ピアジェ/ピアジェ アルティプラノ

FEATUREアイコニックピースの肖像
2020.08.18

汎用性と薄型化の限界へ
〝エボーシュメーカー・ピアジェ〟の軌跡と矜持

1950年代以降、薄型ムーブメントの開発で他社に先んじてきたピアジェ。しかし同社のムーブメントには、薄さ以外にも大きな特徴がある。汎用性と堅牢さである。こういった個性は、初の薄型から最新のムーブメントまで、何ひとつ変わっていない。ピアジェがなぜ堅牢なムーブメントを作れたのか。その歴史から追っていくことにしよう。

Cal.9P

1957 Cal.9P
1957年初出。ピアジェ初の薄型ムーブメント。厚さを2mmに留めただけでなく、強固な一体型ブリッジと、オフセットした輪列を加えることで、薄型とは思えない頑強さを盛り込むことに成功した。また小径というハンディキャップを克服するため、すでに1万9800振動/時というハイビートを採用している。なお1980年には、厚さを0.15mm増して生産性を向上させたCal.9P2に進化した(写真はCal.9P2)。直径20.5mm、厚さ2mm(Cal.9P)、2.15mm(Cal.9P2)。手巻き。1万9800振動/時。18石。パワーリザーブ約36時間。部品数89点。
Cal.12P

1960 Cal.12P
ピアジェ初の薄型自動巻き。設計は1958年のユニバーサル215に酷似するが、厚さは5.15mmに対して、わずか2.3mmに留められている。また自動巻き機構もいっそう洗練され、巻き上げ効率を向上させるため24K製ローターを採用。現在はマイクロローター=薄型と考えられているが、それは12Pの登場以降である。基礎設計はジャン・ラサール(設計時点では厚さ2.08mm)。開発はヴァランタン・ピアジェと子会社のコンプリカシオンSAで、56年8月に最初の図面が完成している。直径28.1mm、厚さ2.3mm。自動巻き。1万9800振動/時。30石。パワーリザーブ約36時間。部品数236点。

 ヌーシャテル湖西端部のイヴェルドンから、フランス方面に北上すると、オルゴールで著名なサントクロアに出る。そこから脇道に入ると急峻に突き当たるが、登りきると高台に出る。標高1041メートル、ジュラ山脈に点在する高級時計の生産地でも、とりわけ隔絶された土地が、ピアジェ発祥の地、ラ・コート・オ・フェである。

 スイスにはさまざまな時計メーカーがあるが、ピアジェほど地勢的な条件がプロダクトに影響を及ぼしたブランドは希だろう。つまりピアジェのムーブメントを見るにあたっては、その歴史をひもとく必要がある。

 ラ・コート・オ・フェという土地は、ピアジェをどうあらしめたのか。ジャーナリストのルシアン・F・トリュープはこう記している。「かつての人々はピアジェの工房についてこう語った。教会のような、つまり神聖で、その中に入るときには畏敬の念で震えるような場所である」。「ピアジェの若い従業員たちが工房にラジオを入れてくれと頼んだ。対して年配の職人はそんな〝インモラル〟なものは導入できないと拒絶した」。

 この地が初めて歴史に現れるのは、13世紀の後半とされる。しかし村として成立するのは、ピアジェ家を含む新教徒たちがフランスから亡命して以降らしい。ラ・コート・オ・フェのあるヌーシャテル州は、1530年以降、プロテスタントの支配下にあった。そのため多くのプロテスタントがフランスから亡命したが、彼らの一部は政治的な混乱と新教・旧教の対立を嫌って、さらに奥地に隠れた。そのひとつがフルリエである。しかしピアジェ家を含む新教徒たちは、さらに山奥に隠れた。選んだのは、フランスと国境を接してはいるが、フランスへの道を持たないラ・コート・オ・フェであった。急峻に遮られたこの高台は、身を隠すにはうってつけだったのだろう。

Cal.430P

1998 Cal.430P
Cal.9Pに置き換わる新型手巻きムーブメント。機械式としては18年ぶりの自社製ムーブメントとなる。オフセットした輪列や、強固な一体型の受けはCal.9Pに同じ。また日の裏の設計も酷似している。しかし秒針停止機能が付いたほか、部品数が増えたにもかかわらず、生産性は向上した。この輪列を転用し、後にトゥールビヨンのCal.600Pなども設計された。直径20.5mm、厚さ2.1mm。手巻き。2万1600振動/時。18石。パワーリザーブ約43時間。部品数131点。主ゼンマイのトルク240g・mm、テンワの慣性モーメント2.9mg・cm2。
Cal.800P

