時計愛好家の生活 K.M.さん「私はずっと、時計のほうから選ばれていたいのです」

2026.09.14

230年の歴史を誇る長唄三味線方の八代目家元を2012年に襲名したK.M.さん。三味線なのだから和の設えが当然かと思いきや、そうした既成概念には一切頓着しないのがMさん流だ。そんな彼のコレクションボックスに並ぶのは、ルイ モネやハイゼックを中心とした、一風変わったラインナップ。機能性ではなく、そこに宿る芸術性に惚れ込み、時計とその周辺環境が織りなす縁を何より大切にするMさん。そんな彼にとっての時計とは、己を高め続けるための原動力だという。

K.M.さん
1966年、東京都台東区生まれ。高校生の頃にラジオから流れてきた長唄に魅せられ、18歳で三味線の世界に入門。2012年に、230年続くという長唄三味線方の八代目を襲名する。18年頃から時計への興味を持ち始め、コロナ禍の逆境の中で、本格的な時計蒐集をスタートさせる。現時点で最も多くのルイ モネを所有する日本人である。
三田村優:写真
Photographs by Yu Mitamura
鈴木裕之:取材・文
Text by Hiroyuki Suzuki
Edited by Yukiya Suzuki (Chronos-Japan), Yuto Hosoda (Chronos-Japan)
[クロノス日本版 2025年3月号掲載記事]


「芸術とは有形じゃなくて無形。だからそこに至る過程に芸術性が宿る。私は時計に選ばれ続けていたいのです」

 時計愛好家はもちろんのこと、蒐集家の世界はどんな時でも一期一会だ。ある一定のテーマに沿ってコレクションする場合は、その特化した分野に関するアンテナが鋭敏になっているため、情報を掴む確度も上がる。特に本誌を精読するような、コアなコレクターにはそうした傾向が強い。しかしその一方で、時計のほうから選ばれたという蒐集家も一定数存在する。日本で最も多くのルイ モネを所有するMさんは、間違いなく後者だ。

 取材場所に指定されたのは都内有数の繁華街からも程近いマンションの一室。玄関に最も近いウォークインクローゼット付きの一室で、居住まい美しく出迎えてくれた和装の紳士がMさんである。おそらく全員が歳下であろう取材チームの細かなリクエストにも、いちいち「承りました」と丁寧な言葉使いで応じてくださる姿勢に、そのお人柄が垣間見える。

Mさんが本格的な時計趣味にのめり込む原動力となったハイゼックの2本。特に写真右の「アビス クロノグラフ」は、自身が初めてハイブランドの時計を買うことを強く意識したというオールゴールドモデルだ。躊躇するMさんの背中を押したのは、どうやら本誌編集長の広田らしく「時計は社会運」だという言葉に感化されてローンでの購入に踏み切ったという。すると不思議なことに、折悪しく訪れたコロナ禍の中でも、仕事が回り出したのだとMさんは語る。

 Mさんの職業は長唄の三味線方。それも230年続く家元の名跡を継ぐ八代目だ。聞けばこの一室は、衣装部屋兼稽古場として使っているとのことだが、いわゆる和の設えはまったく見られない。額装された西洋画とともに、時計のコレクションボックスがふたつ置かれており、中身はルイ モネを筆頭に、ハイゼックやラドー、ミナセなどが並んでいる。通常の愛好家取材ならば、ここからMさんのルイ モネ偏愛が滔々と語られるところだが、最初にお断りしてしまうと今回はそうした展開は一切ないのでご了承いただきたい。Mさんはいわゆる時計マニアではないのだ。

 Mさんが三味線の世界に飛び込むきっかけとなったのは、18歳の時にラジオから流れてきたその音色だったという。初めて聞いた長唄にすっかり魅了されたMさんはそのまま、後に人間国宝となる七代目に弟子入り。1982年のことである。その2年後となる1984年に、某劇団の音楽部へ三味線方として入部。2002年に立三味線(たてじゃみせん)へと昇進した後、数々の演奏活動を通して実績が認められ、2012年12月に八代目の名跡を襲名。2015年に音楽部部長となったことを契機に、現在の住居兼稽古場に居を移したという。当時のMさんを取材した『週刊現代』にこんなコメントが残されている。

