2026年9月2〜6日まで、スイス・ジュネーブで開催された「ジュネーブ・ウォッチ・デイズ」を現地取材。4月の新作見本市に引き続き、この晩夏のイベントの様子を、悲喜交々(“悲しみ”多め)とともに日記としてお届けする。

Photographs & Text by Chieko Tsuruoka(Chronos-Japan)
[2026年9月7日公開記事]
ジュネーブ・ウォッチ・デイズ2026を取材!
時計業界の新作見本市というと、かつてのバーゼルワールドやSIHH、そして現在業界最大となったウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ(以下W&W G)がまず思い浮かぶだろう。しかし近年、ドバイ ウォッチ ウィークやシンガポール開催の「I AM WATCH」等、実にさまざまな形、場所、出展ブランドでの見本市が時計業界に増えている。そんな一連の流れの中で、2024年より『クロノス日本版』およびwebChronos編集部でW&W Gとともに現地取材しているのが、ジュネーブ・ウォッチ・デイズ(以下GWD)だ。
GWDは2020年からスタートした。ブライトリングとブルガリ、ドゥ・べトゥーン、ジラール・ペルゴ、H.モーザー、そしてMB & Fの6ブランドがこのスタートを手掛け、最初7ブランドの参加で始まり、第7回を迎える今年は71ブランドが参加。過去最大規模となった。W&W Gほど多くはなく、また、すでにその年の新作を発表しているブランドがほとんどであることも手伝い、発表モデルの数やブースの規模も大きくない。しかし、2024年に取材した際と比較して各ブースは賑わい、かつ、出展ブランド側の対応者数も増えていた(ちなみに2年前はそうでもなかったこの期間のジュネーブ市内のホテル価格が高騰していた)。ジュネーブの風光明媚さが最も楽しめる夏の開催であること、そしてブランド側と、リテーラーやメディア、個人の時計愛好家を含む、来場者との距離がW&W Gに比べて格段に近く、時には飛び込みでプレゼンテーションに参加できたり、時にはCEOやマーケティングディレクターといったキーパーソンが飛び入り参加してきてインタビューできたりといったうれしいサプライズがあることが、この見本市を魅力的にしている大きな理由であろう。
そんなGWDの取材のため、編集部の細田雄人と筆者・鶴岡智恵子は、8月31日にジュネーブへ向けて飛び立った。

ジュネーブ到着後、ラ・ショー・ド・フォンへ!
8月31日の夜、羽田空港へ。夜出発なので、もちろん日中は会社で仕事をしてからだ。すでにクタクタになりながら、1週間分の荷物を詰め込んだ巨大なスーツケースと残った仕事を抱えて搭乗。今回はターキッシュ エアラインズで、イスタンブール経由となる。トルコは大好きな国のひとつで、20代の頃はイズミールという街にたまに遊びに行った。
とはいえバカンスするでもなく、イスタンブールではほとんど保安検査と広大な空港の移動で時間はなくなり、9月1日9時過ぎにジュネーブに到着した。なお、座席は固くなかったものの合計16時間弱の飛行はなかなか大変で、尻が4つに割れました(時計ハカセから受け継いだいつもの)。




到着早々、ラ・ショー・ド・フォンへ向かう。目的は、MIH(国際時計博物館)の取材だ。
Musée international d’horlogerie、略してMIHは1974年に開館した。スイス政府観光局の公式サイトによると、その前身は19世紀末に時計学校の中に作られた資料館とのこと(引用:https://www.myswitzerland.com/ja/experiences/international-clock-museum/)。地下を使った展示スペースは非常に広大で、さらに館内には歴史的な懐中時計やマリンクロノメーターはもちろん、現行の腕時計から果ては原子時計までと、非常に膨大かつ広範な時計関連の展示品がそろえられており、絵画や版画も含めると、1万点もの収蔵数に及ぶのだ。
また、MIHには収蔵品の修復を手掛ける時計師であり、小誌編集長の広田雅将とも親交が深い金澤眞樹氏が在籍している。
「せっかくジュネーブに行くのだから」と、今回MIH取材を敢行することにした。
SBB(スイス連邦鉄道)アプリによると、ジュネーブ空港からラ・ショー・ド・フォンまでは2時間半ほどとのこと。お昼過ぎに到着する予定で、スーツケースを空港のコインロッカー(なお、コインは使えずクレジットカード決済に)に預けて、一路、ラ・ショー・ド・フォンへと向かうことにする。
次回は1日がかりで取材するぞ、MIH
ラ・ショー・ド・フォンとはいったいどこなのか? はい、ここです。

