クルト・クラウスという時代 (前編)

FEATURE本誌記事
2019.05.15

クルト・クラウスという時代

スイスの時計業界に、名設計者といわれる人物は少なくない。しかし手掛けたムーブメントの多様さと、業界全体への影響力の大きさを考えると、クルト・クラウスに勝る設計者は今もって存在しない。往年の名設計者、アルバート・ペラトンに学んだ彼は、やがて独自の世界を拓き、それを後進たちに伝えた。本人とその周囲へのロングインタビューから、クルト・クラウスという“時代”を振り返ることにしたい。

三田村優:写真 Photographs by Yu Mitamura
広田雅将(本誌):取材・文 Text by Masayuki Hirota
この記事は 2014年8月発売の9月号に掲載されたものです。

「私はアルバート・ペラトンの見習いとして多くを学んだ。彼は最高の品質にしか興味がなかった」 - クルト・クラウス

As an assistant, I learned a lot from Mr.Pellaton.
He was always striving for best quality. - Kurt Klaus

初代ダ・ヴィンチ用永久カレンダーモジュールのドローイング。これはダ・ヴィンチの根幹をなす、デイトリングに引っかけられて回るリングと、それに連動するレバーを示したもの。

やはりダ・ヴィンチのドローイングより。彼は月齢の計算を、コンピュータではなく手で行った。誤差が122年に1日という月齢表示は、精密な工作機械というより、クラウスの精密な計算がもたらしたものだ。

 もし、クルト・クラウスがいなければ、現在のようなIWCは存在しなかっただろう」。そう語ったのは、IWCミュージアムで学芸員を務めるデヴィッド・セイファーである。しかし筆者の見るところ、彼がもたらした功績はそれだけに留まらない。

 クルト・クラウスは、懐中時計用のモジュール設計からキャリアをスタートさせ、やがてエボーシュの改良まで手掛けるようになった。後年に彼は永久カレンダーやロングパワーリザーブの自動巻きを作り上げ、最後はトゥールビヨンも設計するに至った。

 今やこうしたマルチな才能を持つ設計者は少なくない。カルティエのキャロル・フォレスティエ=カザピ然り、APルノー・エ・パピのジュリオ・パピ然り、フランソワ-ポール・ジュルヌ然り。しかし時計産業に与えた影響の大きさを考えると、クルト・クラウスという時計師は、もう一段高い位置にいる。

グランドコンプリケーションの図面

1990年に発表されたグランドコンプリケーションの図面。これはミニッツリピーターのモジュール部である。薄くするため、中間輪列を介して部品を散らすといったアイデアが光る。複雑時計らしからぬ頑強な規制バネ類にも注目。すでに「クラウスらしさ」が際立つ設計だ。

彼はETA2892を、ETA2892-A2に進化させた陰の立役者であり、ジュリオ・パピに時計作りを教えた師であり、モジュールの在り方を一新した革新的な設計者であった。そして機械式時計冬の時代に、先達であるアルバート・ペラトンの思想をIWCに残した、いわばメンターでもあった。しかし、実際にクラウス本人と言葉を交わしても、彼がそれほどの業績を残した設計者には見えない。何が彼を〝ペラトンの見習い〟から〝大設計者〟へと変貌させたのだろうか。

「ゾロトゥーンの時計学校を出た後、すぐIWCに就職した。その際アルバート・ペラトンの見習いとして多くを学んだよ。ペラトンは最良の品質にしか興味がなかった。というのも、時計は50年や100年は使えるものと考えていたからだ。こういう話がある。ペラトンはしばしば製造現場に足を運んだ。彼はホゾ磨きの工程をじっと見て、0.003㎜ではだめだ。0.002㎜にまで詰めて欲しいと現場にプレッシャーをかけた」

懐中時計ムーブメント

クルト・クラウスが1974年から75年にかけて製作したムーンフェイズ付きの懐中時計ムーブメント。事実上、彼にとっての第一作だろう。「鉛筆で小さなスケッチを描き、受けなどを自分でカットして製作した」とのコメント通り、いかにも手作業で作った仕上がりを持っている。
Cal.9721

1970年代後半には、懐中時計専業メーカーへの転進を図ろうとしていたIWC。代表作が77年のRef.5550である。既存の懐中時計用ムーブメントに、クルト・クラウスの設計したカレンダーモジュールを加えたCal.9721を搭載する。なおハンターケースのRef.5450も製作されている。31石。18KYG。参考商品。
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2019-03-14 20:30:08