2006 Cal.800P
ピアジェ初のセンターローター自動巻き。厚さを4mmに留めた理由は、後の拡張性を見越したためだろう。事実Cal.880Pは、Cal.800Pから香箱をひとつ抜き、そこにクロノグラフ機構を押し込んだものだ。決して薄くはないが、オフセットした輪列や強固な受けなど、頑強な設計を持つ。巻き上げ機構は、セイコーのマジックレバーを模したラチェット式。直径26.8mm、厚さ4mm。自動巻き。2万1600振動/時。25石。パワーリザーブ約85時間。部品数201点。主ゼンマイのトルク300g・mm、テンワの慣性モーメント5.65mg・cm2。

 ラ・コート・オ・フェに住み着いたカルヴィニストたちは、やがてレースの製造に取り組んで成功を収めた。後に機械化の進展でレース産業が斜陽になると、彼らは時計作りにも取り組むようになる。そのひとりが、ピアジェの創業者となるジョルジュ・ピアジェであった。

 彼には面白いエピソードがいくつも残されている。後にピアジェの関係者が創業者のサインを探したが、公式な文書にさえ見当たらず、教会の文書にのみ見つけたという。また彼は、仕事に対して滅多に〝良い〟と言わなかったそうだ。

 カルヴィニストであるジョルジュにとって、時計とはまず実用的なものであった。彼が1874年に設立したピアジェは、見た目こそ凡庸だが、頑強で高精度なムーブメントを製造するようになった。

 ジョルジュは1931年に亡くなるが、幸いにも息子や孫たちは優秀だった。彼らは家業拡大のために新工房を設立(45年)、創業から70年を経て、自社銘を冠した時計を販売するようになった。しかし慎み深い姿勢とは裏腹に、同社が名声を得るにはさほどの時間を要しなかった。きっかけとなったのは、57年に発表された直径20.5ミリ、厚さ2ミリの薄型手巻きムーブメント「キャリバー9P」であった。ちなみに9Pは、他社の薄型ムーブメントに比べても薄くはなかったし、性能も飛び抜けてはいなかった。しかし、いかにもピアジェらしい特徴を備えていた。つまりは薄型とは思えないほどに頑強だったのである。ジョルジュの孫にあたるヴァランタン・ピアジェが設計したと考えれば当然だろう。

Cal.830P

2007 Cal.830P
ピアジェの新世代基幹機。わずか9リーニュしかないCal.430Pに対して、直径は12リーニュまで拡大された。またテンワの慣性モーメントを増やすことで、理論上の携帯精度も大きく高まった。また2番車をセンターに置くことで、Cal.430Pの弱点である時間合わせの際の針飛びが起こらなくなっている。オーソドックスだが、堅牢な設計を持つムーブメントだ。直径26.8mm、厚さ2.5mm。手巻き。2万1600振動/時。19石。パワーリザーブ約60時間。部品数131点。主ゼンマイのトルク925g・mm、テンワの慣性モーメント10mg・cm2。
Cal.1200P

2010 Cal.1200P
Cal.12Pの50周年を記念して作られたマイクロローター自動巻き。Cal.430Pの輪列を“モジュール”として転用し、拡張した地板にローターを収めることで、無理のない薄型化に成功した。興味深いのは、さらに一体化が進んだ受けの設計。ヴァスコ・ベロー曰く「ムーブメントは薄いが、コイン同様にムーブの外周部を厚くすることで剛性を持たせた」とのこと。直径29.9mm、厚さ2.35mm。自動巻き。2万1600振動/時。25石。パワーリザーブ約44時間。部品数180点。主ゼンマイのトルク240g・mm、テンワの慣性モーメント2.9mg・cm2。

 9Pには、後のピアジェに共通する美点がすべて備えられていた。そのひとつが大きなブリッジである。当時代表的だった薄型ムーブメントのフレデリック・ピゲ21や、ヴァシュロン・コンスタンタンの1003は、繊細なジュネーブ様式のブリッジを持っていた。対して9Pは汎用機と見紛うほど大振りだった。しかしこの巨大なブリッジは、優れた整備性と剛性を、この薄型ムーブメントに与えることになった。

