2026年8月25日、東京都中野区の商業施設「中野ブロードウェイ」内にある時計店で発生した高級時計盗難事件。筆者は世界での同種の事件や、犯人の背後にある国際的犯罪組織など、推測を含む解説記事をすでに執筆した。その後、犯人らの自供で筆者の見立て通りだったことが判明している。今回はその続報、さらに明らかになった事実だ。また、高級時計をお持ちの時計好きの皆さんにぜひ知っていただきたいのが、こうした事件の被害者にならないために何をしたらいいか、である。被害を受けたときの対応と併せて、中野ブロードウェイ強盗が示した「教訓」について解説する。

Enquirus:https://enquirus.com/en
The Watch Register:https://www.thewatchregister.com/
Photographs & Text by Yasuhito Shibuya
[2026年10月20日掲載記事]
日本でも浮上した「窃盗ツーリズム」犯罪
2026年8月25日、東京都中野区の商業施設「中野ブロードウェイ」1階の時計店で、高級時計の窃盗事件が発生した。事件から2日後の8月27日夜、南米・チリ国籍のマンサーノ・ケサダ・ボリス・アレクシス容疑者を含む、ふたりの男が逮捕された。この事件の発生から、約2カ月。彼らの供述により、事件の背景や盗品の流通経路について、次の事実が明らかになった。
・彼らは通称「SATG」と呼ばれる世界的な窃盗ツーリズム集団のメンバー
・これまで日本ではなく、ヨーロッパ各地で高級住宅を重点的に狙って窃盗を働いてきた
・中野事件の3日前にも東京都大田区で腕時計や現金など790万円相当を盗んだ
・中野で盗んだ3本の時計は大阪でスペイン語を話す男に渡した
・逃走のため関西国際空港発・イタリア行きのeチケットが逮捕翌日にSNS経由で送信された(彼らの背後に共犯者、指示役などの犯罪組織が存在することが分かる)
・盗品の一部はイタリアで売却のうえ、換金するつもりだった
・日本は窃盗罪に対する刑罰が世界と比較すると軽いと思っている
一連の報道により、中野ブロードウェイでの事件は世界的な窃盗集団「SATG=South American Theft Group(直訳すると、南米の窃盗グループ)」による犯行であり、前回のコラムで「窃盗ツーリズム(Theft Tourism)」として説明した犯罪の一例であることが明らかになった。ただし、現時点で本事件の犯行に関わって逮捕されているのは、前述の通り、ふたりだけだ。
ところで、本件が日本で初めて摘発された、SATGによる「窃盗ツーリズム」なのだろうか? そうではない。警察庁はすでに何年も前から、この事件と同様、「短期滞在(観光)ビザ」で来日したチリやコロンビアなどの南米系窃盗グループが、東京都世田谷区や兵庫県芦屋市などの高級住宅街を狙うケースを確認し、捜査を続けている。彼らは事前にSNSやグローバルマップ(ストリートビュー)で標的を絞り、来日後、数日〜数週間で集中的に犯行に及び、盗品を即座に海外へ郵送するか、スーツケースに詰めて出国する、いわゆる「ヒット&ラン」の手口を使っていると報告されている。
また、東京、大阪、京都など大都市のドラッグストア、高級ブランド店、衣料品量販店では、アジア各国の窃盗グループがやはり「観光旅行」を装って来日し、アルミ箔を貼って防犯ゲートのセンサーを無効化する特殊なバッグ(ブースターバッグ)を使って化粧品や医薬品、高級アパレルを組織的に万引きする事件が知られている。そして彼らの背後には、観光ビザの取得に加え、航空券代や滞在費を組織が負担し、成功報酬を支払う組織が存在することも明らかになっている。
今回の中野ブロードウェイでの事件が注目された理由は、犯人たちの手口があまりにも大胆かつずさんだったこと、そして盗まれた時計が4本であるにもかかわらず、申告された被害額が、約2億円にも上ったことだろう。
高級時計を所有するあなたが実行できる対策とは?
では、こうした「窃盗ツーリズム」犯罪はどうすれば抑止できるのか? 高級時計のコレクターやオーナーは、この犯罪にどのようにして立ち向かえばいいのか?
