火と光が生み出す「ロレアート」の青 ――ドンツェ・カドランに見るエナメル文字盤の真骨頂

FEATURE その他
2026.09.04

1972年の創業以来、伝統的なエナメル文字盤の製作技術を受け継いできたドンツェ・カドラン。今や、ジラール・ペルゴとともにソーウインドグループに属するこの工房では、グラン フー エナメルをはじめ、フランケ、クロワゾネ、シャンルベといった高度な技法が今なお職人の手によって実践されている。その技術をジラール・ペルゴのアイコンに融合させたのが、2026年発表の「ロレアート フィフティ 39mm」ブルーエナメル文字盤だ。クル・ド・パリの立体的なパターンを透かして光を湛える深い青。その表情は、どのようにして生まれるのか? ル・ロックルにあるドンツェ・カドランの工房を訪ねた。

ロレアート フィフティ 39 MM

奥田高文:写真
Photographs by Takafumi Okuda
鈴木幸也(クロノス日本版):取材・文
Edited & Text by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[2026年9月4日公開記事]


古典技法を現代に伝えるエナメル工房「ドンツェ・カドラン」

 小さな乳鉢の中で、職人が乳棒をゆっくりと動かしている。中にあるのはエナメルの原料となる釉薬だ。細かく砕き、水で洗浄しながら粒子を整えていく。エナメル文字盤の製作というと、華やかなクロワゾネや透明感のあるフランケの完成品に目を奪われがちだ。しかし、ドンツェ・カドランの工房を訪れると、その出発点が驚くほど根源的な手仕事であることに気付かされる。

ドンツェ・カドラン

1972年、スイスのル・ロックルで創業したエナメル工房「ドンツェ・カドラン」。ジラール・ペルゴ、ユリス・ナルダンをはじめ、錚々たる名門時計ブランドにエナメル文字盤を提供してきた実績を持つ。2011年にユリス・ナルダンが買収し、現在はソーウインドグループ傘下にある。

 ドンツェ・カドランの創業は1972年。創業者のフランシス・ドンツェはエナメル文字盤を得意とし、1983年にユリス・ナルダンを買収したロルフ・シュニーダーも、早くからこの工房の技術に注目していた。やがてユリス・ナルダンはフランケやクロワゾネ、シャンルベを用いた時計を積極的に製作。ドンツェ・カドランは、そのエナメル表現を支える重要な存在となった。

 ジラール・ペルゴとの関係も長く、取材時の説明によれば1996年から同社向けのエナメル文字盤を製作している。2011年9月にはユリス・ナルダンがドンツェ・カドランを買収。2022年にケリングがソーウインドグループの全株式を経営陣に譲渡(MBO)して以降も、ジラール・ペルゴ、ユリス・ナルダンと同じグループ内で、稀少なエナメル技術を担う工房として機能している。

エナメルのカラーサンプル

ドンツェ・カドランのエナメル工房内にディスプレイされるエナメルのカラーサンプル。エナメルの原料は主にフランス産だが、フランス産とは異なる発色を持つ日本産の原料も使用するという。

 現在、ここで扱われるのは、白色をはじめとする不透明エナメル、半透明エナメルを用いるフランケ、さらにクロワゾネ、シャンルベなど多岐にわたる。取材時には8名のエナメル職人が在籍していた。しかし、クロワゾネやシャンルベを自在に扱えるまでには最低でも10年程度の経験が必要とされる。体系的にその技術を教える学校がほとんどない今、工房そのものが次世代を育てる「学校」の役割まで担っている。

800℃の炉と向き合う職人の感覚

 エナメル製作の本質を理解するには、実際の焼成を見るのがいちばん早い。

 取材時に目にした白色の不透明エナメル文字盤では、銅製の地板に粉末状の釉薬を載せ、それを約830℃に熱した炉へ入れる。焼成時間はおよそ1分半。しかし、傍らにタイマーはない。

白色の不透明エナメル文字盤の製作工程

写真はドンツェ・カドランが得意とする白色の不透明エナメル文字盤の製作工程。エナメルは、表側に4層重ねられる。ホワイトエナメルの場合は、写真のように粉末状の釉薬をまぶす。

炉の中で焼成中のホワイトエナメル文字盤

粉末状の釉薬を載せた銅製の文字盤は、約830℃の炉に入れて、1分半ほど焼成する。

炉の中で焼成中のホワイトエナメル文字盤

炉の中で焼成中のホワイトエナメル文字盤。

 いつ炉から取り出すかを決めるのは職人自身だ。炉の中を見つめ、釉薬が溶けていく状態から頃合いを判断する。温度と時間を数値だけで管理する現代的な工業製品とは、まるで発想が違う。

