オーデマ ピゲ「RD#5」かつてないリセット機構がもたらした“エルゴノミック”なクロノグラフ

2025.10.07

今年、創業150周年を迎えたオーデマ ピゲ。革新的な永久カレンダーに続いてリリースされたのは、「RD#5」と銘打たれたフライングトゥールビヨンクロノグラフだった。一見、従来の複雑時計に同じだが、そのケース厚は8.1mmしかない。同社が薄型化の切り札として採用したのは、従来のリセットハンマーとハートカムに代わる、全く新しいリセットシステムだったのである。

オーデマ ピゲ「ロイヤル オーク “ジャンボ” エクストラ シン フライング トゥールビヨン クロノグラフ(RD#5)“150周年アニバーサリー”」

広田雅将(本誌):取材・文
Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan)
Images Edited by Eiichi Okuyama
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2025年11月号掲載記事]


ラックを用いたリセットシステムが極めて軽いタッチをもたらした

 オーデマ ピゲの革新性を詰め込んだRDコレクション。5作目の題材に選ばれたのは、オーデマ ピゲのお家芸であるフライングトゥールビヨンクロノグラフだった。名前は「ロイヤル オーク〝ジャンボ〞エクストラ シン フライング トゥールビヨン クロノグラフ(RD#5)」。

オーデマ ピゲ「ロイヤル オーク “ジャンボ” エクストラ シン フライング トゥールビヨン クロノグラフ(RD#5)“150周年アニバーサリー”」

 その公式発表に先立つこと6カ月、筆者はオーデマ ピゲの本社で搭載するムーブメントの試作品を見た。ウォッチ コンセプション ディレクターのジュリオ・パピが説明してくれなければ、これがフライングトゥールビヨンクロノグラフとは誰も信じなかっただろう。ちなみにオーデマ ピゲは、2022年の「ロイヤル オーク フライングトゥールビヨン エクストラ シン(RD#3)」で、フライングトゥールビヨンを薄く仕立てるノウハウを得た。しかし、クロノグラフを載せてなお、このムーブメントは極薄だったのである。対してパピは、こう説明した。「薄さの理由は、機械式クロノグラフにはつきものの、リセットハンマーとハートカムを省いたため」。確かにこういった機構を省けば、機械式のクロノグラフは劇的に薄くできるだろう。しかしどうやってそんな離れ業を実現したか?

 機械式クロノグラフは水平もしくは垂直クラッチで通常輪列とクロノグラフ輪列が連結される。クロノグラフを止める際はクラッチを外し、リセットの際はリセットハンマーがハートカムを叩いて、クロノグラフ針や積算計針をゼロ位置に戻す。クラッチや制御方式の種類を問わず、これはアドルフ・ニコルが1862年に特許を取得して以降、すべての近代的な機械式クロノグラフに共通する機構だった。これはクロノグラフにゼロリセットという革新的な機構をもたらしたが、ムーブメントを横断する巨大なリセットハンマーと、クロノグラフの各軸に取り付けられたハートカムがムーブメントの厚みを増した。1969年以降、コンパクトな垂直クラッチの普及で機械式クロノグラフは付加機構を載せられるスペースを確保できたが、リセットハンマーとハートカムは薄型化の障害であり続けた。

オーデマ ピゲ「ロイヤル オーク “ジャンボ” エクストラ シン フライング トゥールビヨン クロノグラフ(RD#5)“150周年アニバーサリー”」

オーデマ ピゲ「ロイヤル オーク “ジャンボ” エクストラ シン フライング トゥールビヨン クロノグラフ(RD#5)“150周年アニバーサリー”」
オーデマ ピゲ曰く「黒電話からスマートウォッチになるぐらいの進化」を目指したフライングトゥールビヨンクロノグラフ。革新的なリセット機構とRD#3から転用したトゥールビヨン機構により、ケースの厚さは8.1mmに留まった。自動巻き(Cal.8100)。44石。2万1600振動/時。パワーリザーブ約72時間。チタン×BMGケース(直径39mm)。2気圧防水。世界限定150本。要価格問い合わせ。

 リセットハンマーを薄くする試みがなかったわけではない。1980年代のフレデリック・ピゲは、クロノグラフ秒針と30分、そして12時間積算計のリセットハンマーを一体成形することで、厚さ3.7mmの自動巻きクロノグラフ、1185系を作り上げた。その設計に影響を受けた近代型クロノグラフも、そのほとんどが同様の一体型リセットハンマーを持ったが、これらの部品そのものを省く試みはなかった。

 ジュリオ・パピが述べた通り、オーデマ ピゲがフライングトゥールビヨンを極薄にできた理由は、リセットハンマーとハートカムに代えて、レトログラード式のリセット機構を採用したためだ。具体的には、くし歯の付いたラックがレトログラードのように0位置に戻り、そこに噛み合ったカナと、そこに付随するクロノグラフ秒針、60分、12時間積算計針を元の位置に戻す。

Cal.8100

Cal.8100
自動巻きのフライングトゥールビヨンにもかかわらず、直径31.4mm、厚さ4mmというサイズにまとまったCal.8100。インダイレクトリセットにもかかわらず、フライバックを実現するほか、瞬時切り替えの分積算表示を持つ。キャリッジの外周から動力を取り、ムーブメントの余白に垂直クラッチを置くというレイアウトも巧みだ。理論上、クロノグラフ機構は極めて軽い操作感を実現。