ラ・ショー・ド・フォンはスイス北西部のヌーシャテル州に位置する街で、ジラール・ペルゴやタグ・ホイヤー、エベルなどといった時計ブランドの本社やサプライヤーが拠を構える、時計産業の中心地だ。ジュネーブ空港からは2度の乗り換えが必要で、13時半の到着を見込んで出発した。
しかしこの目測が甘かったことを、移動中に思い知らされる。

というのも、日本の新幹線と同じような感覚でいたのだが、実際には出発が遅れたり、数分の遅れでも乗り換えは待ってくれず次便が30分先などといったケースが多かったりで、なかなかスムーズに行かず、結局14時過ぎの到着になってしまったのだ。
取材予約に尽力してくれた金澤氏に謝罪のメールを1本入れて、電車に揺られながら、ようやくラ・ショー・ド・フォンの駅に到着。この駅からMIHまでは、歩いて10分もかからない(走ったので5分で到着)。



今回はMIH紹介が目的であったが、到着すると、金澤氏のほかに副館長(キュレーター)であるNathalie Marielloni氏までもが出迎えてくれた。我々が遅刻したにもかかわらず、別のアポイントメントがあって同行できないことを残念がってくれて、致し方ない面もあったとはいえ遅刻が悔やまれる。
早速入館すると、見たこともないような時計(時計だけなのか!?)がそこここに展示されている光景が目に飛び込んできた。しかも、中には什器に入れられずそのまま展示されているものや、来場者が操作できるものまでもある。金澤氏は「なんとなくこちらが精度を追い求めた作品であったり、こちらは装飾品としての価値が追求されていた作品であったりしますが、年代順に並べられているわけではなく、カオスなんですよね」と笑った。このカオスの状態こそ、時計の歴史を暗に示しているように思われ、また、いかに自分の「時計」の概念が狭かったかを、思い知らされた。後日webChronosTVで動画として詳細を公開するので本記事では一端のみのご紹介に。この混沌たる時計の世界の深淵を、少しでも伝えられればと思う。











撮った写真すべて掲載しているとジュネーブ日記が終わらなくなるので、ここまでに。正直、すべてをまだ消化できていないほど膨大な数の時計(と、関連する資料)を見て、放心してしまった。17時閉館とのことで2時間半くらいしか取材できず、次回は1日とってきちんと取材しようと細田と誓い合い、金澤氏に別れを告げ、ミュージアムを後にした。


ジュネーブ到着。まだ帰れませんし寝れませんよ?
20時半にジュネーブ空港に到着。荷物を取り出し、ジュネーブ駅とも呼ばれるコルナヴァンへ移動。まだこの日は終わらず、ブルガリのカクテルパーティーに顔だけ出すために会場に向かった。日本からのフライト直後のラ・ショー・ド・フォン取材は強行軍と言わざるを得ず、クタクタになりながらも会場で酒を少し飲み、ファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニに挨拶し、カクテルパーティーに誘ってくれた担当者に送るための写真を細田と撮影し、クロノス御用達の中華料理店「Hungky(ハンキー)」で飯を食い、ホテルにチェックイン。シャワーを浴びた頃には23時を回っていた。





日本から持ってきた仕事が終わっていなかったので作業し、1時過ぎに就寝。この時の私は知らない。このジュネーブ出張でやることが多すぎて、5日の夜を除いて1〜3時間しか睡眠時間が取れなくなることを……。なお、1万円を両替したところ、48スイスフラン。4月は42スイスフランだったので、少しは円高になったのか。
「【ジュネーブ日記夏】2日目」へ続く!