 しかも、一度焼けば終わりではない。層を重ね、その都度焼成する。最後の層では釉薬の量まで調整し、平滑な表面を作る。気泡が現れれば、その部分を削り取って新たな釉薬を加え、再び炉へ戻す。取材時に聞いた白色不透明エナメル文字盤の最終的な歩留まりは約30%。完成品の静謐な表情からは想像しにくいが、その背後には常に失敗の可能性を抱えた火との格闘がある。

焼成後のホワイトエナメル文字盤

焼成後のホワイトエナメル文字盤。4層目のエナメルを焼成する際は、少し長めに炉に入れる。4層重ねた後、カーボンの塊を押し当てて、銅製文字盤のゆがみを正す。

エナメルを焼成した際に生じた表面の気泡を削り取る様子

エナメルを焼成した際に生じた表面の気泡を削り取る様子。そこに粉末状のホワイトエナメルを追加、再度焼成して表面の気泡を修正する。

 さらに興味深いのは、文字盤の表側だけにエナメルを施すわけではないことだ。銅製地板では裏側にも釉薬を載せて焼成する。片面だけを高温で焼けば、エナメルと金属の収縮率の違いによって地板が反ってしまうからだ。表裏の張力を釣り合わせながら、表面には複数の層を重ねる。わずか数cmの文字盤の中に、素材の膨張と収縮まで計算に入れた経験則が凝縮されている。

「色」だけではないフランケエナメルが放つ審美性

 そして、今回の「ロレアート フィフティ」を理解するうえで重要になるのが、フランケエナメルである。

ロレアート フィフティ 39mm

ドンツェ・カドランで製作されたジラール・ペルゴの新作「ロレアート フィフティ 39mm」のブルーエナメル文字盤。文字盤の地金にクル・ド・パリ装飾を施した後、ブルーエナメルを施したフランケエナメル技法を採用している。

 フランケエナメルは、金属製の地板にギヨシェなどの装飾を施し、その上から半透明のエナメルを重ねる技法だ。ドンツェ・カドランでは、求める色調に応じて銀や金などの地板を使い分ける。取材時には「銀は青との相性が良い」という説明もあった。

 つまり、フランケの色彩を作っているのは釉薬だけではない。

 エナメル層を通過した光が、その下にある金属と装飾に当たり、再びエナメルを通って目に届く。地金の種類、そこに刻まれた模様、その深さ、エナメルの色と透明度、さらには焼成後の研磨。それらが重なって、初めてひとつの色が完成するのである。

 焼成後の工程も簡単ではない。エナメルが厚過ぎれば、時計に組み込んだ際に破損する危険性が高まる。そのため表面をダイヤモンド研磨材で削り、厚さと平面を整える。さらに研磨痕を消すため、再び約800℃の炉に入れて表面をわずかに溶融させる。磨いて終わりではなく、最後にもう一度「火」を使って光沢を取り戻すのである。


エナメルの下で光を操るクル・ド・パリ

 こうしたドンツェ・カドランの技術を知ったうえで「ロレアート フィフティ」のブルー文字盤を見ると、その印象は大きく変わる。

 2026年に発表された39mmのブルーエナメル仕様、Ref.81008-11-3530-1CMは、ロレアートとして初めて、クル・ド・パリ装飾の上にブルーエナメルを施したモデルだ。

ジラール・ペルゴ「ロレアート フィフティ 39 MM」

ジラール・ペルゴ「ロレアート フィフティ 39 MM」Ref.81008-11-3530-1CM
2025年に「ロレアート」コレクション誕生50周年を記念して発表された「ロレアート フィフティ」の2026年の新作。写真は、クル・ド・パリ装飾の上にブルーエナメルを施した文字盤を持つモデル。自動巻き(Cal.GP4800-2605)。19石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。SSケース(直径39.00mm、厚さ10.20mm)。150m防水。343万2000円(税込み)。

 一見すると、おなじみのブルー文字盤のロレアートにも思える。しかし光を当てると、通常のラッカー文字盤とは明らかに違う。

 半透明のブルーエナメルの下から、クル・ド・パリのピラミッド状のパターンが浮かび上がる。それぞれの斜面が異なる角度で光を受けるため、ある部分は鮮やかな青に輝き、別の部分は濃紺に沈む。時計をわずかに傾けただけで、その明暗が文字盤の上を移動する。

 エナメルそのものが光っているように見えるのは、光が表面だけで反射しているのではなく、半透明の層を通過し、その下の立体的なパターンと作用しているからだ。すなわち、半透明エナメルとテクスチャーの相互作用によって、光の変化に応じブルーの色調が絶えず変化するのだ。

なぜブルーエナメルだけが「ノンデイト」なのか?

