ウォッチデザイン100年史【2000年代〜2010年代】

FEATURE本誌記事
2023.05.25

今からちょうど100年ほど前に市民権を得はじめた、腕時計という新しいツール。以降、さまざまな機構や性能が追加されることで、1960年代になると、腕時計は一通りの完成を見た。それに伴い進化したのが、時計のデザインである。かつては改造した懐中時計に過ぎなかった腕時計。しかし1930年代には今に通じる造形が完成し、時計のメカニズム同様、1960年代には現在に通じるものとなった。さまざまな制約を乗り越えて進化してきたデザインの100年間を振り返りたい。

吉江正倫、奥山栄一:写真 Photographs by Masanori Yoshie, Eiichi Okuyama
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2021年5月号掲載記事]


[2000年代]ケース製法の“革命”

RM 001 トゥールビヨン

リシャール・ミル「RM 001 トゥールビヨン」
「モダン・ウォッチ・メイキング」の幕開けをもたらしたモデル。2001年発表の本作は、文字盤をサファイアクリスタルにすることで、ムーブメント自体をビジュアライズ化した点に特徴があった。加えて、そのムーブメント自体を3D化した点が、今までの時計とはまったく異なる。以降、このデザインアプローチを熟成させたリシャール・ミルは、他社にはない個性を持つようになる。手巻き(Cal.RM001)。23石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約70時間。18KWGケース(縦45×横38.3mm)。世界限定17本。生産終了。

 1990年代に進んだデカ厚化こと時計の立体化。時計のデザイナーたちは、平たい風防と分厚い汎用ムーブメントという制約を逆手に取ることで、かつてない時計デザインを次々に完成させた。しかし、それ以上の立体感を得るには、当時の製法では限界があった。

 2000年代以降に大きく変わった時計のデザイン。変化の理由となったのが、新しい多軸のCNC旋盤である。かつてケースメーカーで使われていた旋盤やフライス盤は、プレスで成形されたブランクを、一定の形を削るには適していたが、イレギュラーなデザインにはまったく向いていなかった。かつてのロイヤル オークやノーチラスが極めて高くついた理由である。確かに1980年代以降、プレスの技術が進歩したことで、安価な価格帯でも複雑な造形を持てるようになった。しかし、高級時計に相応しい精密な仕上がりを加えるのは、次元がまったく違う話であった。

RM001 トゥールビヨン

プレスではなく、切削のみで加工されたケースは際立った立体感を持つ。ケースの製造はドンツェ・ボーム。ケース全体を湾曲させたのは、リシャール・ミル曰く「スーパーエルゴノミック」を目指したため。後のチタンケースほど軽くはないが、湾曲したケースは、それまでの複雑時計にはなかった軽快な着け心地をRM 001 トゥールビヨンにもたらした。

 90年代に入ると、スイスメーカーのいくつかは、ケースの内製化に取り組んだ。大規模なプレス(あるいは鍛造)設備がなくても、新しい工作機械があれば、高品質なケースを生産できる。この手法を採用することで、いち早く内製率を高めたのはIWCだった。

 しかし、野心的な時計関係者たちは、より新しい多軸CNCを使えば、かつてないデザイン、つまりはより立体的なデザインを実現できると考えた。そのひとりが、リシャール・ミルであった。ムーブメントとケースを完全に統合させようと考えた彼は、このふたつに極めて3次元的なデッサンを与えた。正直、1990年代であれば、彼の希望は実現できなかっただろう。しかし、ケースメーカーのドンツェ・ボームが導入したCNC旋盤は、ミルの思い描いたケースデザインを、そのまま実現してみせたのである。

リシャール・ミル

2001年の創業以来、快進撃を続けるリシャール・ミル。彼はデザイナーではないが、時計の意匠に対して明確なビジョンを持っていた。「時計の中を小人のように探検できれば、時計はエモーショナルな存在になる。だから私にとって、探検できるよう、時計をトランスパレント化することがすべての前提だった」。そのため、リシャール・ミルの時計は、第1作から際立った仕上げを持っていた。