 もうひとつの特徴が、2番車をオフセットさせるレイアウトである。2番車がセンターにあると、香箱に干渉して薄くするのが難しくなる。対してピアジェは、香箱と干渉しないよう2番車をオフセットさせた。その結果、9Pはブリッジの厚みを落とさず、薄くすることに成功している。

 大きなブリッジとオフセットした輪列を持つ9Pは、後のピアジェの規範となった。こういった個性をいっそう備えていたのが、60年発表の薄型自動巻き「キャリバー12P」である。このムーブメントは輪列をオフセットさせるだけでなく、直径を拡大し、隙間にマイクロローターを収めたことで、自動巻きとしては当時最薄の2.3ミリを実現した。しかし重要なのは、やはりこの自動巻きが、薄さからは考えられないほどの頑強さと汎用性を両立させた点にある。

 もっとも、ピアジェが薄型ムーブメントを量産できた理由は、ヴァランタン・ピアジェの設計だけではなかった。ラ・コート・オ・フェの住民たちは、時計師としても優秀だったのである。現会長のイヴ・ピアジェはこう回顧する。「子供の頃、工房の向かいにあるオフィスに行くことは許されていました。しかし工房に入ることは許されなかったのです。年をとって工房内に入ったとき、こう感じたものです。時計作りとはまるで宗教の儀式ではないかとね」。トリュープも指摘している通り、薄型時計の製造を支えたのは、同氏が〝カルヴァン主義的〟と表現した、時計師たちの宗教的な情熱ではなかっただろうか。

Cal.900P
2014 Cal.900P
ピアジェの最新ムーブメント。より正確にいうと、ケースの一部とムーブメントを一体化させた構造を持つ。文字盤部分、香箱部分、そして輪列部分をそれぞれモジュール化し、パズルのようにケースバックに埋め込むことで、手巻き時計としては世界最薄のケース厚3.65mmを実現した。薄型時計にもかかわらず、ピアジェらしい堅牢な設計を持っている。直径38mm、厚さ3.65mm(ケースサイズ)。手巻き。2万1600振動/時。20石。パワーリザーブ約48時間。部品数145点。主ゼンマイのトルク160g・mm、テンワの慣性モーメント2.90mg・cm2。

 しかし60年代半ばに入ると、ピアジェは薄型の機械式ではなく、クォーツに傾倒するようになる。ヴァランタン・ピアジェは、ムーブメントを製造する子会社のコンプリカシオンSAを通じて、ベータ21の開発に参加。70年代以降は、自社でクォーツムーブメントを作るようになった。もっともクォーツに主力を転換し、宝飾時計の製造にシフトしたことは、やがてピアジェを救うことになる。スイスフランの高騰と日本製クォーツの普及でライバルが壊滅する中、ピアジェはひとりも解雇することなく、この時代を乗り切ったのである。

 60年代後半から80年代にかけて、ピアジェのビジネスは大きく拡大する。64年のボーム&メルシエ買収を皮切りに、81年には投資会社と共同でレマニアを買収(以降名称はヌーヴェル・レマニアとなった)。同社を通じてやがてホイヤーもグループに加えることに成功した。ただしピアジェ家の若い世代は、もはや家業への興味を失っていた。そのためピアジェを率いていたイヴ・ピアジェは、株の大半をカルティエ モンド(後のヴァンドーム ラグジュアリー グループ、98年以降はリシュモン グループ)に売却。93年には完全に同グループの傘下に入る。

 現リシュモン グループ傘下となって、最初に手掛けられたムーブメントが、9Pの後継機に当たる「キャリバー430P」である。直径は9Pにほぼ同じながら、設計はいっそう堅牢だった。現在ピアジェで設計に携わるヴァスコ・ベローはこう述べる。「430P以降、ピアジェの設計は変わったと言えるでしょう。9Pや12Pは、量産を前提とはしていませんでした。対して430Pは量産することを前提とした設計になっています」。とはいえ、大きなブリッジやオフセットした2番車などのレイアウトは、9Pに同じであり、つまりはこのムーブメントも薄型としては極めて頑強であった。

設計者たちによるスケッチ。輪列をモジュール化して転用する手法を積極的に採用したのはピアジェであった。以降同社は毎年のように新型ムーブメントを発表できるようになった。

 430Pで経験を積んだピアジェは、以降、多様なムーブメントをリリースする。まずは自動巻きの「キャリバー800P」(これは量産を意識した自動巻きだ)、続いては大径・手巻きの「キャリバー830P」。しかし最も重要なのはマイクロローター自動巻きの「キャリバー1200P」だ。

