1月に発表されたブルガリ、ウブロ、ゼニスとセイコーの新作時計を振り返る(前編)

FEATURE本誌記事
2020.06.09

かつては新作発表の場、あるいはリテーラーに対する受注確保の場として、100年を超える歴史を紡いできたスイスの大規模時計見本市。しかしインターネットの普及と、直営店戦略を貫きたいビッグブランドの思惑、そして旧バーゼルワールド運営陣の高圧的な対応などが、そこの存在意義を大きく揺さぶるようになった。そこに加わったのが、新型コロナウイルスである。にもかかわらず、いくつかのメーカーは、大規模展示会などで新製品の発表を行った。本記事は「LVMH ウォッチウィーク ドバイ 2020」及び、「ジャパン・ウォッチ・コレクション」(JWC)という大規模見本市で公開された、4ブランドの新作を取り上げたものである。転載は本紙2020年5月号から。

星武志:写真 Photographs by Takeshi Hoshi (estrellas)
広田雅将(本誌)、鈴木裕之:文 Text by Masayuki Hirota (Chronos-Japan), Hiroyuki Suzuki


ドバイに咲いた最後の大輪から
大規模時計見本市の終焉へ……

2020年1月、ブルガリ・ホテル&リゾートドバイで、ブルガリ、ウブロ、ゼニスの3社が新製品の発表を行った。題して「LVMH ウォッチウィーク ドバイ 2020」。後にSIHH改めウォッチズ&ワンダーズと、バーゼルワールドが開催を中止、あるいは延期したことを思えば、これは2020年に開催される、最後の大きな見本市になってしまったのかもしれない。新型コロナウイルスが猛威をふるう今、大型時計見本市はどこに向かおうとしているのか?

ドバイに集った面々。左からウブロCEOのリカルド・グアダルーペ、LVMH時計製造部門 CEO 兼タグ・ホイヤー CEOのステファン・ビアンキ、ブルガリ・グループ CEOのジャン-クリストフ・ババン、ゼニス CEOのジュリアン・トルナーレ。※肩書きは2020年1月時点でのものである。

 スイス時計産業を象徴する2大見本市、ウォッチズ&ワンダーズ(旧SIHH)とバーゼルワールドは、中止または延期となった。

 これに対して、一部関係者たちの反応は、控えめに言っても冷淡なものだった。彼らがこうした大規模時計見本市の開催中止または縮小を対岸の火事と見なしていた理由は、ローカルでならば新作を見られるという保証があればこそだったが、それは中国から広まった新型コロナウイルスによって、たちまち打ち砕かれた。

 新作を披露するためだけに、わざわざ各国からスイスに人を集める必要はあるのかという議論は昔からあった。確かに、かつての時計見本市は、メーカーにとってその年の受注量を決めるための決定的な影響力を持っていた。しかし、その重要性は年々下がり、オーデマ ピゲやリシャール・ミルのように、ブティックでしか売らないことを決めたメーカーにとっては、まったく意味をなさなくなっていた。

 インターネットの普及もそれに拍車をかけた。実際に新作を見に行かなくても、ネットで情報が手に入るならば、強いて長期出張に時間を割く必要はないだろう。時計メーカーは、デジタル化を声高に叫ぶようになり、見本市に対して年々距離を置くようになったのである。

 バーゼルワールドの衰退に関して言うと、旧運営陣の失策はやはり否定できない。中国からの来場者増加を見越して、そしてそれ以上に、SIHHに張り合うために、バーゼルワールドは少なくない設備投資を行い、その負担を参加者たちに押し付けた。後に、あるメーカーのCEOはこう語った。「たったこれだけのスペースを5日間借りるためだけに、100万スイスフランもかかるのだ。2000万スイスフランを売り上げなければとても割に合うものではない」。時計業界全体が春を謳歌していたリーマンショック以前でさえも、ひとつの見本市でそれだけの売り上げを立てられたメーカーは、いくつあっただろうか? 結果として、体力のない小メーカーはローカルでのイベントに活路を見いだすようになった。

 対してバーゼルワールドの旧運営陣は、離れゆく時計メーカーを官僚的な物言いで挑発し、結果として、広範な支持を失ってしまった。仮に、旧運営陣がもう少しソフトな物言いに努めていたら、オリスはバーゼルワールドに留まったかもしれないし、また空いてしまったスペースにサムスンを招聘するようなことさえしなければ、「バーゼルワールドにはクォリティーの高いメーカーのみを残す」という言葉を、まだしも関係者には信じてもらえたかもしれない。心情的に、バーゼルワールドに期待する関係者は少なくなかったが、旧運営陣の、傲慢で一貫性のまったくない姿勢は、彼らへの不信を招くには十分だったのである。