RM 001のケースデッサン

多くのデザイナーたちにとって、RM 001とは、そのデザインだけでなく、プロセスの点でも影響を与えたモデルだった。それ以前、ムーブメントと外装は、別々のデザイナーが手掛けるものだった。対してリシャール・ミルは、「ムーブメントとケース、文字盤を同時にデザイン」することで、時計全体に際立った統一感をもたらした。事実、ごく初期のケースデッサンには、すでにトゥールビヨンのキャリッジが描かれている。

 かつて、リシャール・ミルのベゼルは、プレスで打ち抜いたブランクをCNC旋盤で切削したものだった。しかし、プレスで抜いた部品は、残留応力で歪みが生じる恐れがある。ブランクの精度に納得できなかったリシャール・ミルは、後に、丸い棒材の外と中を成形し、2枚のベゼルにするという製法に改めた。切削に要する時間は、表と裏で1時間半。そして加工精度は1ミクロンから4ミクロン以内。外装にもムーブメントの部品並みの加工精度を与えることで、リシャール・ミルの時計は、立体感に加えて、並外れた統一感を持つようになった。

 違うアプローチで、リシャール・ミルと同じ解に至ったのが、ウブロのCEOに就任したジャン- クロード・ビバーである。新生ウブロのコンセプトに「フュージョン(融合)」を掲げた彼は、それをプロダクトにも反映させようと考えた。つまりはさまざまな素材の組み合わせである。

ジャン-クロード・ビバー

希代の経営者、ジャン-クロード・ビバー。しかし、彼はそれ以上に、熟練したプロダクトマネージャーだった。曰く「ビッグ・バンの準備期間は10カ月。2004年の6月にアイデアを考え、8月にはデザインが完成。翌05年3月のバーゼルワールドでプロトタイプを発表し、6月に納品した」。短期間でコンセプトとデザインを詰められたのは、70年代から蓄積してきた知見があればこそ。

ビッグ・バンの初期デッサン

新生ウブロに「フュージョン」というコンセプトを掲げたビバーは、その具現化に取り組んだ。さまざまな素材の「フュージョン」を可能にしたのが、複数の部品を重ねるサンドウィッチ構造。ビバー曰く「世界初の試み」とのこと。初期のデッサンが示す通り、ビッグ・バンのケースはさまざまな素材で構成されている。

 しかし、長年ウブロが使っていたプレスでは、彼の希望する複雑な構造は実現できない。ビバーはプレスを諦め、代わりに切削した部品でケースを構成する「サンドウィッチケース」を完成させた。もっとも彼は、立体感は副産物だったと説明する。「立体感はフュージョンを考えた後だよ。あくまでサンドウィッチケースの結果が立体感だ」。

 リシャール・ミル同様、ビッグ・バンのケースも年々進化を遂げた。2008年頃には部品の加工精度が上がり、10年頃には、風防のコーティングがクリアになった。その結果、ビッグ・バンのケースはより複雑になり、文字盤にも、さまざまな色が使えるようになったのである。

 この時代には、他にもさまざまな小メーカーが、CNC旋盤を使わなければ実現できなかった造形を加えた。しかし、これらに取り組んだのは、野心的な起業家や独立時計師に限られたのである。

ビッグ・バン オールブラック

ウブロ「ビッグ・バン オールブラック」
ウブロのアイコンとなった「ビッグ・バン オールブラック」。見えない可視性を強調した本作は、立体感と色という、ふたつのインパクトを時計業界にもたらした。とりわけ新しかったのは、黒の使い方だ。複数の黒を使い分けて微妙なニュアンスをもたらした。自動巻き(Cal.HUB 44)。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。セラミックス×カーボンケース(直径44.5mm)。10気圧防水。限定250本。
クラシックフュージョン

2005年以前のウブロ。1980年に創業されたウブロは、当時としては複雑なケースを作るべく、工場内に複数のプレス機を置いていた。しかし、ウブロのCEOに就任したジャン-クロード・ビバーは、新しいコンセプトを実現するべく、プレスに依存していたケースの製法を一新した。
ウブロのサンドウィッチ構造のケース

複数の部品で構成されるサンドウィッチ構造のケース。可能にしたのは、設計を高い精度で加工する、最新のCNC旋盤だった。かつても、同じような構造のケースは作れただろう。しかし、2000年代以降の工作機械なくして、現在の腕時計に求められる気密性は実現できなかった。技術の進歩が可能にしたケース構造だ。


