機械式時計復活後のグランドセイコーで絶対に知っておくべき名作モデルたち

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2022.01.03

1992年にセイコーが自動巻き時計の高級ラインを復活させてから今年でちょうど30年。この間に生まれた名作は数知れない。そんな多くのアイコンウォッチの中から、時計コレクターとして名高い白苺氏が特に勧めるモデルを紹介する。

白苺:文
Text by Shiroichigo

Cal.9SA5


機械式グランドセイコーの復活

 1980年代終盤から90年代初頭にかけて、機械式時計は世界的にその地位を回復させた。セイコーはクォーツのヒエラルキーの頂点に君臨していたとはいえ、以前は機械式時計の分野でも一角を占めるメーカーであり、その状況を座して看過するわけにはいかなかったのであろう。グランドセイコーのメカニカルモデルを製造する「雫石高級時計工房」の記載によれば、88年に「15年間休止していた高級機械式時計復活に向けての活動を再開」させた。そして91年にセイコーの創業110周年を記念して超薄型68系を搭載した「クレドールu.t.d.(Ultra-Thin Dress)」を生産したのを皮切りに、機械式高級時計への復帰を模索し始めたのである。

 当時でもセイコーは機械式ムーブメントの製造を継続していた。しかしそれは主に「電池入手が困難な発展途上国向け」に製造を続けていた、「セイコー5」や「メカニカルダイバー」が搭載していた7000系自動巻きであった。7000系ムーブメントは1990年代に改良されて7Sとなり、その後さらに改良され6R/4Rへと発展し、今でもセイコーのリーズナブルな機械式時計のラインを支える優秀で、極めて重要なムーブメントとなった。

 とはいえ、なにぶんこのムーブメントは実用本位であり、ニッケル製テンワやあまりにも実用的な仕上げを伴わないブリッジ(受け)など、見栄えでも精度の点でも高級時計を主張するには厳しいものがあった。そのためセイコーは高級機械式時計の再興のために新しいムーブメントの開発に取り組んだ。

“しかし当時のセイコーの設計者は新型クォーツムーブメントの開発に注力しており、機械式に人員を割くことはできない。そこでマイクロフィルムに残された古い設計図面を紐解きCAD データに置き換えることを試みた。しかし、古い設計図面に記された数値・寸法は、最新のCAD データには適用できないことも多かった。新型機械式ムーブメントの新規開発のノウハウも薄く、既存のムーブメントを改良することが第一目標となった。

ベースムーブメントとして選ばれたのは、1970年代にキングセイコーに搭載され活躍した52系ムーブメントだった。毎時28,800振動の8振動仕様、カレンダー付きで3.9㎜厚。当時の日本クロノメーター検定協会からクロノメーター認定されていた高性能ムーブメントだ”

「【グランドセイコー、未来へ紡ぐ10の物語】Vol.5 時代を超えて、ふたたび時を刻む伝統の機械式 Part1」より

Cal.9S35搭載モデル

1992年に発売されたCal.4S35搭載モデル。同作でセイコーは自動巻きの高級時計に復帰した。針やインデックスの出来は現行品に勝るとも劣らない。

 こうして完成したCal.4S35搭載モデルは92年に発売された。セイコーは機械式時計復興の第一歩と謙遜するが、筆者の所有する個体を見ると、実物は驚かされるような丁寧な作りをしている。特に文字盤の、分・秒インデックスの厚く丁寧な印刷といった仕上がりは今見ても素晴らしい(率直に言って秒インデックスの仕上がりは新作の「SLGH003」にも見習ってもらいたい)。このCal.4S35を復活の狼煙として、セイコーは4Sのさらなる高精度化を試み、その結果は98年に発売された「クレドール クロノメーター」のCal.4S79に結実した。500本限定のその時計はスイスに送られ、C.O.S.C.クロノメーター検定を得て販売されたのである。

