今年、創業250周年を迎えたブレゲ。数多くの発明を誇る同社だが、リリースされたそれぞれの記念モデルは、すべて過剰さを抑えたものだ。これは、お家芸であるトゥールビヨンも例外ではない。新作の「クラシック トゥールビヨン シデラル 7255」は、一見すると伝説的なモデルとなった「クラシック トゥールビヨン 3350」の文字盤違い。しかし、構成要素を減らしてトゥールビヨンを目立たせるという潔さが本作では一層際立っている。足すのではなく、引いて凝縮させる。その非凡な手腕は、250年の歴史があればこそだろう。

Photographs by Eiichi Okuyama
広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2025年9月号]
225年目にして初めて採用されたフライングトゥールビヨン
「時計愛好家たちは超大作を期待するでしょうが、しませんね」。筆者にそう語ったのはブレゲCEOのグレゴリー・キスリングである。今年250周年を迎えたブレゲに、多くの時計好きが超複雑時計を期待したのは事実だ。しかし、ブレゲは予想を覆すような新作を出し、しかもそれらは、私たちの想像をはるかに超えるものであった。ブレゲが新作に込めた意図は明らかだ。「私たちの歩みはメカニズムだけでは語れない」である。
今年初頭から連作としてリリースされてきた250周年のコレクション。その第4弾が「クラシック トゥールビヨン シデラル 7255」である。構成は至ってシンプルで、12時位置に時分針が、6時位置にはトゥールビヨンがあるのみだ。しかも定力装置のルモントワール・デガリテも、ブレゲが得意とするフュゼ(フュジー)もない。同社の力量を考えれば採用は容易だっただろうが、今回もブレゲは、超複雑機構には向かわなかったのである。

12時位置に時分針、6時位置にトゥールビヨンを置く7255の見た目は、1990年にリリースされた「クラシック トゥールビヨン 3350」を思わせる。これは同社初の腕時計トゥールビヨンというだけでなく、トゥールビヨンブームを牽引したモデルのひとつだ。搭載するムーブメントの設計に携わったのは、かのダニエル・ロートと、当時ヌーヴェル・レマニアに在籍していたマティアス・ビュッテ。
キスリングは「この象徴的なタイムピース(設計者の名前だけですでに伝説だ)と偉大な発明に敬意を表する」ため、基本的な設計を3350系によったと説明する。しかし、ブレゲの発明したトゥールビヨンを強調するため、7255はキャリッジの文字盤側の受けを省いたフライングトゥールビヨンに改められた。しかも裏蓋側からキャリッジを支える受けと、キャリッジを駆動する歯車をサファイアクリスタル製ディスクに改めたこのトゥールビヨンは、歯車の存在を消した「ミステリー」となった。
筆者の知る限り、ブレゲは一貫してフライングトゥールビヨンを避けてきた。理由は、文字盤側からキャリッジを支える受けを省くと安定性が損なわれるため。同社は、極薄のトゥールビヨンでさえも、文字盤側と裏蓋側から受けで挟むという古典的な構成を選んできた。キャリッジが浮かんで見える傑作「メシドール」も、トゥールビヨンのキャリッジを両側から分厚いサファイアクリスタル製の受けで挟んだものだ。

トゥールビヨンキャリッジをせり出させるために、初めてフライングトゥールビヨンを採用したモデル。文字盤にはアベンチュリン・エナメルをあしらうほか、ムーブメントの地板と受けもブレゲゴールド製となった。ヒゲゼンマイにはモダンなシリコンではなく、青焼きされたニヴァクロンを採用する。手巻き(Cal.187M1)。23石。1万8000振動/時。パワーリザーブ約50時間。18Kブレゲゴールドケース(直径38mm、厚さ10.2mm)。世界限定50本。3196万6000円(税込み)。
そんなブレゲが1801年以来初めてフライングトゥールビヨンに取り組んだのは、トゥールビヨンを際立たせるためだった。文字盤側の受けを省いた結果、7255のトゥールビヨンキャリッジを地板からは2.2mm、文字盤からは0.9mm高い位置に置けるようになり、その存在は一層強調された。しかもキャリッジをせり出すことで裏蓋側からのサポートはかなり強固になった。記念モデルにふさわしく、ムーブメントの地板と受けは往年のブレゲが用いたものと同じ色味を持つブレゲゴールド製だ。
文字盤に採用されたのは、ブレゲのお家芸であるギヨシェではなく、新しいアベンチュリン・エナメルである。これはアベンチュリン(ゴールドガラス)を粉末状にしたうえでエナメルのように塗布し、文字盤に焼き付けたもの。普通はアベンチュリン板を薄くスライスして張り込むが、表情に深みを持たせるため、ブレゲは新しい手法を開発したのである。ブラックエナメルであれば愛好家は一層歓迎しただろうし、今のブレゲならば、良質なエナメル文字盤を選べたはずだ。しかし、同社は天文学との関わりを象徴する星空を、文字盤で表現してみせたのである。このモデルが「シデラル(天文)」と名付けられたのは納得だ。
改めて言う。本作には大仰な機構も、目をそばだたせるような装飾もない。しかし、シンプルなエレメントだけで250年の歩みを表現する手腕は、ただただ圧巻だ。筆者は思う。これこそが2世紀半の重みがなせる業ではないか、と。