[2010年代]自由を手にした時計デザイン

グランド・レベルソ・ウルトラスリム・トリビュート・トゥ・1931

ジャガー・ルクルト「グランド・レベルソ・ウルトラスリム・トリビュート・トゥ・1931」
初出2011年。ウルトラスリムのケースに、1931年のファーストモデルの文字盤を組み合わせたのが本作。単なる復刻版と思いきや、かつては望めなかった薄くて堅牢なケースに特徴がある。ケースを自製できるジャガー・ルクルトは、2010年代以降、毎年のように新しいケースのモデルをリリースするようになる。手巻き(Cal.822)。21石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約45時間。SSケース(縦46×横27mm、厚さ7.2mm)。30m防水。500本限定。生産終了。

 2000年代に大きく変わった時計のデザイン。可能にしたのは、時計業界に急速に普及した多軸のCNC旋盤だった。もっとも、こういった機械を導入するのは、一部の新興メーカーや設備投資に積極的なケースサプライヤーに限られた。また、切削で作られた高価なケースを好んで買うメーカーも限られた。

 しかし10年代に入ると、大メーカーもこぞってこの流れを追随するようになる。変化をもたらした理由はさまざまだ。いわゆる「ETA2000年問題」に悩まされていた各社は、2000年代を通して新しい自社製ムーブメントの開発にリソースを割かざるを得なかった。しかし、それが一段落した10年頃になると、各社は自社製ムーブメントをもたらした多軸のCNC旋盤を外装にも使おうと考えた。

ヤネック・デレスケヴィクス

1987年以降、ジャガー・ルクルトのデザインを統括したのが、アーティスティック・ディレクターのヤネック・デレスケヴィクスである。同社在籍中に、彼は「レベルソ・デュオ」を含む、数々の傑作デザインを手掛けた。生産現場とトレンドを熟知する彼は、デザインに当たっては「穏やかなモダナイズ」をモットーとする。

第1世代のレベルソ

反転ケースを持つ第1世代のレベルソ。このデザインを忠実に再現したのが、トリビュート・トゥ・1931である。夜光塗料を施した針およびインデックスに黒文字盤の組み合わせは、専門職向けのものだった。あえてモチーフに選んだのは、今の基準ではスポーティーだからか。

 こういった流れを先取りしていたのが、ジャガー・ルクルトである。1990年代以降、同社はムーブメントの工作機械を一新し、ムーブメントのバリエーションを大きく増やすことに成功した。続いて外装加工にも切削を導入することで、かつての「ムーブメント屋」は、短期間でさまざまなケースを作ることに成功したのである。

 その好例が、2011年の「グランド・レベルソ・ウルトラスリム・トリビュート・トゥ・1931」だろう。ケースの構造はかつてのレベルソに同じ。しかし切削で仕上げることで、ケースの歪みは以前よりは小さくなり、収まりも改善されたのである。また、本作はいわゆる復刻版の先駆者となった。

レベルソの広告

ガラスが傷つかないようにケースを反転できるレベルソ。

レベルソの特許資料

1931年3月4日に提出された特許資料(フランス特許712868)。構造自体は今のケースにほぼ同じ。しかしラグを溶接するため、ケースの生産性は高くなかっただろう。

レベルソの現行モデルのケース構造

現行モデルのケース構造。工作機械の進歩により現在、ジャガー・ルクルトは、このケースをほぼ切削のみで成形できるようになった。その結果、レベルソのケースは、強度を落とすことなく薄くできるほか、毎年のように新しいデザインを追加するようになった。2000年代に時計のデザインを一新したケース製法の進化は、レベルソに多様性をもたらすことになる。

 本腰を入れて時計産業に参入したメーカーも、やはり外装に注力した。ブルガリの「オクト」は、そんな潮流を象徴する1本だ。もともとの原型は、2004年のジェラルド・ジェンタ「オクト」。このモデルのリデザインを委ねられたファブリツィオ・ボナマッサは、ブルガリらしい幾何学的で簡潔なシェイプを加えることで、別物へと脱皮させたのである。そのファセット数は、なんと110。

