よりも自分自身に要求するべきことがある。それは、決して立ち止まってはならないということだ」。


A.ランゲ&ゾーネの特徴

A.ランゲ&ゾーネの腕時計には、ランゲ一族の不屈の精神と真摯な姿勢が反映されている。ここでは、A.ランゲ&ゾーネを特徴付ける要素をさらに4つ紹介しよう。

マニュファクチュール

A.ランゲ&ゾーネは1994年の復興コレクションから現在に至るまで、一貫してザクセン州とドレスデンに根差したマニュファクチュール体制をとっている。

1864年に開発した「3/4プレート」や、4つのネジで姿勢差を調整できる「チラネジテンプ」を採用し、2003年には自社製のひげゼンマイの製造に着手した。現在、超精密なひげゼンマイを自社製造できる数少ない時計メゾンだ。

グラスヒュッテを拠点とするA.ランゲ&ゾーネの工房での製作シーン。ムーブメントから一部のモデルのヒゲゼンマイまで自社製造を行っている。

さらに、復興間もなく腕時計としては初の「チェーンフュジー(綱引き)」で輪列を駆動する方式を実現するなど、精度の追求には余念がない。

美しいエングレービング

「エングレービング」とは、銅版画で用いられる凹版技法のひとつ。版面に鮮明な線を彫り込むこの技法は、1430年頃にグラスヒュッテを含むライン川流域の金属工房で始まった。

つまり、エングレービングはグラスヒュッテ伝統技術のひとつだ。A.ランゲ&ゾーネはこの技法を、文字盤装飾だけでなくムーブメントの部品にも施している。

エングレービングが施されたムーブメント

エングレービングが施されたムーブメントのテンプ受け。熟練した彫金師がそれぞれの技巧と個性を活かした模様を彫金する。

特にスワンネック型のテンプ受けは芸術作品と呼べるほどに美しく、外観上は隠れる構造のムーブメントであっても、マイスターの「筆跡」として欠かせない。

エングレービングを施したA.ランゲ&ゾーネの腕時計は、ひとつとして同じものがない希少性を生む。

モデルごとのムーブメント

A.ランゲ&ゾーネの独自性を決定付ける要素として、ひとつのモデルに対してひとつのムーブメントを自社製造することが挙げられる。

一般的な時計メゾンでは、他社製のエボーシュをカスタマイズしたムーブメントを製作したり、マニュファクチュールであっても自社製ムーブメントをベースに改良したりすることが多い。

A.ランゲ&ゾーネでは、新作ムーブメントを搭載してこそ新作モデルだという思想があり、モデルに合わせて毎回ゼロからムーブメントを設計している。部品は真鍮ではなく酸化しやすい洋銀製だ。

Cal.L155.1 DATOMATIC

オデュッセウスのムーブメント「Cal.L155.1 DATOMATIC」。大きさや厚みなど、すべてがモデルごとに異なるのがA.ランゲ&ゾーネの特徴。

全てのムーブメントは完璧なポジションに仮組みしてから解体して徹底洗浄し、マイスターが一人で本組みをする二段階組み立てを採用している。

3/4プレート

一般的なムーブメントは、輪列の軸受けになる背面のプレートを複数枚使用する。トランスパレントバックのモデルではプレートもデザイン要素として作用するため、形状の設計は重要だ。

フェルディナント・アドルフ・ランゲが開発したムーブメントの大半を覆う4分の3プレート。多くの歯車の軸を1枚のプレートで固定することで安定性を高めている。

1864年にアドルフ・ランゲが採用して以来、3/4プレートはザクセン高級時計のアイコンである。ムーブメントの3/4の面積をカバーする1枚の洋銀製プレートは、A.ランゲ&ゾーネを象徴するデザイン要素だ。

また、現代では採用例が少なくなったゴールドシャトンを、2本あるいは3本のブルースクリューで留める構造も伝統としている。