松井秀喜監督の腕時計はフランク ミュラー? 就任会見で着用した「コンキスタドール クロノグラフ」

24年前、笑顔を見せることなく去った場所へ、今度は満面の笑みで帰ってきた。2026年10月23日、読売ジャイアンツの第21代監督として就任会見に臨んだ松井秀喜は、恩師・長嶋茂雄氏が初めて監督に就任した際の背番号「90」を背負い、「新たな黄金時代」を掲げた。その腕元に光っていたのは、スペイン語で「征服者」を意味する名を持つ、フランク ミュラーのクロノグラフ。“ゴジラ”の新章を共に刻む1本に迫る。

写真提供:ロイター/アフロ
2026年10月23日の就任会見。「私は長嶋茂雄にはなれません」と語りながらも、選んだ背番号は長嶋氏が第1次政権で背負った「90」。奇しくも、存命であれば恩師は今年90歳を迎えるはずだった。身にまとったスーツも、2013年に師弟で国民栄誉賞を受賞した際と同じものだった。
文:沼本有佳子
Text by Yukaco Numamoto
編集:土田貴史
Edited by Takashi Tsuchida
[2026年11月8日掲載記事]


24年ぶりに巨人へ。“ゴジラ”松井秀喜監督、誕生の瞬間

 2026年10月23日、都内のホテル。読売ジャイアンツの第21代監督に就任した松井秀喜は、山口寿一オーナーとともに会見の壇上に立った。約120人の報道陣が詰めかけ、テレビでも生中継された会見では、まず山口オーナーから、契約期間は3年、背番号は「90」で、30日に始まる秋季練習から指揮を執ることが発表された。

 マイクを渡された松井新監督は、集まった報道陣を見渡し、万感の思いを込めてこう切り出した。

「今日、ここに来るときに今から24年前、自らの意志でジャイアンツを去るときのことを思い出して、あの日は全く笑顔を出すこともできませんでしたが、今日は満面の笑顔で、自分の故郷に戻ってきたつもりです」

 2002年11月1日、メジャーリーグへの挑戦を表明し、ファンに惜しまれながら海を渡った“ゴジラ”。それからちょうど24年の節目を迎えるこの秋、今度は監督として古巣へ帰ってきた。かつて苦渋の決断を下した場所で見せた晴れやかな笑顔に、会場の空気は温かな祝福から、熱い期待へと変わっていった。

 これほどまでに松井監督に注目が集まる背景には、恩師であり、日本のプロ野球の象徴でもあった長嶋茂雄氏との「約束」の物語がある。

 2025年6月3日、長嶋氏がこの世を去った。悲報を受けた松井秀喜はニューヨークから駆けつけ、田園調布の長嶋邸で恩師の亡骸を前に、ふたりきりの静かな時間を過ごしたという。その後に語った「生前に長嶋さんと約束したことがある。その約束を果たしたい」という言葉は、大きな反響を呼んだのだ。

 就任会見で約束の中身について問われると、松井監督は「私と長嶋さんだけのもの」と述べるにとどめ、多くを語らなかった。それでも、ファンが今回の監督就任にその「約束」の答えを重ねたのは、自然なことだろう。そうした見方を後押しするかのように、この日の装いにも恩師の気配が色濃く漂っていた。

 一方で、松井監督は「私は長嶋茂雄にはなれません」とも語っている。偉大な恩師の背中を誰よりも近くで見つめてきたからこそ、その教えを受け継ぎながらも、模倣ではなく自らのスタイルでチームを率いる。そんな決意の表れだろう。さらに「V9以降、日本一連覇がない」と現状を見据えたうえで、「新たな黄金時代が訪れるよう、今日ここからスタートしていきたい」と力強く所信を表明した。


“ゴジラ”の愛称で親しまれた松井秀喜のこれまでの歩み

 1974年、石川県に生まれる。中学入学時点で170cm・95kgという恵まれた体格の持ち主だった。星稜高校時代には甲子園に4度出場。3年夏の明徳義塾戦で受けた5打席連続敬遠は、いまも高校野球史の伝説として語り継がれている。1992年のドラフト会議では4球団が競合し、当時の長嶋茂雄監督が当たりくじを引き、巨人に1位で入団した。