 バーゼルワールドに比べると、SIHHの運営はまだ良好だった。バーゼルに比べて参加費が安く、エクスクルーシブな雰囲気を持つSIHHは、バーゼルワールドが株を落とすにつれて、評価を高めていった。もっとも、SIHHへの参加は極めてハードルが高かった。参加メーカーすべての承認が必要という条件は、例えば、ジュネーブのいくつかのメーカーには酷でありすぎたし、小メーカーがブースを出せるカレ・デ・オルロジェでさえも、自社製ムーブメントを擁していることという厳しい条件が付いていた。あるメーカーは、ここにブースを出すべく自社製ムーブメントの開発に取り組み、果たして決定的に体力を失ってしまった。結果、立ち位置をなくしたメーカーは、いっそう、ローカルでのイベントに注力せざるを得なくなったのである。

2020年1月に開催された、「LVMH ウォッチウィーク ドバイ 2020」の会場にて。今思えば、これは大規模時計見本市の“ヘイデイ”ではなかったか。以降、新型コロナウイルスの広まりに伴い、大規模イベントは次々と中止になる。

 受け皿となったローカルのイベントに対して、各メーカーは信じられないほどの努力(とコスト)を費やし、十分な顧客を伴う限りは成功を収めた。デジタルとイベントにフォーカスすることで、より存在感を高めるというアイデア自体は、決しておかしなものではなかった。しかし、各メーカーのマーケティング担当は、思ったほどに露出が伸びない、あるいは予期しない露出が続くという事実に気付かされた。インフルエンサーを招待しても、うまくもない自撮りや、セレブリティの写真しかネット上を賑わさないなら、なぜ新製品の発表に、彼らを呼び、シャンパンを振る舞う必要があるのだろうか? マーケティング担当は、インフルエンサーたちの名前を、注意深く招待リストから消して、代わりにウォッチギークたちの名前を書き込むようになったのだ。もっともこういった作業は、単なる新製品の発表に留まらない負荷を、各メーカーに与えるようになった。新製品の発表というイベントは、たちまち頭を悩ませる、政治的なものになったのである。

 対して、大規模見本市の復権というスタンスを打ち出したのが、スウォッチ グループだった。2019年にバーゼルワールドを抜けた同グループは、代わりに「タイム・トゥ・ムーブ」と称するエクスクルーシブなイベントを、スイス各地で開催した。これは参加者を工場にまで招待するという野心的な試みだったが、開催時期が悪かった。リテーラーには先に新作を見せているのに、ジャーナリストが情報解禁するまでは情報を明かせない。このタイムラグはリテーラーの不満を呼んだし、わざわざ招待したにもかかわらず、熱心に記事を書くジャーナリストは、決して多くなかったのである。「思ったよりも露出が多くなかった」とは、後にスウォッチ グループの関係者が漏らした率直な言葉である。なお2020年、スウォッチ グループは、タイム・トゥ・ムーブの時期をずらして、3月初旬に開催する予定だった。しかし、新型コロナウイルスの広まりにより、それも中止を余儀なくされた。

 2020年の1月にドバイで開催された時計見本市「LVMH ウォッチウィーク ドバイ 2020」は、例外的に成功した試みかもしれない。開催時期は、リテーラーがふんだんに予算を持っている1月中で、しかもブルガリ、ウブロ、ゼニスの3メーカーが、待ちに待った新製品をお披露目するのである。会場はドバイのブルガリ・ホテル&リゾートで、限られたメンバーしか参加できない。となれば、ジャン-クリストフ・ババンが「予想以上の受注を集めた」と胸を張る結果になったのは当然だろう。このイベントに味を占めたLVMH グループは、4月末にも、独自の時計見本市「ジュネーブ ウォッチデイズ」を開催しようと試みた。しかし、中国に発した新型コロナウイルスは、この野心的な試みをくじいてしまったのである。結果だけを言うと、ローカルのイベントは必ずしもうまくいかなかったし、大規模見本市は、ドバイを除いては空回りとなってしまったと言えそうだ。

 現時点での問題は、大メーカーや、大グループに属するメーカーよりも、中小メーカーにある。規模の大きなメーカーは、リーマンショック以降、新製品への依存率を下げることでリスク回避に努めてきた。ウブロやタグ・ホイヤーでさえもそうなのである。対して小メーカーは、売り上げに占める新製品の比率が高い。仮に、新作のお披露目ができなかったら、会社の経営は大きく傾くだろう。新型コロナウイルスの広まりと時期を同じくして、見本市不要論が影を潜めたのは、リテーラーやジャーナリストたち以上に、新製品発表の決定的な機会を失った、中小メーカーの強い不安を反映したものではなかったか? 筆者は、時計をまとめて見られる見本市に、今なおメリットを感じているが、正直、存続するか否かを判断する材料を持っていない。

 ともあれ各メーカーは、どのような形であれ新作を発表せざるを得ないし、本誌もできるだけケアしていく他ない。今回はその第1弾である。 (広田雅将:本誌)


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