古典を革新する力 ブレゲ「クラシック」(前編)

FEATURE本誌記事
2022.12.06

アントワーヌ・レピーヌから薄いキャリバーを引き継いだアブラアン-ルイ・ブレゲは、1780年代以降、時計のスタイルをまったく新しいものに進化させていった。文字盤全面に施されたギヨシェ彫り、視認性に優れるローマ数字のインデックス、そしてひと目で分かる通称「ブレゲ針」などなど……。その集大成とも言えるのが、今のブレゲの「クラシック」コレクションだ。優れた意匠を踏まえつつ、丁寧にアップデートするという営みは200年前にブレゲ本人が目指したものと、何ひとつ変わっていない。

クラシック 7337

奥山栄一:写真 Photographs by Eiichi Okuyama
菅原茂、広田雅将(本誌):文 Text by Shigeru Sugawara, Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2023年1月号掲載記事]


CLASSIQUE 7337

ブレゲを象徴するアイコンのひとつが、19世紀初頭の懐中時計をモチーフとした通称「エキセントリック」である。1986年以来、多くの時計愛好家を魅了してきたこの傑作が、2022年に再び進化を遂げた。モディファイを行ったのは、なんとブレゲCEOのリオネル・ア・マルカ本人。彼はどんなブレゲらしさを、本作に盛り込んだのか?

クラシック 7337

古典的な造形を今に継承するモデル。基本は既存の「クラシック 7337」に同じだが、仕上げがより繊細になった一方で、デザインは簡潔になった。注目すべきはスモールセコンドのインデックス。立体的なギヨシェ彫りの上に、何とプリントで印字を施している。自動巻き(Cal.502.3 QSE1)。35石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約45時間。18KWG(直径39mm、厚さ9.9mm)。3気圧防水。591万8000円(税込み)。

 機構だけでなく、デザインでも時計の世界を変えたブレゲ。そんな同社ならではのモデルが、文字盤の12時位置にムーンフェイズを置き、左に曜日を、右に日付表示を置く通称「エキセントリック」だ。写真の「クラシック 7337」はその最新モデル。とはいえ、そのデザインは、1823年に販売されたクォーターリピーター「No.3833」や、31年の複雑時計「No.4691」に範を取っている。ブレゲは1986年にこのデザインを腕時計に採用して以降、時間をかけて熟成させてきた。2009年には直径を拡大し、スモールセコンドを加えたクラシック 7337にモデルチェンジ。20年にはガルバニック処理による鮮やかなブルー文字盤を採用。そして22年には、さらに文字盤の仕上げを改めた。

クラシック 7337

クラシック 7337
新作「クラシック 7337」の18Kローズゴールドモデル。「色を分けて視認性を重視した」とブレゲCEOのリオネル・ア・マルカが語る通り、曜日や日付の視認性は優れている。文字盤全面に施されたギヨシェ彫りにより、強い光源下でも文字盤が白濁しない。自動巻き(Cal.502.3 QSE1)。35石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約45時間。18KRG(直径39mm、厚さ9.9mm)。3気圧防水。591万8000円(税込み)。

 イニシアチブを取ったのは同社CEOのリオネル・ア・マルカだ。フレデリック・ピゲやETAなどを経て、スウォッチグループ内の品質管理や生産ラインの改善などに携わってきた彼は、19年にグループ全体のシニアマネージメントチームに抜擢され、ブレゲ ブランドに加え、文字盤製造会社であるモム・レ・ペレも担当した。つまりブレゲは、ムーブメントだけでなく、外装も分かる人間をCEOに抜擢したのである。新しいクラシック 7337は、そんな彼の知見が遺憾なく発揮された新作だ。

「今回のモデルは文字盤の中心にマイクロギヨシェを採用しました。これは2021年のトゥールビヨン220周年モデルに採用した仕上げですね。またムーンフェイズの外周のギヨシェもグレンドルジュ仕上げに改めました。今までは、それぞれの表示の周りにギヨシェを加えましたが、今回は省きました。よりオリジナルのブレゲに忠実にという理由です」。なるほど、同じクラシック 7337であっても、ギヨシェを減らした結果、デザインはより簡潔になっている。