 巨人では不動の4番打者として君臨し、リーグMVPを3度、本塁打王と打点王を各3度、首位打者を1度獲得。2002年には50本塁打を放ち、球界を代表するスラッガーとして名を馳せた。

 2003年にヤンキースへ移籍。2009年のワールドシリーズでは日本人初のMVPに輝き、チームの世界一に貢献。2012年に現役引退を表明し、翌2013年には長嶋氏とともに国民栄誉賞を受賞。引退後はヤンキースのGM付特別アドバイザーとして選手の指導に携わり、今年2月には2026年WBCに向けた侍ジャパンの宮崎合宿を訪れるなど、日本球界との関わりも深めてきた。そして10月、第21代監督として巨人に帰還したのである。


就任会見の腕元に光った、新指揮官の腕時計

 晴れの舞台となった就任会見で、松井監督が選んだのはダークネイビーのスーツにネクタイを締めた端正なタイドアップスタイル。実はこのスーツ、2013年に師弟揃って国民栄誉賞を受賞した際にまとったものと同じ一着である。恩師との思い出が詰まった特別な装いで、松井監督は新たな門出の場に立ったのだ。

 その袖口からのぞいていたのが、フランク ミュラーの腕時計だ。会見写真に写る腕元のクローズアップを見ると、優美な曲線を描くトノーケースに、段差のついた特徴的なベゼル、そしてケースサイドに配されたクロノグラフのプッシャーが確認できる。これらの特徴から、着用モデルは「コンキスタドール クロノグラフ」(Ref.8002系)と推定される。ダークスーツに映え、控えめに輝きながらも、確かな存在感を放つ一本だ。

 Ref.8002CCは自動巻きムーブメントを搭載したクロノグラフモデルで、ケース素材にはイエローゴールドやローズゴールドといったゴールド系のほか、ステンレススティール仕様も展開されてきた。写真を見る限り、松井監督の1本は18Kイエローゴールドケースと推察される。なお、SNSの一部では長嶋氏が所有していた時計だとする声も上がっているが、真偽は定かではない。

就任会見で松井監督の腕元にのぞいたフランク ミュラー。トノーケースに段差のついた二層ベゼル、ケースサイドのクロノグラフプッシャーから「コンキスタドール クロノグラフ」と推定される。


伝統を受け継ぎ、進化を遂げた「コンキスタドール クロノグラフ」

 コンキスタドールは、フランク ミュラーの象徴であるトノウ カーベックスの進化形として誕生したコレクションだ。その名はスペイン語で“征服者”を意味し、そこには「時計の新時代を切り開く」という思いが込められている。

 最大の特徴は、ベゼルにステップを設けた二層構造にある。トノウ カーベックスの流麗なフォルムを受け継ぎながらも、立体的なエッジがスポーティーな表情を際立たせる。ダイアルも、より現代的なデザインに仕上げられている。ポリッシュ仕上げのケースは2段階の膨らみを持つトノー型で、縦48.5mm×横34.5mmという存在感のあるサイズながら、腕に沿う優れたフィット感を実現している。

 「時計の新時代を切り開く」。そんな思いを名に託した時計は、会見で「新たな黄金時代」を掲げた松井監督の姿と見事に重なり合う。2層構造のベゼルが、伝統あるトノウ カーベックスの系譜を受け継ぎながら現代的に刷新された意匠であるように、松井監督もまた、恩師が背負った「90」をその身にまといつつ、「私は長嶋茂雄にはなれません」と語り、自らの野球を築こうとしている。過去の栄光をなぞるのではなく、次代のスタンダードを切り拓く。その歩みは、まさに“征服者”のそれだろう。袖口からのぞくクロノグラフは、3年契約で幕を開けた新政権の時間を、1秒1秒、確かに刻み始めている。

 かつて日本中を熱狂させた“ゴジラ”が、今度は指揮官として東京ドームのベンチに帰ってくる。秋季練習から始動した松井巨人は、新たな黄金時代へ向けてどんな航跡を描いていくのか。その船出を、腕元のタイムピースが静かに見守っている。

フランク ミュラー「コンキスタドール クロノグラフ」※ケース素材が異なる参考品
自動巻き。SSケース(縦48.5mm×横34.5mm)。日常生活防水。




Contact info: フランク ミュラー ウォッチランド東京 Tel.03-3549-1949


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