 04年のオクトも、確かに多くの面で構成されたデザインを持っていた。しかし、当時の技術ではケースに筋目仕上げを施すのは不可能だったため、ケースは鏡面仕上げとなり、エッジも丸められた。対してCNC旋盤だけでケースを加工することにより、新しいオクトは、より多くの面と筋目仕上げ、そして切り立ったエッジを持つに至ったのである。

オクト

ブルガリ「オクト」
2010年代のウォッチデザインを象徴するモデル。デザインの原型は、2004年のジェラルド・ジェンタ「オクト」だが、ピュアな造形と幾何学的な要素で再構成された。極めて立体的なケースは、実に110ものファセットで構成される。薄さとスポーティーさという点でも、時代に先駆けたモデル。自動巻き(Cal.BVL191)。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。18KPGケース(直径38mm)。100m防水。生産終了。

ファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニ

ブルガリのデザイン部門を率いるのが、ファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニ。2007年からブルガリに加わった彼は、以降、同社のプロダクトを刷新した。新時代のデザイナーであるボナマッサは、最新の工作機械を前提とする際立った立体感と、優れた装着感の両立に長けている。彼の明快なデザイン手法は、ブルガリの在り方そのものに影響を与えるようになる。

 またこのモデルは、薄さと立体的な造形の両立という、ジェラルド・ジェンタが目指したアプローチの完成形でもあった。ジェンタが第一線で活躍した時代、彼のデッサンを形にするのは極めて高く付いた。しかし、技術の進歩は、驚くほど複雑な造形を、手の届く価格で実現したのである。

オクトのデッサン

2000年代では製造不可能だった110もの面を持つケース。デザインを手掛けたファブリツィオ・ボナマッサ・スティリアーニの幾何学的なデザインを実現させたのは、レコマティック製の全自動多軸CNCマシンだった。注目すべきはラグ。立体感を出すには長く伸ばすのが定石だったが、装着感を改善するため、あえて短く切られている。

 2010年代に入ると、日本のメーカーも立体的な造形に取り組むようになった。その好例が、13年にリリースされたグランドセイコー 44GS デザイン復刻版だろう。これは1967年モデルのほぼ完全な復刻版。かつてこのデザインは、鍛造で打ち抜いたケースにザラツ研磨を施すことで形となった。

44GSデザイン復刻版

グランドセイコー「44GSデザイン復刻版」
長年、鍛造とザラツ研磨でグランドセイコーのケースを製造してきた林精器製造。しかし、2013年発表の本作では、13回鍛造したケースを、すべてCNC旋盤で切削する手法を採用した。その結果、「超接線サイドライン」や「超逆斜面」で構成されるケースはオリジナル以上の完成度を持つに至った。手巻き(Cal.9S64)。37石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約72時間。SSケース(直径37.9mm、厚さ11.5mm)。100m防水。世界限定900本。生産終了。

 対して新作は、鍛造の後に切削を加えることで、その複雑な面構成をいっそう際立たせた。以降のグランドセイコーは、他にはない、角張った立体的なデザインを深化させることで、世界的な評価を得たのである。

 蛇足として付け加えたい。2010年代後半以降は、大メーカーの採用した手法が、中小メーカーにも降りてきた時代、と言える。かつては一部のメーカーしか採用できなかった自由なデザイン。今やそれは、メーカーを問わず、見られるものとなったのである。

グランドセイコー 44GS

いわゆる「セイコースタイル」を完成させたのが1967年発表の本作。鍛造を前提としたグランドセイコーのケースは、ザラツ研磨によって、切り立った角と、歪みのない面を持てるようになった。生産性と審美性を両立させた野心作。手巻き(Cal.4420B)。27石。1万8000振動/時。SSケース(直径37.9mm)。50m防水。生産終了。


アイコニックピースの肖像 リシャール・ミル/トゥールビヨン

https://www.webchronos.net/iconic/17446/
ウォッチビジネス成功請負人 ジャン-クロード・ビバー

https://www.webchronos.net/comic/11587/
ジャガー・ルクルト「レベルソ」の名前の由来をひもとく

https://www.webchronos.net/features/69456/