時計経済観測所/ウクライナ戦争で激震。過去最高の高級時計市場の行方

LIFEIN THE LIFE
2022.05.09

2021年のスイス時計の輸出額は、新型コロナ禍以前の水準を超え、過去最高を更新した。いよいよ本格的な回復へと大きく動き出そうとした矢先に勃発したロシアによるウクライナ侵攻。ふたたび世界経済は停滞から減速へと逆戻りしてしまうのか? 気鋭の経済ジャーナリスト、磯山友幸氏が特に高級時計の視点から、ウクライナ戦争の影響を分析・考察する。

磯山友幸:取材・文 Text by Tomoyuki Isoyama
安堂ミキオ:イラスト Illustration by Mikio Ando
[クロノス日本版 2022年5月号掲載記事]


ウクライナ戦争で激震。過去最高の高級時計市場の行方

磯山友幸

 ロシアによるウクライナ侵略戦争が、新型コロナウイルス禍から立ち直りつつあった高級時計市場を大きく揺さぶっている。

7年ぶりに過去最高を更新した2021年スイス時計輸出額

 高級時計市場の動向を示すスイス時計協会の統計によると、2021年に世界に輸出されたスイス時計の総額は222億9670万スイスフラン(約2兆5950億円)と新型コロナの影響を受けた2020年に比べて31.2%増加。2019年の217億1770万スイスフランを上回ったうえ、過去最高だった2014年の222億5770万スイスフランも7年ぶりに更新した。2022年に入ってからも、1月は6.8%増、2月も24.4%増と好調に推移しており、ポストコロナの本格的な世界経済回復で時計市場にも強い追い風が吹き始めていた。

 そんな矢先、2月下旬のロシアのウクライナ侵攻で情勢は一変した。西側諸国によるロシアへの強力な経済制裁によって、今後、ロシア経済が大打撃を受けるだけでなく、原油やLNG(液化天然ガス)など、エネルギー価格の上昇が世界経済の足を引っ張ることになりそうだ。昨年から欧米では、景気回復と共に消費者物価が大きく上昇するインフレに見舞われていたが、そこにエネルギー価格などの高騰が追い打ちをかけ、世界をさらなるインフレが襲うことになりかねない。

 スイス時計の輸出先としてロシアは2021年で17位。金額は2億6010万スイスフラン(約337億円)に過ぎないが、新興富裕層などの需要増加が今後期待される市場だった。それが当面、「消滅」することになる。また、スイスなど欧州諸国に貯蓄をするなど資産を持つロシア人も多く、そうした富裕ロシア人の高級時計購買はばかにならない規模だったと考えられる。

米国と中国、2大市場の行方

 また、欧州でのエネルギー価格の上昇などが家計を直撃しており、他の消費財の購入を手控える動きが今後広がる懸念が強い。2021年のスイス時計の輸出先上位30カ国・地域のうち、新型コロナ前の2019年を上回ったのは半分の15カ国だが、そこに含まれる欧州諸国は規模の小さいオランダ、アイルランド、ベルギーの3カ国だけで、他の欧州主要国は軒並み2019年実績には達していない。消費経済が完全に戻っていなかったところに、今回のウクライナ戦争が勃発したわけだ。

 今後の市場動向は米国と中国という2大市場の行方にかかっている。2021年のスイス時計の輸出先としては結局、米国向けが30億7880万スイスフランと、中国の29億6720万スイスフランを上回り、首位を奪還した。昨年の米国のクリスマス商戦はまさにフィーバー状態で、高級時計も売れまくった。新型コロナ禍からいち早く立ち直った中国も市場が拡大。かつては世界最大の時計需要地だった香港向けも増加に転じている。

ウクライナ戦争が時計市場に与える影響

 問題は、ウクライナ戦争やその余波で両国経済がどうなるか。米国の消費好調が続くのかがひとつの焦点だろう。もうひとつは、新型コロナを封じ込める「ゼロ・コロナ政策」を取り続けている中国の行方。流行の再拡大でいくつかの都市でロックダウンが行われており、これが中国経済全体にどれだけダメージを与えるかが注目される。中国政府が万が一、ロシア支援に乗り出せば、西側諸国による経済制裁の対象が中国にも広がる懸念もある。そうなると世界経済は大打撃を受ける可能性も出てくる。

 ただし、世界を襲うインフレで、一部の超高級時計に対する需要は大きく高まるに違いない。通貨の価値が下がるインフレを乗り切るために多くの富裕層が現金を「実物資産」に換える動きはさらに強まる。金価格の猛烈な上昇はその表れだが、高級時計にもそうした需要がある。ロシアの富裕層でも資産凍結されているのは今のところごく一部の超富裕層だけで、その他の富裕層は外貨建て資産を「実物」に移そうとするだろう。その時、政府から捕捉されにくい資産として高級時計に資金が移る可能性は十二分にある。

 ウクライナ戦争が、世界経済にどんな影響を与えるか。そして時計市場にどう響くか。しばらく目が離せない。


磯山友幸
経済ジャーナリスト。1962年、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。日本経済新聞社で証券部記者、同部次長、チューリヒ支局長、フランクフルト支局長、『日経ビジネス』副編集長・編集委員などを務め、2011年3月末に独立。著書に『「理」と「情」の狭間 大塚家具から考えるコーポレートガバナンス』『ブランド王国スイスの秘密』(いずれも日経BP社)など。現在、経済政策を中心に政・財・官界を幅広く取材中。
http://www.hatena.ne.jp/isoyant/




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