 このリセット機構に対して、オーデマ ピゲは特許を取得した。同社は特許資料の中で、開発理由を次のように記した。

「(リセットハンマーとハートカムを備えた)機構はバネ力・カム形状・感触子(プッシュボタンのこと)の軸位置などの調整が繊細で、同軸表示の実装には向くが、厚み方向の占有が比較的大きい。したがって使い心地がよく、堅牢で信頼性が高く、 文字盤上でのカウンター配置が従来通りとなる、容易な代替アプローチが望まれる」(訳は筆者による)

 歯車に噛み合ったラックは水平方向に移動し、一定のところまで行くとバネ力で元の位置にリセットされ、それに伴い歯車もゼロ位置に戻る。その歯車に針を付ければ、針もゼロ位置に戻せるだろう。しかしクロノグラフを動かす歯車は、常に回転し続けるため、どう考えても、噛み合うラックをリセットできない。

オーデマ ピゲ「ロイヤル オーク “ジャンボ” エクストラ シン フライング トゥールビヨン クロノグラフ(RD#5)“150周年アニバーサリー”」

「エクストラ シン」というモデル名にふさわしく、ケース厚はわずか8.1mmしかない。その軽快さを強調すべく外装はチタン製。しかし、ベゼルなどの一部部品に鏡面仕上げのBMGを採用することで、コントラストを強調してみせた。プッシュボタンはスマートフォンにヒントを得たデザインで、かつてない快適な操作性を実現した。

 対してオーデマ ピゲは「リターン車(ラック)が最終位置に達したとき、この切り欠き部(くし歯)が表示車(クロノグラフ針などを回すカナ)とリターン車の一時的な切り離し(デカップリング)を許し、弾性復帰部材(バネ)の作用でリターン車を初期位置へ逆行(レトログラード)させる。これは表示車が1回転する都度生じる」機構を開発した(引用は特許資料による)。

 つまり、クロノグラフが動き続けた状態でも、60秒、あるいは30分や12時間ごとに、ラックのみが元の位置に戻るのである。そしてリセットボタンを押すとラックと表示車、つまりクロノグラフ針などを回すカナは連結されてクロノグラフに関係する針をすべてゼロ位置に戻す。

 この機構のメリットは、薄さに留まらない。ラック自体が表示車を支えるため、規制バネが不要になるのだ。そのためクロノグラフ作動時の抵抗を減らせる。また、重いリセットハンマーとそれを規制する太いバネ、そしてハンマーに噛み合うハートカムを省いた結果、プッシュボタンの押し心地は非常に軽くなった。「ボタンを押し込む幅は多くの場合1mm以上あり、約1.5kgの力を必要とします。私たちの目標はこれらの数値を抑え、顧客体験を向上させることでした」とジュリオ・パピは語る。ちなみに、オーデマ ピゲは、プッシュボタンを押す力が直接クロノグラフをリセットするダイレクトリセット(APの4400系や、かつてのバルジュー72などが採用)ではなく、蓄積されたバネ力でクロノグラフをリセットする、インダイレクトリセット(かつてのレマニアやETA7750などが採用)を選んだ。これはリセットボタンを押すと、リセットハンマーの規制が解除され、かかっていたバネ力で元の位置にリセットされ、そこに接触したハートカムをゼロ位置に戻すもの。指の力で直接機構を動かす必要がないため、ボタンを軽く押すだけで済むのが、この機構のメリットだ。加えてラックの慣性はリセットハンマーよりはるかに小さいため、本作のボタンを押す力はいっそう軽くなった。詳細な数値は明かされていないが、プッシュボタンを押す力は、4401のわずか25分の1とのこと。また弱い力でクロノグラフが動くため、機構への負担も小さくなる。

Cal.8100

マニュファクチュールとして成熟を遂げたオーデマ ピゲは、余白の使い方に個性が見られる。新開発のCal.8100も、細かく分割した輪列を文字盤側の余白に収めることで、薄型化に寄与した。左上に見えるのはペリフェラルローターの回転を整流する自動巻き輪列。やはり徹底して小型化されている。香箱も厚みを抑えられる懸垂型だ。

 もうひとつのメリットがデザインだ。大きなリセットハンマーを持つクロノグラフは、そもそもデザインの自由度が低い。対してリセット機構を分割した本作は、デザインを限りなくシンメトリーに近づけることに成功した。

 リセット機構の見直しで、フライングトゥールビヨンクロノグラフにかつてない薄さをもたらしたオーデマ ピゲ。もっとも同社が目指したのは単なる薄さではない。これは今までのRDシリーズに同じく、本当の意味での〝使える複雑時計〞なのである。



Contact info:オーデマ ピゲ ジャパン Tel.03-6830-0000
https://www.audemarspiguet.com/com/ja/watch/royal-oak-jumbo-extra-thin-selfwinding-flying-tourbillon-chronograph-rd5


オーデマ ピゲ 審美的トゥールビヨンを求めて

FEATURES

オーデマ ピゲ「ロイヤル オーク パーペチュアルカレンダー」複雑時計150年、辿り着いた現在地

FEATURES

【2025年新作を早速ディープに解説!】オーデマ ピゲの150周年記念モデルは一見地味だが、史上空前の永久カレンダーだ!

FEATURES