「当時は薄型競争が激しくなる時代でした。であれば、ピアジェらしいものを作らなければならない。そこで考えたのが、記録を破ることでした」。

Cal.900P

Cal.900PのCADデータ。右は輪列部分のモジュール、左は複雑に彫り込まれた日の裏側である。ベロー曰く「テンプはCal.430Pと同じだが、輪列は新規設計」。穴石とホゾの間隔は最大で0.03mm、歯車同士の間隔も、最大で0.15mmで、「一度組み上げると調整は不可能」とのこと。なおアイデアの元になったのは、エボーシュSAのデリリウム(1980年)らしい。

 完成したのは、12Pの設計に倣いながらも、さらなる薄型化を目指した1200Pであった。この自動巻きでノウハウを蓄積したピアジェは、より薄い時計の設計に取り組んだ。彼らは輪列を逃がして薄くするというお家芸だけでなく、ムーブメントとケースを一体にするというアイデアに着目した。完成したのが、2014年に満を持して発表された「キャリバー900P」である。とはいえ堅牢さを重視するピアジェの姿勢は、新しい薄型ムーブメントでも変わらない。まず設計者たちはケースにリブを設けて強度を出した。加えて輪列をモジュールとして組み、それをケースに据え付けることで、薄型とは思えない頑強さと高い整備性を盛り込んだのである。「輪列をケースに直接付けると、調整ができません。そこで輪列だけをモジュールとして先に組み、調整不要な状態にしました」。

 その設計を見ると、文字盤の部分、香箱の部分、そしてテンプを含む輪列と、3つのモジュールに分かれていることがわかる。この設計には、時計を薄くし、生産性を高める以外のメリットもあった。それが高い耐衝撃性である。

「時計を薄くすると、風防も曲がりやすくなるのです。例えば通常の時計であっても、水深が2メートルから3メートル以上になると、風防は曲がり始めます。普通の時計ならまだ問題はないでしょう。しかし薄型時計の場合、押された風防が針に当たって止まってしまうのです」。

 対してピアジェの設計者たちは、香箱を収めるモジュールと、輪列を収めるモジュールの縁を盛り上げて、風防に密着させた。これならば水圧で風防が押されても、縁に当たって針には接触しなくなる。他のメーカーならば、おそらくこういった設計は採用しなかっただろう。しかしこれは、創業以来一貫して頑強さを重視してきた、ピアジェの時計なのである。

薄型化への執念をうかがわせるのが、香箱部分のモジュール。受けで香箱を宙づりにする、いわゆる「懸垂香箱」になっている。香箱を地板で固定する必要がないため、ムーブメントを薄くできる。また香箱が歪まないように、角穴車と香箱を挟み込む受けに、5つのルビーベアリングを配している。なお受けの縁が盛り上がっているのは、この突起が風防に当たって、風防の変形を抑えるため。ピアジェはこのアイデアで特許を申請中である。

輪列部分のモジュール。輪列を直接ケースバックに固定すると思いきや、輪列部分だけをモジュールとしてあらかじめ組み、それをケースバックに据え付けるという設計を採っている。そのため組み上げた後に調整の必要はない。またベロー曰く「モジュールをケースにはめ込む設計であれば、極薄のスクエアムーブメントを作ることも難しくない」とのこと。なお、輪列はもっと薄くできたが、耐久性を考慮して厚みを残したとのこと。

 もっとも、薄型にして頑強という評価を得ているにもかかわらず、今なおピアジェの薄型は、極めて組み立てが難しいとされる。とりわけ極薄の900Pを組み立てられる職人は、現在はピアジェにも数名しかいないという。900Pを担当するシャルル・セラファンはこう語る。

「ネジに力を入れすぎるとムーブメントは止まります。また指で触っても部品が歪んでムーブメントが止まってしまう。ですから部品は基本的に、バキュームで吸い付けて移動させます」

 かつてラ・コート・オ・フェの人々は、ピアジェの工房を「神聖で、その中に入るときには畏敬の念で震えるような場所」と称した。そして創業から140年後、しわぶきひとつ聞こえない工房に足を踏み入れると、今なおピアジェとラ・コート・オ・フェにはカルヴィニズムが残されていることが分かる。なるほど、この地でなければ、薄型時計はできなかったはずである。