日本政府や警察も「窃盗ツーリズム」を何もせずに放置してきたわけではない。これまでに、さまざまな対策を講じてきた。その対策は、犯罪者を入国段階で排除する「水際対策」と、国内での犯行・逃走・盗品流通を阻止する「国内対策」のふたつに大別できる。
水際対策は、欧米を中心に海外の捜査機関と連携して国際窃盗団といった前歴のある犯罪者の情報を共有し、空港などの入国審査の段階で危険人物を特定・拒否する、つまり水際で入国させないシステムの構築が中心だ。
一方の国内対策は、「観光客のフリをして犯罪を行い、犯行から数日以内に出国する」という彼らの行動パターンに対応して、犯行を記録、追跡のうえ、犯人を検挙できるシステムの構築と整備だ。具体的には犯罪の舞台になりやすい繁華街などに防犯カメラを設置し、不審者を常時監視。AI技術を使うことでカメラから不審な人物を抽出・特定することができ、警察の初動捜査や手配が完了する前に彼らの移動ルートを割り出して、空港の出国ゲートを通過する前に、迅速に犯人を検挙するのだ。
また、彼らが国内で盗んだ盗品を受け取り、現金化する「手引き」を担当する「匿名・流動型犯罪グループ(トクリュウ)」や、不正な解体ヤード、外国人ブローカーなどの国内受け入れ基盤(インフラ)を摘発して、盗品の流通や逃走ルートの遮断も重点的に行っている。こうした取り組みや努力はもっと広く知られて、高く評価されてもいい。
しかし、こうした公的な対策ですべての犯行を未然に防げるわけではない。高級時計の所有者にも、盗まれにくい保管方法を選ぶ「予防」と、盗難後の発見・回収につなげる「事後の備え」が必要になる。ここからは、高級時計を所有しているあなたが「個人としてできる具体的な対策」をお伝えしよう。
対策●その1/高級時計をなるべく安全な場所に保管する
あなたは大切な高級時計を自宅の、すぐ手が届く場所や分かりやすい場所に保管していないだろうか? 一般家庭では大事なものを保管する場所はだいたい決まっている。だから窃盗犯はまずそこをチェックする。
だから普段は使わない、コレクションとして大切にしている高級時計は家庭で保管するより、銀行の貸し金庫に預けることをオススメしたい。
手元に置きたい場合は、東京・銀座のウォッチメイキングギャラリー「ART in TIME」でも取り扱っているような、時計保管専用の金庫を購入するのもいいだろう。
対策●その2/自分の時計をシリアルナンバー追跡データベースに登録しておく

そしてもうひとつ、あなたができる重要な対策が、筆者のコラムで以前、ご紹介した「Enquirus(エンクイラス)」や「The Watch Register(ザ ウォッチ レジスター)」に、あなたの大事な時計を登録することだ。このサービスは盗まれた高級時計が正規の二次流通市場(中古市場・オークションなど)で換金・流出されるのを防ぐための、各国の警察組織と連携した国際的なシステム、いわゆるシリアルナンバー追跡データベースである。
こうしたデータベースにあなたの高級時計を登録すれば、紛失したり盗難にあったりしたとき、時計のブランド、モデル、事件であれば被害状況とともにシリアルナンバーが世界中に通知され、該当時計の不正な取引を止め、元の持ち主が時計を取り戻すための大きな力になる。
まともな中古時計の買い取り業者、質屋、オークションハウス、コレクターは中古時計を売買するとき、取引確定前に必ず類似のデータベースにシリアルナンバーを照会する。なぜなら紛失品や盗品と知りながら取引をするのは世界のどこでも犯罪で、取引後に分かってもただでは済まない、大きなトラブルになるからだ。この時、照会したシリアルナンバーが盗難登録データと一致すると、画面に即座にアラートが出る。業者は即座に取引を中止して警察や捜査機関へ通報することで、取引を行おうとした犯罪者を逮捕し、盗品を回収する。本来の所有者に時計を返還する道が開けるのだ。つまり、二次市場での取引に「網を掛ける」ことができる。
「Enquirus」は、リシュモン グループが立ち上げた完全無料のオープン型プラットフォームだ。設立の背景については、前掲の記事で詳しく紹介している。利用時はスマートフォンに専用アプリをインストールし、カメラで時計のケースバックや保証書をスキャンする。AIの画像認識技術がシリアルナンバーを読み取り、自動で登録する仕組みで、読み取りがうまくいかない場合は手動でも登録できる。リシュモン グループ傘下のブランドに限らず、日本のブランドやスマートウォッチを取り扱う「ガーミン」を含む、数百の時計ブランドに対応し、同グループが販売したジュエリーも登録できる。誰でも無料で手軽に利用できる点が、このサービスの大きな特徴だ。
一方「The Watch Register」は1990年にオークションハウスのサザビーズとクリスティーズの支援を受けて設立されたサービスだ。美術品の紛失・盗難の捜索や回収で実績のあるデータベース会社「Art Loss Register(ALR)」の一部門が運営しており、時計を紛失したり、盗難に遭ったりしたときに利用できる。なお、本サービスは無料ではなく有料となる。
The Watch Registerは世界最大の紛失・盗難時計データベースを所有しており、紛失したり盗難に遭ったりした時計を有料で(1本15ポンド+付加価値税)で登録し、国際市場で捜索することができる。ただし、登録には固有のシリアルナンバーと警察などが発行した紛失証明、そして審査が必要で、登録ができない場合もある。そして審査を経て登録されると、世界中の時計市場で時計を捜索できる状態になる。中古時計業者は取引の際、このデータベースを使って取引する時計が紛失・盗難品かどうかを確認する。そして紛失・盗難品だと分かると検索画面には即座にアラート(警告)が表示される。同時に、The Watch Registerはその検索者に対して品物を安全に留置するよう要請。この時点で登録時に申告した時計の価格の5%にあたるLocation Fee(所在特定の料金)が登録者に請求されるというシステムだ。さらに、20%のRecovery Fee(回収料金)を支払えば、専門の回収チームが警察や被害者・保険会社と連携して法的回収交渉まで行ってくれる。また、アンティーク時計や懐中時計が登録できるのもEnquirusとの大きな違いだ。
どちらも時代を超えた価値のある高級時計のオーナーならぜひ知っておきたい、利用をオススメしたいサービスだ。詳細を知りたい方は、英語での説明だが、冒頭の公式サイトにアクセスしてみてはいかがだろうか。





