1989年のプロデビューから1996年の引退までに25戦24勝という輝かしい戦績を残し、日本人初の世界ミドル級王者となった竹原慎二。「ガチンコ!ファイトクラブ」の鬼コーチとして一世を風靡し、2014年には膀胱がんの宣告を受けながらも闘病を乗り越えた。54歳の今もゴルフを楽しみ、SNSで発信を続ける元世界王者の腕元で時を刻むのは、ロレックスの「ヨットマスターⅡ」だ。

Text by Yukaco Numamoto
編集:土田貴史
Edited by Takashi Tsuchida
[2026年10月11日掲載記事]
54歳の今もSNSで等身大の姿を発信
竹原慎二は2026年7月、自身のインスタグラムに「シーパップ外来&健康診断&ビタミン注射 皆さん健康第一」と綴った。睡眠時無呼吸症候群の外来受診に健康診断、ビタミン注射と、多方面から自身の体をケアする様子に、ファンからは「お体大切にしてください」「素敵ですね!まだまだお若い!元気にまたTVに出て欲しいです」「お大事になさってくださいませ」と、健康を気遣うコメントが多数寄せられた。
インスタグラムには、日常の様子や交友関係がうかがえるプライベートショットも数多く並ぶ。自宅のウッドデッキの完成報告をはじめ、自ら組み立てた物置の前でポーズを決める姿やゴルフのアイアンを素振りする様子、居酒屋で一人のんびりと過ごした日のセルフィー、ゴルフ場でのラウンド写真など、その素顔は実に多彩だ。YouTubeでは、東京ドームで行われた井上尚弥と中谷潤人の世界4団体統一スーパーバンタム級王座戦を、渡嘉敷勝男、畑山隆則とともに振り返る感想戦も公開。SNSに動画配信、解説と、今なお第一線で幅広く活躍する姿に注目が集まっている。
一方で、YouTubeチャンネル「竹原テレビ」では、キーボードのブラインドタッチが苦手であることも明かしている。自身を隠さず、等身大の姿を見せてくれる元世界王者に、今も憧れ続けるファンは多い。
竹原慎二が愛される理由
竹原の名を一躍お茶の間に広めたのが、「ガチンコ!ファイトクラブ」だ。不良と呼ばれる若者たちを、ボクシングを通じて更生させ、プロボクサーに育て上げる内容で、3年にわたり番組の看板企画となった。放送で見せたコワモテの鬼コーチぶりと、広島弁まじりの飾らないトーク。その一方で、家族思いで大の犬好きという素顔を番組やSNSでのぞかせており、そのギャップが視聴者を和ませてきた。
1997年3月9日に結婚し、長男、長女と、2人の子どもに恵まれた。インスタグラムでは娘の22歳の誕生日や大学の卒業式、入社式といった家族の節目を公開し、父親としての顔を見せている。愛犬のカニンヘンダックスフンド・パピコを溺愛しており、長女が飼うマルプー(マルチーズ×プードル)のガジュマルとともに、投稿にもたびたび登場する。
自身のYouTubeチャンネルでも、新たな企画に積極的に挑戦してきた。ボクシングの枠にとどまらず、K-1王者やキックボクサー、総合格闘家、さらにはシバターなどの炎上系YouTuberまで、ジャンルを問わないスパーリング対決や対談コラボにいち早く取り組んできたのだ。多くの格闘家がSNSを通じて活躍する今、竹原はその先駆けとも評される存在となっている。
元WBA世界ミドル級王者・竹原慎二とは?
