急進する文字盤の製造技法 (前編)

FEATURE本誌記事
2019.10.24

ムーブメントやケースの開発が一段落した現在、時計メーカー各社はデザインと文字盤の仕上げを競うようになった。近年、S.I.H.H.やバーゼルワールドで、必ず新しい仕上げの文字盤を見るようになった理由だ。しかし、文字盤の表現がここまで多彩になったのは、たかだか30年のことに過ぎない。果たして今、文字盤開発の最前線では、一体何が起こっているのか。その歴史を振り返りつつ、最新の情報も現場からお届けする。

写真:三田村優、吉江正倫 Photographs by Mitamura Yu, Yoshie Masanori
文:広田雅将 Text by Hirota Masayuki
[クロノス日本版 2015年5月号初出]

文字盤表現技法概論

いわば時計の“顔”である文字盤は、時計にとって極めて重要な要素だ。しかし、これまでこの世界で重視されて来なかったことは、その資料が極めて少ないことからも想像できる。ただし、どういう経緯をたどって発展してきたかを、大きくつかむことは可能だ。ここでは、文字盤の量産が可能になった19世紀末から、1960年代までの流れを概論として述べたい。

Ref.3403

パテック フィリップ Ref.3403
1910年代から60年代までのパテック フィリップに見られるのが、ロゴなどの盛り上がった、いわゆる「エナメル象眼」の文字盤である。製造は当時、パテック フィリップの兄弟会社であったスターン兄弟社(現スターン・クリエーション)による。自動巻き。18KYG(直径30.5mm)。非防水。280万円。問シェルマン銀座店☎03-5568-1234
Ref.5196

パテック フィリップ Ref.5196
盛り上がった過去の文字盤の印字に対して、現行品は繊細な仕上げに特徴がある。電着塗装を用いた印字は、平たく、明瞭な表現を持つ。少し艶を抑えたクリアも、今の高級機らしい。製造は関連会社のフルッキガー。手巻き。18KWG(直径37mm)。3気圧防水。233万円。問パテック フィリップ ジャパン・インフォメーションセンター☎03-3255-8109

 時計業界が文字盤の量産に成功したのは、19世紀末のことである。この時代に、インクを転写する手法(デカルク)が開発され、安価な時計に用いられるようになった。1910年代になると、この手法はいよいよ普及し、手間のかかるエナメル文字盤を駆逐するに至った。現在、時計の文字盤はほとんどが真鍮製になったが、それは印刷技術がもたらしたものだったのである。

 ただかつては、デカルクを使わない高価な文字盤も存在した。ひとつがエナメルであり、もうひとつが、パテック フィリップの用いた、いわゆる「エナメル象眼」である。

 最近、後者の製法が明らかになったので、少し述べたい。エナメル象眼の文字盤は、ベースに真鍮ではなく銀を使う(ただ筆者の知る限り、金も存在した)。ベースの厚みは0.5から0.6㎜と、現在の標準よりかなり厚い。厚みを持たせた理由は、色を流し込む部分を、彫金師が彫り込むためである。その深さは、おそらく0・2㎜か0・3㎜だろう。彫金師が文字を彫り込んだ後、エナメル職人がそこにエナメルを流し込み、約900℃で焼き固める。

 900℃は、銀の融点に近い。そのため、表面に不純物が浮かび上がってくる。それらをエメリー布で浅く削ると、ベースの完成になる。資料には10分の1㎜削るとあるからかなりの厚みだ。

 そこに筋目やバフ仕上げを施し、ラッカーで覆うと文字盤の完成だ。ちなみに今年、グルーベル フォルセイもこの手法を文字盤に採用した。おそらく彼らも、同じ資料を読んだに違いない。

古いパテック フィリップの文字盤2例。
(左)1960年代の文字盤。「エナメル象眼」をやめたパテック フィリップは、60年代以降、強い筋目を施した文字盤を使うようになった。この時代の文字盤らしく、表面に吹かれたクリアはやや強めだ。左右の文字盤ともにシェルマン銀座店所蔵。
(右)「エナメル象眼」文字盤の好サンプル。銀の板を手作業で彫り、そこにエナメルを入れて約900℃で焼き上げる。表面が荒れるので軽く剥いて、表面から厚くラッカーをかけると完成だ。独立時計師の浅岡肇氏曰く、「クリアとして使われたのは、おそらくニトロセルロース」。独特の質感を持つが、数十年の時を経て、製造時の状態を維持するのは難しい。そのため、かつてのパテック フィリップで、文字盤のコンディションが優れたものはあまり見当たらない。

 ただし、この資料には、重要な点がひとつ抜けている。当時のパテック フィリップは、保護用のラッカーに何を用いたのか、だ。当時のパテック フィリップが使っていた文字盤は、とろりとした独特の質感を放つ。それは今のクリアにはないものだ。

 独立時計師の浅岡肇氏は「おそらく彼らが使っていたのは、ニトロセルロース」ではないかと推測する。耐候性に弱く、容易にひびが入ることを考えれば、それが正解だろう。

 筆者の知る限り、この文字盤を作っていたのは、当時、パテック フィリップの兄弟会社であったスターンのみだった。しかし同社は、この手法を1960年代にはやめてしまった。理由は推測するしかないが、あまりにもコストがかかりすぎたため、そして真鍮のベースの上に、きちんと銀メッキを施せるようになったため、だろう。

ゾディアック

ゾディアック
1950年代から60年代にかけてのスマッシュヒット。その多彩な機能に加えて、艶のある黒文字盤は、アメリカ市場で人気を博した。しかし、これ以降、ロレックスを例外として黒いラッカー文字盤の採用は途絶えてしまった。その復活は2000年代半ばまで待たねばならない。自動巻き。SS(直径34mm)。非防水。個人所蔵。

1950年代以降、ロレックスに触発された中堅時計メーカーも黒いラッカー文字盤を使用した。とりわけ、この手法を好んだのがゾディアックだ。この文字盤は下地に銀メッキを敷き、その上に黒いラッカーをかけたもの。繊細な印字と鮮やかな黒を両立している。ただし、この時代のラッカーは質が良くないため、原形を留めているものは稀だ。

 1950年代後半、強い筋目を施した銀メッキ文字盤が普及するようになった。これは明らかにパテック フィリップを意識したものだが、筋目は機械で施された。それを示すのが、文字盤の中心から広がった模様だ。これは硬い金属ブラシにベースを当てて付けたものだ。パテック フィリップだけでなく、さまざまなメーカーも使うようになった。

 なお、この時代、各社が印字に用いたのは油性エナメルであり、クリアも同様であった。ロレックスのミラー文字盤が、いわゆるエナメル塗装の好例だろう。これは独特の艶を持つが、やはり耐候性には難があった。しかも、スイスのメーカーはごく浅くクリアを吹くため、この時代の時計は、すぐに文字盤が劣化した。

 対して、日本のメーカーは、一貫して耐候性を高めようと試みてきた。その結果が、分厚いクリアである。また、諏訪精工舎に至っては、文字盤とクリアの間にガラス質のコーティングを加えて、文字盤を保護しようと試みた。もっとも、これらは質感の点では、必ずしも良い結果をもたらさなかった。

 変化が訪れたのは1980年代以降のこと。環境に対する制限が厳しくなった結果、文字盤に使う塗料も見直しが図られたのである。以降、塗料の質は飛躍的に改善され、それは文字盤に極めて優れた耐候性と、かつては想像もできなかった新しい表現をもたらすことになった。