「三味線だから和といった既成概念にはとらわれたくなかった。(中略)ここで生活を始めて、ライフスタイルもファッションも洗練されてきたように思う。あえて変えようと思ったわけではないが、自然にこの家にふさわしいインテリア、ふさわしい服装を選ぶようになっていた。家が私を変えてくれたのだ。(中略)志すところのある人は、家は分相応よりちょっと上くらいを選ぶとよい。家が、住む人を目指すところにたどりつけるように導いてくれる」

Mさんが時計趣味を始めたのは2018年頃から。それまでは時計にまったく興味がなく、いただき物のヴァン クリーフ&アーペルを長く使ってきたというが、それはある日、忽然と姿を消してしまった。長く愛用してきた時計の紛失を契機に、自ら選んだ初期のラインナップがこの2本。右はラドーの「ハイパークローム オートマティック クロノグラフ」。左はミナセの「SEVENWINDOWS」。Mさん曰く「当時は5万円以上する時計を買うなんて信じられなかった」。

 Mさんが最初の時計と出会うのは、ちょうどこの数年後だ。最初はミナセ、そしてラドーからSSのハイゼック。何かのイベントで本誌編集長の広田雅将に出会ったMさんは「時計は社会運ですよ」という言葉にダマされて(いや背中を押されて)、オールゴールドのハイゼックで時計趣味の世界に飛び込んだ。そして最初の沼にハマった。

「私らが選ぶ時計はね、ロレックスとかオメガとかね、そうした投機目的ではないんです。あちらは、もう……狂乱でしょう?そうじゃなくてね。お顔が美しいもの。本当にいい時計だなと思えるもの。そうしたものからね、選んできたんですよ」

 そうこうしているうちにコロナ禍の時代が訪れて、Mさんをはじめとする芸能関係者たちは壊滅的な打撃を受けた。こんな高価な時計を買ってしまって、この先どうなってしまうんだろうと、最初はMさんも考えたそうだ。しかし不思議と仕事は回った。万が一の事態に備えていたという政策金融公庫からの融資にも手を付けずに難局を乗り切ることができそうだった。そんな時にMさんは最初のルイ モネと出会った。2020年のことだったという。まだまだコロナ禍の真っ最中で、先行きは見えない。当時Mさんの周囲ではドゥ・ベトゥーンが流行っていたらしいが、なぜかMさんはルイ モネに強く惹かれた。そして「逆転の発想」でルイ モネ購入を決意。給付金までつぎ込んでしまった。すると不思議なことに、また仕事がうまく回り出したのだ。

「周囲のみんなは(私が)もう息切れするだろうと思っていたようですが、どっこいそうはいかなかった。不思議ですよね」

 この時にMさんが出会ったルイ モネとは、創業10周年時(=2014年)に発表された「メモリス」だ。19世紀の時計師ルイ・モネが発明した60分の1秒計「コンター・ドゥ・ティエルス」(2016年には史上初のクロノグラフとしてギネス認定された)から数えてちょうど200周年という節目に向けて、エボーシュメーカーのコンセプトと共同開発を続けてきた自社オリジナルのクロノグラフムーブメントを搭載する。いま改めてメモリスを手に入れたいと願っても、それは決して叶わないだろう。ケースの素材違いやダイアルの違いで、合計12型が製作されたメモリスは、そのひとつひとつが12本の限定生産というレアモデルだ。セカンドマーケットではその稀少性から、姿を現すことがほとんどない。

現時点で最も多くのルイ モネを所有する日本人となったMさんの、記念すべき最初の1本となったのが「メモリス」だ。アトリエの創業10周年と、クロノグラフの誕生200周年を同時に祝う記念モデルで、発表は2014年。Mさんが手にしたのは20年頃だという。通常運針の時分針を6時位置にオフセットして、ダイアル側に積算輪列を配した独特なレイアウトは、エボーシュメーカーのコンセプトとルイ モネが共同開発したもの。18KRGまたは18KWGケースで、ダイアルの違いで合計12型がラインナップされた。Mさんが所有する「LM-54.50.80」は、世界限定12本。

「私はこの時計を手に入れて、ひとつ気付いたことがあるんです。王族とか貴族とかね、それから功成り名を遂げた人たち。そうしたウルトララグジュアリーな人たちがね、どうしてルイ モネを選ぶのか? それは時計が持つパワーを知っているからなんでしょうね。このメモリスだって、世界中に12本でしょう。ということは約6億人にひとりにしか回ってこない。私なんかが望んだって、手に入れられるものではないんです。ではなぜここにあるのか? それはね、時計のほうから私を選んでくれたからなんですよ。この人なら良くしてくれるなとか、この人を良くしてあげたいなとか、そうした不思議なご縁を感じます。もちろん贅沢な時計なんだけど、私にとっては決して贅沢品じゃない。ほら、私はお酒も飲まないから夜の街にも出ないでしょう。ただ名取式とか、大事な演奏会とか、そうした紋付き袴を着るようなお席では必ずこれなんです。不思議な時計なんですよ」