竹原慎二は1972年1月25日、広島県安芸郡府中町に生まれた。父はボクシングジムを経営する元ボクサー、母は焼肉店を営んでいた。小中学校時代は柔道部に所属しながらもケンカに明け暮れ、周囲に迷惑をかけてばかりの日々。そんな息子に父は「正々堂々ボクシングで勝負しろ」と言い聞かせたという。中学卒業後は就職するも長続きせず、職を転々とするなかで「このまま広島にいてはいけない」「自分はどんな人間になるのか」と考え始める。そして父の勧めに従い、1988年、16歳で単身上京。沖ジムの門を叩いた。
ボクシングで生計が立つまでは、内装会社で働いた。同社の社長は仕事を与えてくれただけでなく、練習のために残業をしなくてもよいと許可してくれたり、嫌なことがあってボクシングを辞めようとした時には引き留めてくれたりと、竹原にとって大恩人だった。また竹原は、ボクシングを始めるきっかけをくれた父が、プロデビュー後の全25戦を観戦してくれたとも語っている。
そうした周囲の支えを受けながら、1989年のデビュー戦をKOで飾ると快進撃を続け、19歳で日本王座、21歳で東洋太平洋王座を無敗のまま獲得した。
竹原が最も思い出深い一戦として挙げるのが、世界王座を奪取した試合だ。1995年12月19日、後楽園ホールでWBA世界ミドル級王者ホルヘ・カストロ(アルゼンチン)に挑戦。100戦を超えるキャリアで一度もKO負けのない王者から3ラウンドにダウンを奪い、3-0の判定勝ちで日本人初の世界ミドル級王者に輝いた。誰もがタイトル奪取は無理だと思っていたなか、「勝って見返してやる」「変えてやる」という思いがあったからこそ頑張れたと振り返っている。
しかし翌1996年、初防衛戦でウィリアム・ジョッピーに敗れて王座から陥落。その後、網膜剥離が判明し、現役引退を決意した。実は最終戦の時点で左目はほとんど見えておらず、対戦相手が突然視界から消えるような感覚だったという。通算戦績は25戦24勝(18KO)1敗。唯一の敗戦が、そのまま現役最後の試合となった。
引退後はタレントとして、バラエティ番組のほかドラマや映画、CMにも数多く出演。しかし2014年、膀胱がんが見つかり、早ければ余命1年と宣告される。妻の香織さんはフォースオピニオンまで受けて納得のいく医師と治療法を探し、転院を決断。抗がん剤治療に臨む竹原を、温活ケアを中心に献身的に支えた。竹原は2015年に出演した「徹子の部屋」で妻への感謝を語っている。闘病という経験を通じて、家族の絆はいっそう深まったという。
闘病を経て、「人生には終わりが来る。でも、それがいつかは誰にもわからない。だったら、笑って前向きに生きたほうがいい」と考えるようになった竹原。現在はYouTubeやTikTokへと活躍の場を広げ、畑山隆則と共同経営する「竹原慎二&畑山隆則のボクサフィットネスジム」の会長、府中町PR大使も務めるなど、充実した日々を送っている。
ロレックス「ヨットマスターⅡ」を愛用中
そんな竹原は、シングル入りを目指して月例杯にも参加する、大のゴルフ好きでもある。普段は186cmの長身に映えるゴルフウエアや、ジムウエアなどのラフなカジュアルスタイルが中心だが、その腕元に注目すると、存在感のある一本の腕時計が目に留まる。
この画像で竹原が着用しているのが、ロレックス「ヨットマスターⅡ」だ。インスタグラムへの初出は2021年12月10日。以降も2022年9月18日、2024年10月8日、そして2026年10月4日の投稿で着用が確認できることから、日常的に身に着けているお気に入りの一本と思われる。ラフな装いにもよくなじみ、腕元で程よいアクセントとなっている。画像によるディテールから、モデルはRef.116681と見られる。
ヨットマスターⅡは、2007年に登場したヨットレース(レガッタ)のための本格派モデルだ。最大の特徴は、スタート前のカウントダウンを最大10分までプログラムできるメカニカルメモリー付きのレガッタクロノグラフ機能と、ベゼルを回して各種設定を行う独自の「リングコマンドベゼル」にある。
ヨットレースでは、スタートの数分前(通常は10分前や5分前)に予告信号が鳴る。各艇は号砲と同時に最適な位置と速度でスタートラインを通過するため、残り時間を正確に把握しなければならない。そこでカウントダウン針は1分単位で時を刻む。カウントダウンの分数(1~10分)は、ベゼルを約90度回した状態でリュウズを操作して設定し、記憶させる仕組みだ。一度設定すれば、リセットすれば同じ分数からすぐにカウントダウンをやり直せるため、レース本番でも迷わずスタートに備えられる。
ケースサイズは44mmと大振りだが、長身の竹原には収まりがいいことが、数々の写真からよく分かる。
なお、2026年に発表された新型ヨットマスターⅡ(Ref.126680)では、リングコマンドベゼルが廃止され、下側のプッシャーだけでカウントダウンを直感的に設定できるようになった。カウントダウン針は反時計回りに動き、残り時間が視覚的に分かりやすくなっている。搭載ムーブメントは新開発のCal.4162。約72時間のロングパワーリザーブを備え、クロナジー エスケープメントの採用により耐磁性も高められている。からくり満載のマニア好みだったCal.4161から、新開発のCal.4162を得て、ヨットマスターⅡはより実用性の高いタイマーモデルへと進化したといえる。
スタートの号砲へ向けて、刻一刻と残り時間を示すカウントダウン機能を備えたヨットマスターⅡ。ゴング、ラウンド、テンカウント――竹原はリングの上で常に「時間」と闘ってきた。そして引退後は、病と余命宣告という過酷な「時」とも向き合ってきたのである。世界の頂点に立ち、網膜剥離による引退、そして大病という逆境を経てなお、YouTubeやジムで「元気をなくした人たち」にエールを送り続ける不屈の生き方は、荒波に挑むヨットマンのための時計と深く共鳴する。余命宣告からすでに12年。これからもその腕元でヨットマスターⅡが刻む時間とともに、多くの人に勇気を与え、ボクシング界を盛り上げ続けてくれることを期待したい。

自動巻き(Cal.4161)。42石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約72時間。SS×18KERGケース(径44mm、厚さ13.9mm)。100m防水。※生産終了モデル