 もうひとつ、このモデルで見逃せないのが日付表示を持たないことだ。

 同時に登場した39mmの18Kゴールド製クル・ド・パリ文字盤仕様には3時位置にデイト表示がある。一方、ブルーエナメル仕様は時・分・センターセコンドのみ。リリースにも、自社開発ムーブメントCal.GP4800-2605を搭載し、163部品のノンデイト仕様と明記されている。

ジラール・ペルゴ「ロレアート フィフティ 39 MM」

左は18Kソリッドゴールド製クル・ド・パリ文字盤を備えた「ロレアート フィフティ 39 MM」Ref.81008-11-3627-1CM。右の「ロレアート フィフティ 39mm」ブルーエナメル文字盤モデルとは異なり、3時位置に日付表示を持つ。自動巻き(Cal.GP4800-2429)。19石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約60時間。SSケース(直径39.00mm、厚さ9.80mm)。150m防水。322万3000円(税込み)。

 これは結果として、ブルーエナメル文字盤の魅力をより際立たせている。

 クル・ド・パリの連続したパターンをデイト窓が分断しないため、文字盤全体に青い光の面が広がるのだ。八角形ベゼル、円形のベース、トノー型ケース、インテグレーテッドブレスレット。異なる面の仕上げによって光を操ってきたロレアートの造形に、エナメル文字盤という新たな「光の層」が加わったとも言える。

伝統技法を現代のロレアートへ

 ケース径は39mm、厚さ10.20mm。150mの防水性能を確保する。搭載する自動巻きCal.GP4800-2605は直径25.60mm、厚さ4.28mm、毎時2万8800振動で、パワーリザーブは約60時間。18Kピンクゴールド製のローターに加え、ロレアート フィフティでは同素材のテンプ受けを採用した。

Cal.GP4800

「ロレアート フィフティ」のためにジラール・ペルゴが自社開発した自動巻きムーブメントCal.GP4800。ジラール・ペルゴを象徴するスリー・ブリッジに着想を得た3つの受けが特徴的。シリコン製脱進機と、緩急針を廃したフリースプラングテンプを採用し、現代的な設計に刷新された。18Kピンクゴールド製テンプ受けとローター、10種類の仕上げによって、機能性と審美性を両立した。

 しかし、この時計を腕に載せたとき、まず目を引くのはスペックではなく、やはり文字盤だろう。

 エナメルは決して新しい技法ではない。ドンツェ・カドランで目にした製作工程には、機械化や自動化とは異なる時間が流れていた。職人が釉薬を砕き、洗い、地板に載せ、炉の中を見つめる。焼成しては状態を確認し、磨き、必要なら再び火に入れる。

 一方、ロレアートは1975年、クォーツ式という当時最先端の技術を搭載して誕生した時計である。2026年の「ロレアート フィフティ」は、そのモダンな造形の中に、何世紀も前から受け継がれてきたエナメルという極めてアナログな技法を取り込んだ。

釉薬を乳棒で細かくすりつぶす様子

乳鉢に入れたブルーエナメルの原料となる釉薬を乳棒で細かくすりつぶす様子。

文字盤の地金にブルーエナメルの釉薬を塗布する工程

クル・ド・パリ装飾を施した18Kソリッドゴールド製文字盤の地金にブルーエナメルの釉薬を塗布する工程。

釉薬を塗布した文字盤を炉に入れて焼成する工程

ブルーエナメルの釉薬を塗布した文字盤を炉に入れて焼成する工程。

 だからこそ、このブルー文字盤は単なるカラーバリエーションではない。

 規則正しく並んだクル・ド・パリという幾何学的な造形と、火の加減ひとつで結果が変わり、ひとつとして完全に同じものが生まれないエナメル。そのふたつを重ね合わせることで、ロレアートという時計がもともと持っていた「光を造形する」という性格を、さらに一段深いものにしたのである。

 ル・ロックルの小さな工房で見た、炉の前に立つ職人の姿。その手仕事を知れば、ロレアートの文字盤に宿る青は、もう単なる「ブルー」には見えない。そこに閉じ込められているのは、釉薬と金属、そして火を相手に積み重ねられてきた、ドンツェ・カドランの半世紀を超えるサヴォアフェールなのである。



Contact info:ソーウインド ジャパン Tel.03-5211-1791


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