 Mさんにとって4本目のルイ モネとなった「テンポグラフ ネオ ラピスラズリ」との出会いもやはり定められた縁だ。そもそもルイ モネの年産数は約500本。その半数以上がロイヤルファミリーなどからのオーダーで占められるので、市場に流通するのは約200本で、そのうち日本へのアロケーションは良くても10%だ。そうした状況の中で、日本でルイ モネ所有数が最も多い人は、いったい何本なのだろうという話になった。その段階で、Mさんともうひとりが3本でタイ記録。もう1本所有すれば日本一になれる。すでに述べたが、Mさんの師匠である七代目は人間国宝で、いわば日本一の存在だった。八代目のMさんにとっても、日本一とは次に目指すべき高みなのだ。ふたつの日本一が眼前で重なりかけた瞬間に、テンポグラフはMさんの前にやってきた。ならば…… となるのは当然の成り行きだったに違いない。

Mさんが所有するルイ モネのコレクション。右が火星のメテオライトをダイアルに配した「マーズ ミッション」。Mさんがメモリスに続いてコレクションに加えた、2本目のルイ モネがこのモデルだ。中央が現時点で最も新しいコレクションとなる2024年発表の「テンポグラフ ネオ ラピスラズリ」。左が月の隕石をダイアルに配した「ジャパン ロケット」。この中でも、世界限定20本のジャパン ロケットには、2009~20年まで運用された、日本のH-ⅡBロケットが用いたフェアリングパーツが盛り込まれており、Mさんの師匠である人間国宝の七代目を超えて、日本一を目指すという気概が、購入動機に重ね合わされているという。Mさん曰く「信じる心が何より大切」。

「こうした時計はね、望んだって出会えるものじゃない。血眼になって探したって向こうから来てくれることはないんです。我々はただ泰然自若として待つのみ。そのためには日々の精進が大切なんです」

 そう語るMさんが心の底から惚れ込んでいるのは、ルイ モネが持つ品格だ。かつてベン・アフレックは、アカデミー賞の席でブラックタイに同型のメモリスを合わせた。洋装和装の違いはあれど、Mさんも正装じゃないと時計の品格に負けてしまうという。

 そうした一方で、ルイ モネというブランドが生み出す時計は、非常にテクニカルな存在としても知られている。クロノグラフの始祖という歴史的なストーリーに裏付けられた「メカニカル ワンダーズ」というテーマは、機能的な価値が芸術にまで高められることを立証してみせた例のひとつだ。しかしMさんは、機能性そのものよりも、その裏側に宿る芸術的な精神性にこそ、強く惹き付けられているようだ。Mさんは機能部品が織りなす機械的な美しさを、アラベスクのようだと表現する。

2024年に発表された世界限定28本の「テンポグラフ ネオ ラピスラズリ」。ダイアルの9時側半分を大胆なオープンワークで仕上げ、20秒レトログラードの機構部分を見せている。この時計が届いたのは、ちょうど取材の1週間前。職業柄、和装に合わせることも多いというMさんだが、演奏の際も片時も手放さず、そっと懐に忍ばせているという。

「私たちの世界は有形じゃなくて無形。音なんて出した瞬間に消えてしまう。その消えてゆく刹那に何を感じさせることができるのか。そのためにどれだけの準備を重ねることができるのか。芸術性とはそうしたことの積み重ねでしかないんです。機能や数値は頭に残るものですけど、パッションや言葉は心に残る。良い時計を持つことでそこに華が出るんですよ。ひとつ時計に飛び込むと、自分のランクがひとつ上がるような気がしてね。成功したから時計を買うんじゃないんです。タイミングは時計のほうから来るんですから。そのためには日頃から己を高めて、来るべきタイミングに備えていなければなりません。私はずっと、時計のほうから選ばれていたいのです」

 何かの記念に時計を選ぶのは、過去の自分を追認するための作業だ。対してMさんは、自分の行く末を高めるために時計を選ぶ。これもまた、時計が潜在的に秘めているパワーの発露に違いない。


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