リオネル・ア・マルカ

リオネル・ア・マルカ
ブレゲCEO。1967年、スイス生まれ。ポラントリュイのEHMPにおいて時計師としての教育を受けた後、ジュウ渓谷のさまざまな時計メーカーで経験を積む。92年、スウォッチ グループの傘下となったフレデリック・ピゲに入社。後にETAへ転籍。その後、グループ内でコンサルタントとして活躍したほか、ブランパンでも開発責任者を務めた。2019年にスウォッチ グループ全体のシニアマネージメントチームに抜擢され、21年より現職。

「ブレゲのポケットウォッチは、マーク A. ハイエックのオフィスやパリのブレゲミュージアムで実際に見ました。その経験が私のベースにはあります。例えば、昨年発表した220周年記念のトゥールビヨン。これを手掛けるに当たって、アブラアン-ルイ・ブレゲはなぜこういったデザインをしたのかを考えたのです。重要なのは、原点に戻った作品を作ることですね」

 シンプルを目指すとはいえ、その仕上げは従来に増して細やかだ。一例がスモールセコンドのインデックスの印字。これは凹凸のあるギヨシェに直接印字を載せたものだ。普通は平らな面に施すが、ブレゲはあえて凹凸面に印字を施したのである。筆者の知る限り、現行品でこうした仕上げを採用したものはほぼない。

「文字盤製造に携わる人たちはみんな嫌がりましたよ(笑)。印字を平らな面に載せるわけではないですからね」

 文字盤中心のマイクロギヨシェも、わずか0.25mmの厚みで、きちんと刻みを見せている。しかも、エッジもきちんと残っている。ブレゲのお家芸であり、アイコンであるギヨシェ。リオネル・ア・マルカが注力するのには理由があった。

「なぜアブラアン-ルイ・ブレゲが文字盤装飾にギヨシェを選んだと思いますか?もちろん仕上げを変えることで、デザインのアクセントにするのが理由のひとつ。しかし、実用的な理由もあったのです。ギヨシェとは、この時代の無反射コーティングだったんですよ」。プロダクトマネージャーではなく、まさかブレゲのCEOから、ブレゲ本人がギヨシェを選んだ理由を聞くとは予想もしていなかった。

アブラアン-ルイ・ブレゲ

ブレゲCEOのリオネル・ア・マルカが私淑するのは、ブランド創設者のアブラアン-ルイ・ブレゲ(1747-1823年)である。時計の歴史を2世紀早めたと称される彼は、デザイン面でも時計の在り方を大きく変えた。ギヨシェ彫りを懐中時計に普及させ、レピーヌのスタイルを完成させた。さらに視認性に優れ、しかも個性的なブレゲ針やブレゲ数字、シンメトリーなレイアウトなどを取り入れたほか、表示要素を拡大する一方で、余計な装飾を省くデザインを打ち立てた。

「この時代のブレゲの懐中時計は風防にミネラルガラスを使っていました。そして文字盤の視認性を高めるための無反射コーティングは施されていませんでした。しかし、視認性は高かった」

 リオネル・ア・マルカは、ギヨシェ文字盤を持つ現代のブレゲの腕時計に無反射コーティングを施した風防と、そうでないものを被せて、視認性の比較をしたのだという。

「マーク A. ハイエックと一緒に、無反射コーティングの有無で視認性がどう変わるのかを比較しました。無反射コーティングをしていないにもかかわらず、ギヨシェ文字盤のモデルは視認性が良かったのです。それだけギヨシェ彫りの効果はあったのですね」

 唯一の違いは風防の色。無反射コーティングを施した個体は青く見えたという。

クラシック 7337

(右)スモールセコンドのアップ。0.25mmの深さに彫り込まれたギヨシェに直接印字を載せている。普通は平たい枠を設けるが、今回はあえて省かれた。シンプルだが、技術的には非常に難しいディテールだ。(左)ムーンフェイズ表示のアップ。彫金した月はホワイトゴールド製。それをブルーラッカーにスパンコールをちりばめたディスクに埋め込んでいる。文字盤全体はマット仕上げだが、月が隠れる部分のみ、わずかに艶が与えられた。繊細なギヨシェ彫りは、角が立っているだけでなく、余計なバリも皆無だ。

