世代交替が進む最新ムーブメント事情(前編)

FEATURE本誌記事
2020.03.24

スイス時計産業がまさしく隆盛を極めていた時代にその主力を担ってきたエタブリスール。エボーシュと呼ばれた半完成ムーブメント、あるいはパーツを購入して、それを自社で仕上げて組み立てることが水平分業的な体質の中で発展してきたスイスの、ごく当たり前の光景だった。こうした旧き良き時代から、1990~2000年代初頭までに自社専用として開発されたムーブメント群が、いわゆる“第1世代の基幹ムーブメント”にあたるだろう。

しかし2010年問題と呼ばれたETAのエボーシュ供給停止宣言に前後して、一気に加速することとなった基幹ムーブメントの各社独自開発。この時代に生み出された自社製ムーブメント群が“第2世代”だ。しかし、そうした第2世代機の熟成改良が極限まで突き詰められた結果として、物足りなくなったスペックを補うためか、基幹ムーブメントの世代交代がここ1~2年で一気に加速しつつある。世代交代を経て誕生した“第3世代のニュームーブメント”を網羅しながら、その傾向を分析してみたい。

三田村優:写真 Photographs by Yu Mitamura
鈴木裕之:取材・文 Text by Hiroyuki Suzuki

新世代の自社開発基幹ムーブメント

 ETA製エボーシュの代替機として、一気に開発が進むことになった“第2世代の基幹ムーブメント”。しかし時代が“第3世代”へとシフトしようとしている現代でも、エボーシュ代替機の需要は極めて大きい。各社の基幹ムーブメントの中でも、特にベーシックレンジを担うことが多いエボーシュ代替機で急速に進みつつあるのが、ブランドの垣根を越えた基礎設計の共有化だ。インディペンデント系の「ケニッシ」、グループ内共有化のキーを担う「ヴァル フルリエ」をサンプルに、その実情を探ってみよう。

BREITLING Cal.B20

BREITLING Cal.B20
3針自動巻きモデルが使用していたETA製エボーシュ(主にCal.2824-2)の代替機として2017年に導入開始。提携関係にあるチューダーを通じて、ケニッシで製造されている。基本設計はCal.MT5612と同一だが、ヒゲゼンマイは使い慣れたニヴァロックス・ファー製を採用。ETAの標準スペックである52~53度に比べて、拘束角がやや小さい(49度)ことも特徴だ。直径31.8mm、厚さ6.5mm。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。
TUDOR Cal.MT5612

TUDOR Cal.MT5612
2015年に発表されたチューダー初の自社製基幹ムーブメント。フリースプラングテンプとシリコン製ヘアスプリングを備えた実用機。直径31.8mm、厚さ6.5mm。26石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。バイプロダクト機として、ノンデイトのCal.MT5602(直径31.8mm/25石)、ノンデイトのベースプレート径を拡大したCal.MT5601(直径33.8mm/25石)、パワーリザーブ表示付きのCal.MT5621(直径33.8mm/28石)などがある。

 ごく近年までスイス時計産業における、ムーブメントの設計製造に関する業態は2種類しかなかった。汎用ムーブメントである〝エボーシュ〞をサプライヤーから購入して自社製品に搭載するエタブリスールか、ムーブメントの設計製造までを自社で一貫して手掛けるマニュファクチュールかだ。産業形態として見れば、前者は水平分業型、後者が垂直統合型ということになる。現在でも圧倒的に多いのは前者だ。

 本稿が〝第2世代機〞と定義する、2010年前後の一定期間に新規開発された基幹ムーブメントは、まさしくエボーシュの安定供給を失った、あるいは供給停止を宣告されていた一部のエタブリスールが、独力でマニュファクチュールへの転換を図るために企画されたものだった。その過程で多く試みられた業態が、基本設計だけを自社で行い、試作〜製造を他社に委託するファブレス・マニュファクチュール(=生産設備を持たない製造業)だった。

CHANEL Cal.12.1

CHANEL Cal.12.1
2019年初出。チューダーと投資家グループが設立したケニッシに資本参入することで、シャネルもETA代替機となる自社設計ムーブメントを持つことになった。Cal.MT5612と基礎設計を共有するが、ローターデザインの変更に加え、石数が26石から27石に増やされており、シャネルによる自社開発、関連企業であるケニッシでの製造というスタンスを取る。直径31.8mm、厚さ6.5mm。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約70時間。

