ブライトリング/ナビタイマー

FEATUREアイコニックピースの肖像
2019.01.01

プロフェッショナル向けにもかかわらず、多くの人に支持される。そういった時計は、時計史の中でも決して多くない。1952年に発表されたパイロット向けのツール、ナビタイマーは、なぜ時計業界におけるアイコンとなったのか。半世紀以上にわたる歴史と、その新しい歩みを見ることにしたい。

吉江正倫:写真
広田雅将(本誌)、鈴木幸也(本誌):取材・文
[連載第45回/クロノス日本版 2018年5月号初出]

NAVITIMER [1952]
回転計算尺を備えた航空時計

ナビタイマー[1952]
1950年代に販売されたファーストモデル。丸い回転ベゼルの突起や、文字盤と同色のインダイアルといった特徴を持つ。また搭載するムーブメントは、ヴィーナス178もしくはバルジュー72だった。Ref.806。手巻き。17石。SS(直径41mm)。ブライトリング所蔵。

 第2次世界大戦に従軍したパイロットが民間に転じた結果、1940年代半ば以降、アメリカの民間航空企業は急速な発展を遂げた。それを示すのがパイロットの数である。アメリカのパイロット協会であるAOPAに所属するパイロット数は、42年の12万9947名から、5年後の47年には43万3241名に増加した。アメリカでのアビエーションの盛り上がりを受けて、ブライトリングは販売代理店のワックマンとともに、ブライトリング・オブ・アメリカを設立する。

 大戦中に教育を受けたパイロットには、ひとつの共通点があった。彼らはパイロット向けの回転計算尺、E-6Bの使い方をマスターさせられたのである。パイロットを急ピッチで養成した結果、第2次世界大戦中に、約40万枚のE-6Bが出荷されたといわれる。

 アメリカにパイロットウォッチを売ろうとするブライトリングが、パイロットにとって不可欠なツールであった、E-6B付きの時計を作ろうと考えたのは当然だった。そして幸いなことに、42年の「クロノマット」で、ブライトリングは回転計算尺の小型化に関するノウハウを得ていた。

 パイロット向けの回転計算尺、E-6Bの改良版を搭載したクロノグラフが52年発表の「ナビタイマー」である。AOPAは、ただちにこのクロノグラフを公式時計として採用し、ブライトリングは一躍、航空時計の第一人者とみなされるに至った。加えて当時の社長だったウィリー・ブライトリングは、精力的にナビタイマーの拡販に努めた。プロフェッショナルたちの高評価に押された彼は、17の航空会社に対してナビタイマーの売り込みをかけ、その多くが公式時計としてナビタイマーを採用した。同年、ブライトリングは本社をジュネーブに移転し、世界的な時計メーカーへと脱皮を遂げることとなるのだ。

(右)ナビタイマーを特徴付ける計算尺付きの回転ベゼル。クロノマットが採用した回転計算尺から大きく進化し、加減乗除や三数法に加えて、単位の換算機能や、速度、燃費、上昇・下降距離などの航空計算ができるようになった。開発者は、後にブライトリングの開発部長となったマルセル・ロベールである。(左)極初期モデルの特徴がAOPAのロゴ。なお、ナビタイマーの文字盤は、ペイントではなくメッキ仕上げだ。真鍮のプレートにまずシルバーメッキを施し、数字やインデックスをマスキングし、その上にブラックのニッケルメッキをかけ、マスキングをはがすと完成となる。1940年代に完成したこの手法は、文字盤に極めて精密な印字を施すことが可能だった。もっとも、メッキの仕上がりが安定しなかった1952年当時は、文字盤の歩留まりも決して良くはなかっただろう。

ケースサイド。1952年から60年代半ばまでのナビタイマーは、回転ベゼルの外周にビーズ状の突起を持っていた。形状はまったく同じだが、ムーブメントの固定方法から見る限り、この時代のナビタイマーには2種類のケースが存在したと考えられる。

(右)クロノマットに共通する、稜線を斜めに裁ち落としたラグ。(左)標準的なはめ込み式のケースバック。クロノマットと同様、初期ナビタイマーも非防水ケースだった。