 新しいクラシック 7337で目を引くのは、日付と曜日表示だ。今まではシルバーだったが、今回は下地にダークブルーを、その上にシルバーの印字を載せている。ごくあっさり仕上げてあるが、印字はかなり立体的だ。シルバーの印字を立体的に施すのはかなり難しい。シルバーを強調しようとすると粒子感が強くなるし、粒子を細かくするとシルバーには見えなくなる。また、粒があるため、印字のエッジも明確には残りにくい。

「日付と曜日の印字にはパウダーグレーと言われるものを採用しました。最初にパウダー状の塗料を全体にかけ、最後に印字部分だけを残して塗料を除去するのです。この作業は特別な機械で行います。その際、重要なことは立体感を残すこと」

クラシック 7337

(右)日付と曜日表示のディスクは、下地にブルーが、印字にはパウダーグレーが採用された。注目すべきは、印字の明瞭さ。極めて立体的で、しかも印字の周囲にビビりが見られない。立体的な印字が難しいとされるシルバーカラーでこの質感は非凡と言うほかない。あえて立体感を抑えた窓枠の処理も、三角形の突起が示す通り、非常に繊細だ。(左)搭載されるCal.502.3 QSE1は仕上げがさらに進化した。ローターの外周を支える凹みには筋目仕上げが施されている。虹色に輝くのは、高い加工精度があればこそ。

 今までに同じく、シルバーの下地にブラックの印字で良さそうなのに、なぜこんな凝った印字を採用したのか。リオネル・ア・マルカはこう説明する。

「もともとブレゲの時計は文字盤の情報量が多いのです。ムーンフェイズがあったり、曜日表示や日付表示があったりですね。しかし、それぞれに違った微妙な色を使うことで、それぞれの情報を分かりやすくしたのです。これも初代のブレゲの特徴であり、今回採用した理由です」

 ユニークに見える新しいクラシック 7337が際立つのは、リオネル・ア・マルカがオリジナルのブレゲを見て、その意図を忠実に今に翻訳しているためだろう。彼のスタンスは、お家芸であるギヨシェの使い方に明らかだ。リオネル・ア・マルカは、わずかな違いを出すためにさまざまなギヨシェを盛り込むが、彼の言う「バロック」には仕立てていない。

No.5

No.5
最もブレゲらしいと評されるのが1787年に製作された自動巻き懐中時計の「No.5」だ。クォーターリピーターと「ペルペチュエル」自動巻き、ムーンフェイズ表示とパワーリザーブ表示を搭載する。後にこのデザインは腕時計に転用され、1983年発表の傑作「3130」、そして「クラシック 3137」へと受け継がれた。ちなみに現在も、このモデルの忠実な復刻版は購入可能である。自動巻き。パワーリザーブ約60時間。18KYG(直径54mm)。非防水。

「私たちはギヨシェ彫りをゴテゴテに施すことはしません。バロックはやらないですね。やはりそのブランドのイメージというものがありますから。クルマで言うとフェラーリにはフェラーリのイメージがあるし、ランボルギーニにはランボルギーニのイメージがある。このクラシックラインこそ、あらゆる点でブレゲのイメージに合っていると思います」

 彼のオリジナル・ブレゲに対する傾倒は、決して付け焼き刃ではない。

「去年、オークションで昔のブレゲの時計を購入しました。6時位置にふたつのカウンターがあるモデル。これは120年ぐらい前のものですが、今見ても本当にモダンです。なぜそう感じるかというと、シンプルだから。では私たちの役目は何か? こういったヴィンテージのブレゲに見られる要素を今後も継続、強調し、さらに良くしていくことなのです」

No.3833

No.3833
アブラアン-ルイ・ブレゲが好んだデザインのひとつに表示要素をずらしたエキセントリックがある。彼は1812年にこのデザインを発明し、1814年以降さまざまなモデルに採用した。ひとつの完成形が、1823年5月12日に販売されたNo.3833だろう。12時位置にムーンフェイズ表示を、そして文字盤の左右にパワーリザーブ表示と日付表示を備える。1829年には、より表示要素を増やしたNo.4579を完成させた。