 しかし、ETAを筆頭に旧エボーシュSA各社を傘下に擁するスウォッチ グループ以外でも、リシュモン グループやLVMHグループといった巨大コングロマリットに属するブランドから先んじて、生産の垂直統合化が一気に加速していき、今やファブレス・マニュファクチュール自体が過去のものとなろうとしている。近年ここに一石を投じるのが、これらの巨大グループに属さないインディペンデントブランド間における設計共有化の流れ。その台風の目は「ケニッシ」だ。

 ジュネーブに本拠地を置くケニッシは、チューダーと投資家グループが設立した自動巻きムーブメント専門の製造会社。その最初の成果が、2015年にチューダー専用機として開発された「マニュファクチュールキャリバーMT5612」であった。ムーブメント径31.8㎜、厚さ6.5㎜というサイズは、同社がそれまで使ってきたETA製エボーシュ(トリオビス緩急微調整装置を備えたETA2824-2)よりも大ぶりだが、約70時間に及ぶロングパワーリザーブと、ロレックス譲りのシリコン製ヘアスプリングを備える、傑出した実用機として仕上がっていた。

BAUME & MERCIER Cal.BM12 “BAUMATIC”

BAUME&MERCIER Cal.BM12 “BAUMATIC”
2018年初出。こちらもCal.1847 MCと基礎設計を共有しながら、ボーム&メルシエ初の自社製ムーブメントとして、シリコン製ヒゲゼンマイ採用による高耐磁性の確保、地板径の拡大による超ロングパワーリザーブ化など、兄弟機に比べて意欲的な試みが盛り込まれている。直径28.2mm。22石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約120時間。
PANERAI Cal.OP XXXIV

PANERAI Cal.OP XXXIV
2018年初出。それまでETA製エボーシュだけに与えられてきた、“OPナンバー”を引き継ぐ新型ムーブメント。パネライ自社製ではあるが、Cal.1847 MCと基本設計を共有するリシュモン キャリバーの1機であるため、自社工房製を指す“Pナンバー”とは区別されている。直径28.2mm。22石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約72時間。

 2017年3月のバーゼルワールドで大きな話題を呼んだチューダーとブライトリングの業務提携を経て、チューダー側はブライトリング製クロノグラフである「キャリバー01」の使用権を得る代わりに、MT5612をベースとした「キャリバーB20」をケニッシ/ブライトリングと共同開発することとなった。両社の提携を強力に推し進めたのは、元ブライトリング副社長のジャン-ポール・ジラルダンであり、現在もケニッシの役員名簿に彼の名を見つけることが可能だ。さらにケニッシには、シャネルからも資本が投入され、19年から「キャリバー12.1」を製造開始。これにはシャネル独自の設計が盛り込まれており、石数が26石から27石に増やされたうえ、ヒゲゼンマイの素材には独自のニッケル-リン合金が使われている。

 これら3機のムーブメントは基本設計こそまったく同じだが、決してケニッシ製のエボーシュを各社が購入しているのではないという点が重要だ。投資家グループが設立した開発製造拠点に資本参加することで、あくまで〝自社ムーブメント〞として基本設計を共有しているのである。チューダーではマニュファクチュールキャリバー、シャネルでは自社開発ムーブメントと呼称しており、決して自社製ムーブメントとは呼ばない点にも留意しておくべきだろう。

VACHERON CONSTANTIN Cal.1326

VACHERON CONSTANTIN Cal.1326
通称“リシュモン キャリバー”をベースに、グループ内の設計共有化(=キーパーツの共有化)を図るというグループの意向に沿って、ヴァシュロン・コンスタンタンが2018年に発表。直接のベースはカルティエのCal.1904 MC。22Kゴールドのローターや、手作業による面取りなど仕上げは一流。ただしジュネーブシールの取得は見送られた。直径26.2mm、厚さ4.3mm。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約46時間。