 優れた精度を得た4S系キャリバーであったが、その高精度を得るためにヒゲゼンマイに錘を付ける(一見、樹脂のゴミのようなためメンテナンスの際に誤って取り払われることも多い)など、いわば屋根の上に屋根を重ねるようなトリッキーな技法を用いる必要があった。クォーツモデルの成功でグランドセイコーのブランド再興を成し遂げたセイコーであったが、「骨格」そのもの出来を重視するセイコーにとって、機械式の4S系キャリバーはグランドセイコーには不十分とされたのである。

Cal.9S35

 そのため、セイコーは4Sの改良ではなく、新しいグランドセイコー用の機械式ムーブメントを開発した。それが98年のSBGR001と002に搭載されたCal.9S55ムーブメントであった。だが開発者のインタビューなどによれば、Cal.9S55の開発にあたってはとにかく時間がなかった、という印象を受ける。時間がない中で大きな力を発揮したのが当時のセイコーインスツルメンツが開発した3D-CADであったとされている。

“過去の設計資料を参考に歯車の形状の検討や輪列のシミュレーションなどを行い、さらにこのデータを活用してプロトタイプの製作もスピーディに進めた。調速機も新たに開発され、ひげぜんまいの形状も特殊な内端カーブを採用することで、GSの名に値する高精度が実現した。”

「【グランドセイコー、未来へ紡ぐ10の物語】Vol.5 時代を超えて、ふたたび時を刻む伝統の機械式 Part2」より

 こうして登場した9S55は当然ながらセイコーのこれまでの機械式の系譜を色濃く継いだものとなった。自動巻機構はセイコー好んで採用する爪巻き上げのマジックレバーである。口の悪いものは9Sを7Sの拡張版、と評した。しかし、筆者は7Sの改良版とするよりは、開発機関の短さもあってゼロからの開発ではなく、その時点でセイコーが持っていたアーカイブを最大限利用した結果、機構が近くなったのであろうと考える。

 例えば緩急針調整装置は7Sの古典的なものから、しゃもじ状のアオリ調整が効く専用の物が与えられ、等時性の調整に大きな力を発揮した。7Sはパテント切れの後、エタクロン風の緩急針を採用したことでアオリ調整ができるようになったが、9Sのそれは高級機らしくより強固にされている。また7S系が実用重視であるが故にブリッジの仕上げはざっくりとしているのに対して、9Sでは“トーキョーウェーブ”と言われる美しい波目模様が施された。ストライプパターンをジュネーブストライプでなくトーキョーウェーブと呼ぶのは日本のメーカーがスイスのものとは仕上がりが違うためだ。

 筋目模様を施す際に、模様を作る際にスイスやドイツなどが研磨で浅く付けるのに対して、日本のメーカーは切削で施すために筋目が深いのである。それまでセイコーが製造していたムーブメントでは、7Sより上位を狙った4Sでも仕上げは比較的そっけなかった。例えば4Sの手巻き版ではブリッジの上に筋目模様こそ施されていたが、ローターの仕上げは、放射線状のあっさりしたものだった。そのため、全体に美しいストライプを施した9Sは、高級機らしく見栄えという点でも大きな向上を果たしていた。

 4S35から9S55への変化で大きかったのは見栄え以上に厚みであった。セイコーは10振動の61系から8振動の56系になる際、ムーブメントの薄型化を行った。機械式復興のモデルとして選ばれた4Sは「ムーブメントが4mmと薄いことが選ばれた理由のひとつ」とされている。実際薄くなった事で4Sはドレッシーな「クレドール」や「ローレル」など、多くのモデルで使用することができた。その一方、薄さがグランドセイコーとして求められる精度や安定性を出すことが難しかった原因となっていたのかもしれない。精度を高めるのに創意工夫が必要だった4Sに対するアンチテーゼとしてか、Cal.9S55は直径28.4mmに対して5.4mmもの厚みを持つ、重厚なムーブメントとなったのであった。