 これと同様の設計手順を、グループ内で推し進めているのがリシュモン グループだ。拠点となるのはヴァル・ド・トラヴェールにある「ヴァル フルリエ」。その母体となったのは、ピアジェからの出向メンバーを中心として1995年に設立された「ビューロー テクニーク リシュモン」であり、古くからピアジェやカルティエ、パネライなどの自社製ムーブメントの開発製造を担ってきた。もちろんこれらは、すべて個別の設計を持つ専用機だったわけだが、ただひとつ輪列設計に関してだけは、一定のルールをパッケージ化した〝モジュール設計〞を早くから採り入れていた。

 現在、リシュモン グループが推し進めるグループ内設計共有プランは、お得意のモジュール設計をもう少し先鋭化させたもので、通称〝リシュモン キャリバー〞と呼ばれるベースムーブメントを共有し、それを各社各様にアレンジするものだ。そのベースは大きく2種類で、いずれもキャロル・フォレスティエ=カザピがカルティエで開発した「キャリバー1904 MC」(2010年初出)、「キャリバー1847 MC」(同15年)の基礎設計が、そのままリシュモン キャリバーとして使われている。より繊細な設計を持つ1904 MCをベースとするのは、ヴァシュロン・コンスタンタンの「キャリバー1326」。同社製ムーブメントでは唯一、ジュネーブシールに準拠しないという点ばかりが話題になってしまったが、熟成改良の進んだベース機のエクステリアを刷新したものだけに、初出から2年足らずという若いムーブメントにもかかわらず、信頼性は極めて高い。

CARTIER Cal.1847 MC

CARTIER Cal.1847 MC
これまでETA製エボーシュを採用してきたエントリーラインへの搭載用に、2015年に発表。開発者はキャロル・フォレスティエ=カザピ。サイズはETA2892系、ETA2824系と同様の11ハーフリーニュ。高速回転型のシングルバレルを採用することで、等時性を高めている。直径25.6mm。23石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約42時間。
CARTIER Cal.1904 MC

CARTIER Cal.1904 MC
カルティエが初めて設計/製造を一貫して手掛ける自動巻きの基幹ムーブメントとして2010年に発表。ETA製の主要エボーシュと同寸の11ハーフリーニュにツインバレルを収納する。これはロングパワーリザーブ化を目的としたものではなく、トルクの安定供給に主眼を置いたもの。設計者はキャロル・フォレスティエ=カザピ。直径25.6mm、厚さ4.0mm。27石。2万8800振動/時。パワーリザーブ約48時間。

 一方の1847 MCは、発表自体は新しいものの、より汎用機然とした設計となっており、パネライのETA代替機である「キャリバーOP XXXIV」や、ボーム&メルシエの意欲作「ボーマティック」がこれをベースとしている。こちらはベースが汎用機ゆえに、ブランド独自の意向をより強く反映した改設計を盛り込む余地も大きく、どちらも地板を延ばしてロングパワーリザーブ化を図るなど、より自由な味付けが許されているようだ。

 基礎設計を多くの〝異母兄弟〞と共有しながら、独自の基幹ムーブメントを作り上げる。この手法は今後、汎用機の主流となるだろう。

ヴァル フルリエとマイクロシティによる先行研究を経て、2018年に発表されたCal.BM12「ボーマティック」 。ムーブメントの基本骨格は、2015年発表のCal.1847 MC(カルティエ)に準ずるが、地板を拡大することで香箱径を拡大し、約5日間のロングパワーリザーブを実現。ボーマティック専用に先行投入されたツインスピアテクノロジー(=2層のシリコンヒゲゼンマイ)とシリコン製アソートメント(ガンギ車とアンクル)で、約1500ガウスの耐磁性を発揮する。ヒゲ持ちも非磁性素材であるデュラテルム(コバルト、ニッケル、クロムを主とする合金)製だ。その他、ルブリケーションの最適化によるオーバーホールスパンの延長、C.O.S.C.準拠の高精度化(日差-4~+6秒/日以内)など、次世代ベーシックムーブメントに相応しいスペックが試みられたが、諸般の事情により継続生産は一旦封印。2019年にはヒゲゼンマイの素材を通常のニヴァロックス・ファー製に置き換えたCal.BM13がリリースされている。

(中編へ続く)